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終章2

 ……そう、あの日から既に五年の月日が経過していた。

 本来の寿命を超越したアイリーンは現在二十三歳。

 彼女は公爵夫人でありながら母となった。二十歳になったばかりで一人目、翌年に二人目。そして今現在、三人目を授かっている。

(ここは少し……冷えるわね)

 随分懐かしい聖堂の中。椅子に座したアイリーンは、膨らみ始めた腹を気にしつつも、目の前をうろうろと落ち着きなく動くリーアムを目で追っていた。

 石英樹海に来たのは五年前のあれ以来だ。

 その後、一応リーアムには会っている。とはいえ、年に一度二度の頻度でそこまで久しい感覚でもない。

 しかし〝今回ばかりはできる事なら足を運んで欲しい〟との事だったので、ヒューゴーに馬車を出して貰い、幼い子どもたちを連れてジャスパーと久しい里帰りをした。

 リーアムの言う大事な話は何となく見当が付く。なので一応ジャスパーに子どもたちを預けて一人聖堂に入ったが……。

「アイリーン様も本当にそれで良いと思えますか? どうか、今一度……」

 同じ質問はもう三度目。さすがに困ってアイリーンは首を横に振る。

「確かに私は元女神ですし、亡国の王族の特徴を持っています。とはいえ、亡国と今は関係がないでしょう。それに何度も言いますが……女神だった私が国の頂点に立つのはおかしいです。私は多くの犠牲を出しかねない厄災を起こしました。その資格はありません」

「そうよ、まったくクヨクヨと。あんたはアイリーンの言い分を聞いていたの? それにね、女ってもんは……母親になると四六時中忙しいのよ?」

 アイリーンの隣には、生後数ヶ月の赤ん坊を抱えるサーシャの姿がある。

「それはまぁ、そうだが……」

「本当に分かっているの? あんたは確かに父親として文句はないけどさ」

 その言葉にリーアムはたじたじとして頬を掻く。

 三ヶ月前──春の初めの三月末。リーアム本人からサーシャを伴侶にしたとの報告を受けて、それはもう目をみはって驚きやした。

 かつての従者同士……確かに接点は大いにあったが、従者だった時は全くそんな空気がなかった筈。

 どちらからだろう……。と、少し下世話な事が気になったが、ジャスパーがずけずけと訊いたお陰もあって、リーアムからと判明した。

 あの終結の後、リーアムは彼女の強かさに惹かれ始めただとか……。

 しかし、恋人関係にはなるまでかなり時間がかかったそうで結実したのは一年前。

 だが、報告からこんなに早く子どもが生まれているとは。

 改めて計算すれば、その頃にサーシャは身籠もっていたと分かる。

 あのリーアムが。あのサーシャが……。

 二人の性質を把握しているので、どのように恋に発展したか、愛を育んだかなんて言葉だけでは想像できない。

 だが、今現在目にしているものが全てだ。

 自分も親だから分かるが、彼らは完全に母親と父親の顔をしており、幸福な空気感から互いを愛し合っていると確かに分かる。

 二人が悶着しているので、サーシャの腕の中の子を覗き込む。

 目が合った赤子はリーアムと同じ青い瞳。ニコニコと可愛らしい笑顔を浮かべていた。

 恐らく女の子だろう。

 あまりに可愛らしくて微笑み返せば「堅物は似ないで欲しいけど、目元そっくりでしょ」なんてサーシャは毒づきつつも軽く笑う。

 彼女の対応にアイリーンは目を丸くした。

 サーシャといえば、つんけんどんな態度が多かった。そもそも基本的には嫌われていたのだし。こんな風に笑う様は新鮮だ。

 否、彼女に会ったのはあれ以来なので五年ぶりの再会だ。

 外見だって随分変わった。元々は縦に長細かったのに、ほんの少しふっくらとして随分と女性的になった。それに何とも優しい眼差しで思わず見とれてしまう程。

「サーシャ、丸くなったわね……」

 思わず口に出すと彼女は呆れたように笑ってアイリーンを一瞥する。

「あんたはさすがにアホっぽくなくなったと思うわよ」

「あ、アホ……って」

「三人も子どもを授かれば当然かもしれないけどね。まぁ、本当に久しぶり」

 口調は相変わらずに素っ気ないが、眼差しは以前のように冷たくない。アイリーンは照れつつ頷いた。

 その途端だった。外から賑やかな子どもたちの声が響いた──と思えば礼拝堂のドアがよく開き、鳶色の髪の小さな男の子が入って来る。彼はアイリーンの姿を見つけるなり走り寄って抱き付いた。

 その顔立ちはつり目気味で、ジャスパーの幼少期はこんなではと想像できそうな程に本当によく似ている。しかし、瞳の色は自分と同じ紫色で。

「あらあら……待っていられなかったの?」

「だって、おれ。父ちゃんよりママの方がいいもん」

「んだとコラァ! 父ちゃんも良いって言ってくれ! 俺の事もいい加減に〝パパ〟って呼んでくれよ。あと人前でアイリーンにベタベタと抱き付くな」

 ──俺はお前が羨ましい! 

 静謐を割くように響き渡る声にリーアムは目を細めて首を振る。

 しかし、羨ましいって……。この人は頭が良い癖にたまに阿呆な時がある。子どもが生まれてから尚更だ。嫌な気はしないが照れくさい。

 アイリーンは呆れた顔で振り向くとむくれた顔のジャスパーがいた。

 彼の片腕には自分と同じ亜麻色髪の幼い女の子。指をしゃぶりつつもぎゅっと彼にしがついて不安そうに周囲を見ていた。

「ご子息はまだ幼いのでよしとしますが、あなたは立派な大人ですからね。ヒューズ公爵殿。ここは聖域ですので静粛に」

「はいはい、リーアム司祭様さーせんした」

 棒読みで言うのでリーアムはむっとした顔をするが、すぐに優しい笑みを向けた。

「坊ちゃん、大きくなりましたね。それにお嬢さんも健やかそうで。ジャスパー殿もお元気そうで何よりです」

「ああ。お陰様でな。あんたも元気そうで何より。あとサーシャ、出産お疲れ。おめでとうな」

 そんな風にジャスパーが言うと、彼女は少し照れたように頭を下げ、装束のポケットからハンカチーフを取り出した。

「公爵様お久しぶり。それとこれ……ずっと返す機会がなかったから」

 サーシャからそれを受け取ってジャスパーが首を捻るが、ややあって思い出したのか「懐かしい」なんて彼は笑み、サーシャの頭を乱雑に撫でた。

 しかしどうしたものか。全く接点なんてなさそうだったのに。アイリーンとリーアムが不思議そうに顔を見合わせると、サーシャは居心地悪そうな顔をする。

「……五年前に借りたのよ」

「そう。特にリーアムは想像できないかもしれねーけど、サーシャ、アイリーンにボロボロに泣かされていたからな。まぁアイリーンも号泣だったけど」

 その言葉でアイリーンは昔の出来事がいくらか過った、いつの事かは定かでない。

「え……いつ?」

 思わず訊くが、サーシャは気まずいのか照れているのか顔を赤く染めて──「詮索しないで!」と話を折った。

「で……そっちの話は纏まったのか?」

 ジャスパーが訊くとリーアムは曖昧に頷く。

「ですが本当にそれで良いのか……」

「もう腹を括りなさい。私はいくらでも支えてあげるから。それにアイリーン。あんたから見ても意義はないのよね?」

 アイリーンはサーシャに頷くとリーアムを真っ直ぐに見つめる。

「どうかリーアムが教皇として……新たなエルン・ジーアを納めて頂けませんか。二国の心の拠り所として架け橋として。美しいこの地を治めて頂きたいです」

 アイリーンが真っ直ぐに彼を見つめて言うと、彼はようやく腹を括ったのか、深く頷いた。



 その日の帰り道。子どもたちは散々はしゃいで疲れ切ってしまったのか馬車に乗るなり眠りに落ちて車内は静かだった。

 響くのは心地良い蹄の音。アイリーンは車窓から見える夕暮れ迫る景色をぼんやりと眺めていた。

 来た時も思ったが、もはや〝石英〟樹海の面影はない。ただ肥沃な自然が広がるだけで、風の精霊たちが気持ち良さそうに茜射す空を飛んでいる。

 湖畔の並木道を走り抜け、見えてくるのはヒースが咲き乱れる小高い丘。ジア・ル・トーが遠目に映る。その頂点には廃墟の塔。

 丁度落陽の刻。頂点に鮮やかな橙の太陽が煌めき、息を飲む程に美しかった。

「エルン・ジーアは本当に綺麗な場所だったんだな」

 同じ景色を見つめていたジャスパーは感心したように言うが、その瞳はどこか感慨深そうだった。

「そうね……とても美しい場所だった。私が昔見たシャーロットの記憶のままに蘇っているわ」

 アイリーンの脳裏にはいつだか、シャーロットの心から見た景色が浮かぶ。照らし合わせても殆ど変わらない程、そのまま復元されたのだ。

 何だかこんな景色を眺め続けていると、なぜか感極まり自然と涙が滲んでくる。

 自分の心の中にいるであろう三人の少女の顔を久しく思い出して、アイリーンの瞳にはツゥ……と一筋の涙が伝う。しかし、それはすぐに無骨な指に拭われた。

「俺たちはあの日、赦されたんだ。アイリーンの中の女神たちの為も、きっとこの景色を今見ているさ」

 優しい笑みを浮かべて真っ直ぐ言われたので、少しだけ恥ずかしく思った。

「ごめんなさい。どうしても色々と思い出しちゃって……」

 慌てて涙を拭って笑むと彼は優しくアイリーンの頬を撫でた。

「色々あったが、全てひっくるめて俺は俺として生まれた事が幸せだ。アイリーンは俺に最高の人生を与えてくれた。名付けの由来になった菫青石アイオライトの意味通り〝人生の羅針盤〟だ。俺はアイリーンを愛せた事が幸せだ」

 真摯に告げられた言葉に新たな涙が滲んだ。

「本当にありがとう。私も同じ気持ちなの。私は世界で一番幸せ女神だった。そして今は誰よりも幸せな女だと思う。あなたと生きられる事が本当に幸せよ。ジャスパー、愛してるわ」

 アイリーンは涙ながらに笑むと、彼はアイリーンのおとがいを摘まみ、やんわりと唇を重ねた。


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