その身体の大半は錆に侵されている。顔面は既に半分以上がガサガサと腐食しており、金色に輝く無機質な眼球。しかしそれはとてつもなく力強く、並々ならぬ生への執着をたたえていた。
『ああ嫌だ、眩しくてたまらないや』
『気持ちが高ぶる程に面白いけど、心地悪い空気だなぁ』
『酷い臭いだ、それになんて醜いんだ』
後からやってきた夜の者たちは次々に文句を言うが、アイリーンに向き合った獅子の姿の者はその姿を確認するなりギョロギョロとした目を止めて、ニヤニヤと笑む。
『やーやー王子様。ジア・ル・トーにようこそ。君、おれたちの事がちゃんと見えるよね』
「ああ。間違いなく俺よりあんたたちの方がおっかねぇ見た目だから、まじまじ見たくないが……ばっちり見えてるぜ。で、あんたたちが夜の者か?」
烈しく燃える炎の前に立つのは、これも人と呼んでよいかも分からない見てくれのおぞましい姿の男だった。
身体は錆び付き、その顔の半分は金属質な骨組みが剥き出しになり腐食している。
「ああ。ついでに王子様って柄でもねぇんだよ。ジャスパーって呼んでくれ」
軽い調子で言うと彼は、易々と崩れた塔を上り、アイリーンと同じ高さで夜の者たちと向き合った。
『そうジャスパー。でもね、おれたちは見ての通り今忙しいんだ』
「そーかよ。まぁあんたが俺たちに同じ呪いかけたお陰かな。お互いにここまで酷い有様になって、その子の心の声が筒抜けになってよ」
ジャスパーは顎でアイリーンを示す。
『ああ……君らってもう、そういう宿命だしね。同じ祝福をかけているんだもん。この極限の状態で魂が共鳴して互いが分かるんだろうね』
「分かりやすい解説どうも。で、俺たちにこんな素晴らしい程に惨たらしい贈り物を授けてくれたあんたにお願いがあるんだが、俺の願いを叶えてくれないか?」
その言葉に夜の者は長い首を捻った。
『いいけど……二百年くらい待ってくれないかな。お姫様も願いを言っていたんだよ。両方はさすがに無理、面倒臭い』
「んな、時間を人間が生きてる訳ねぇだろボケ!」
『ボケ……』
言われた言葉に驚いたのか、夜の者は素っ頓興な声をあげるが、唇にニヤニヤとした笑みをのせる。
「っていうか。この子はここで、あんたに直接願ったのか?」
『いいや直ではないね。願いを聞いたのは彼女の深い意思の中。君の為にも魂を消滅させて欲しいって言ったね』
「へぇ……」
目を細めるジャスパーの反応を不審に思ったのだろうか。
否、彼の心の内があまりに予想外だった所為か、夜の者は面白そうに目を丸く開いて彼を射貫く。
『君、全然悲しんでないね? このお姫様の事が好きじゃないの? っていうか、なんで怒ってるの』
「怒って当たり前だろ。好きに決まってるだろ! 愛してるからこそ、相談もなしに手前勝手な決断されりゃ腹立つんだよ!」
──一緒じゃなきゃ意味がない。俺の為だのそんな自己犠牲クソくらえだ。
ジャスパーがそう吐き捨てると、夜の者はどことなく納得したように頷いた。
『……で、ならばどうして君の願いを優先するべきなの?』
「簡単な事だ。その子には理性がない。深い意識の中って現実では
ジャスパーの言葉に、夜の者はやれやれと仕方なしにと頷いた。
『分かったよ、じゃあお姫様の願いは一度白紙に戻そう。……で、君の望みって?』
訊かれてジャスパーはニヤリと狡猾に笑んだ。
※
石英樹海に入ってからというものの、取り返しが付かない程の侵食に遭った。
もはや鏡を見れば失望してしまいそうな程。しかし、もう一度あの地に踏み入れると決めた時点である程度理解していたので、ジャスパーは自分の死の危険も初めて覚悟した。
しかしこの極限状態になって、利点がいくらもあった。
まずは、アイリーンの保有能力のように、鳥をはじめとする動物や精霊たちの声が聞こえるようになったのだ。
風前の灯火のよう、生命力は漲り、
まず、あの日放ったらかしにして置いてきた飛行二輪の整備の為に徹夜した。同行したヒューゴーに止められたが、もはやここまで来たら後悔なく生きたかった。
そして、できる限りの最善を尽くそうと思った。
飛行二輪は万が一に備えてのヒューゴーの避難の為や、人命救助に使えるのではと思った。だが、予想外でそれを使う時が直ぐさま訪れた。
アイリーンが女神として完全に覚醒し、〝全てを終わらせる為〟にジア・ル・トーに向かったからだ。
しかもどういった訳か、彼女の思惑が全て繋がり秘されていた歴史を知る事となった。
一方的な別れの言葉にジャスパーは怒ったのは言うまでもない。走って追いかけてやろうかと思ったが、直ぐさまヒューゴーに首根っこを掴まれて〝その為にこそ使え〟と呆れられた。
『俺は自分の足で万が一の避難誘導だの手助けくらいできますよ』と……。
そうして、彼に精霊避けの施されたクリスタルを渡してジア・ル・トーに向かった。
予想通り、話も通じるので精霊避けなどもう要らなかった。はっきりとした意思疎通さえできれば、風の精霊たちは阻まなかったのだ。
むしろ、阻んできた時と様子が全く違った。
嫌なかんじがする。怖い感じがする。と彼らはこの状況を明らかに臆していた。
そうして辿り付いたジア・ル・トーの頂上。やはり整備不良で不時着する形になったが、変わり果てたアイリーンに再会できた。
自分の姿で言えたものではないが、もはや彼女は自然霊に近しい姿で顔以外に面影などない。それも、おぞましい大蛇の大群に空中で縫われるように拘束され、声にもならない叫びをあげている様はやはり心を抉るものだった。
それに初めて目にする夜の者は見るからにおぞましかった。体躯は大きく、まじまじ見て居れば不安定になりそうだった。命を吸い取られるとの話を訊いたが、確かにこれは、心臓が悪ければその恐ろしさに卒倒してしまいそうだった。
『……で、君の望みって?』
夜の者は軽い調子で訊く。ジャスパーは彼を力強く見据えた。
「八百年も昔、シャーロット王女があんたに願った全てを白紙にしてくれ。あんたなら容易いだろ?」
それを告げると、夜の者はどこか浮かない顔をして首を傾げる。
『ねぇそれ、もしかしたら君たち二人完全に消滅するかもよ? だっておれ、死をも司っているから。転生なんて二度とない。君の魂も綺麗さっぱりなくなるかもよ?』
「それはそれで仕方ない。というか女神一人の消滅か、俺も混ぜての消滅かのどちらかだろ? 俺の提案は連帯責任だ。なにせ、厄災は俺たち二人の責任だからな」
『分かった。でも、最後にもう一回聞くけど、本当にそれでいい?』
「二度も言わすな、それがいい。これは俺たちの過ちだ。そして人間の愚かしい行いと心の歪みが起こした事。それにあんたたち、自然霊たちを巻き込んだと見受けられる。だから、何があっても恨みっこなしだ……」
ジャスパーは頷き、藻掻き叫ぶアイリーンに手を伸ばす。
その途端、背中に鈍い衝撃と同時に浮遊感を覚えた。僅かに後ろに目をやると、自分にはある筈もない、錆び付いた鉄の翼が映る。
「はは、お揃いだなアイリーン。俺も人間卒業しちまったみたいだな。これじゃ飛行二輪要らねぇな」
ジャスパーはアイリーンに纏わり付く大蛇に『退け』と示唆すると、スルスルとアイリーンから離れ消え失せた。
途端に轟音が聞こえる。再び巨大クリスタルの柱は次々と出現し、金切り声をあげるアイリーンは杖を突き付けジャスパーに飛びかかった。だが、彼は彼女から杖を強引に奪うと地上に投げ捨てる。
「ずっと一緒にいる。何があってももう離さない。どんな罰が与えられても、一緒に責任取ってやる。間違った事をすりゃ叱る時だってある。だけど、拒絶なんかしないし、いつも大切に思ってる」
愛してる。そう付け添えて抱き寄せるとアイリーンの瞳が僅かに揺れた。
『それじゃあ、君の願い叶えるよ』
夜の者が告げたと同時──頭上の空に幾重にも金の幾何学模様が走り、眩い光が溢れ落ちる。それはやがて夜と青い霧を掻き消して、石英樹海全体は眩い光に包まれた。
──その罪を赦そう。今こそ再生の祝福を。
ジャスパーが最後に聞いた声は夜の者たちと別のもの。
それは