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43 崩壊の記憶※

 ──美しい白亜の宮殿と肥沃な自然。優しい父母、煌びやかなシャンデリアの下奏でられる美しい弦楽器の音楽。

 サーシャに似た侍女の笑顔に、リーアムに似た騎士の呆れ顔。そして、ジャスパーに似たアゲートと過ごす穏やかな日々……やがてそれらの幸せな記憶は真っ赤に塗り潰され、烈しく炎が燃え上がる音と怒号が鳴り響く。

 視界いっぱいに広がる光景は地獄だった。

 ……地面に転がる父の首。母は裸体に剥かれ、腹は剣で串刺しにされており、鉄の器具で股が裂かれていた。

 光を失った虚ろな瞳をみはったまま事切れたリーアムに似た騎士は四肢がない。サーシャに似た侍女は足があらぬ方向に曲がっており、眼球がえぐり取られて見る影もない。

 見る限り……あちらこちらに死体が転がり落ちている。

「エルン・ジーアは我が手に落ちた、リグ・ティーナに栄光を! 全ては王女に取り入り隙を与えたアゲート殿下のお手柄だ!」

 遠くで響き渡る歓声にシャーロットは震え上がる。

 悲鳴をあげたい。泣き叫びたい。しかし、その唇は大きな手で塞がれていた。後ろから抱くアゲートの身体はガタガタと震えており、彼は『違うんだ』と何度も小さな声で呟き、頭を横に振り乱す。

 二人は崩れ落ちた建物の陰に隠れて群衆の声に耳を傾けていた。

 ──しかし、違うとは何がだ。国を侵略する為に自分は彼に欺かれて、この結果。彼の手柄だと言っているじゃないか。 

 甘い言葉や彼の笑顔に騙された。自分の所為で国が一晩にして滅んでしまったのだ。自分が助かった理由は、その晩アゲートが逢瀬に来て連れ出されていたからだ。

 逢瀬の場所は宮殿と離れた場所。森を抜けた先の納屋だった。

 将来や愛を語り合い、干し草の上で抱き合って眠り……夜明け前に戻ってみれば宮殿の至る場所で煙が噴き、異常事態に陥っていた。

 今戻るのは危険だろうと、アゲートに言われて納屋に戻ってほとぼりが冷めるのを待った。そして、落ち着いた頃合いに宮殿に近付けば自分の父母や側仕えたちが無惨な姿に変わり果てて野ざらしにされていたのだ。

 それでも彼が自分を貶めただの信じたくもなかった。

 自分に向ける笑顔も愛も何もかも本物だと思っていたのだから。虚無の涙は後から後へと伝い落ちる。

「……事実、俺がシャーロットに近付いたのは、初めは侵略の為だった。けどな、俺はこんな指示をしていない。そもそもこの地を奪っても誰も精霊なんて使役できない。計画の取り止めをただちに言って、早い段階で取り止めになった」

 ──誰がこんな事を企てたかは……間違いなく自分の父や兄に違いないだろうが。と彼は涙で震えた声で伝える。

 返事なんてできなかった。どう答えて良いかも分からない。

 頭に駆け巡るのは先程目にしてしまった死体ばかり。

 自分がこれからどうしたら良いのかだって分からなかった。万が一にも見つかれば、同じように惨殺されておかしくないのだ。

 ……むしろ、彼の逢瀬に答えず自分も惨殺された方が幸せだっただろうか。

 そんな思考さえ頭に過ってしまい、途切れる事もない畏怖に身は震えカチカチと歯が鳴る。

「お願いだ、信じてくれ。……望む事があれば、俺はあんたの為なら命に代えてでも何でもする。この愛に偽りはない」

 正面に向き直されて、しなる程強く抱き寄せられるが、自分だってどうすればいいか分からなかった。

 死者を蘇らせる事も、平穏な日々を返せといっても無理な事は分かる。もうみんな死んでしまったのだ。ならばその元凶を……。

 ──敵を取りたい、リグ・ティーナを滅ぼして欲しい。

 願いとともに恨みの炎は一瞬にして燃え上がった。

 彼も同じ気持ちを味わえばいい。しかし、彼の言う愛が真実かは分からない。

 言葉では何ともでも言えるのだ。行動に起こせるか、本当に命をかける程の覚悟が彼にあるのか……。

 ふと浮かびあがるのは、塔の聳える小高い丘。そうか。あの場所に行けば……。

 シャーロットは彼に向き合い真っ青になって震えた唇を開く。

「……ならば、私とジア・ル・トーに行きましょう」

 以前、そこがどんな場所か夜の者たちの話もした事があるので彼も分かっている筈だ。これで彼が躊躇い逃げだすようであれば愛は本物ではない。〝命に代えてでも〟そんな言葉を軽々出した事を後悔するだろう。

 そうは思ったが──彼は真摯に向き合い「行こう」と頷いた。

 そうして二人は丘へ向かう。その頃には宵が迫る赤紫の空。丘一面に広がる薄紫のヒースの花園は焦げ臭い風の匂いで揺れていた。

 辿り着いた時には完全なる日没だった。

 反対側を見通せる塔の入り口には血のように赤い落陽──二人は導かれるように中に入り、シャーロットは夜の者たちに呼びかけた。

 塔の上空に黒紫の幾何学模様が走り、幾重もの円を描き紋章が浮かび上がる。

 そして開かれる天へと続く扉──シャーロットは〝烏合の軍勢を崩す滅びの力〟を借りたいと願った。その願いに夜の者たちの悪戯気な笑い声がケラケラと響き渡る。

『いいけどさぁ……見返りは高くつくよ』

 心臓の底からビリビリと響く低くくぐもった声だった。

 現れたのは、まさにおぞましい異形。

 人間の顔に獅子の鬣。野獣の身体を持つ全てが真っ黒な生き物だった。

 その手足や首は異様に長く、肋骨をはじめとする骨がボコボコと浮き上がっている。

 顔立ちはアゲートと変わらぬ年端だろう。まるで彫刻のような精悍な面だ。しかし眼球の比率は異様に大きい。

 強膜は真っ黒に濁っており爬虫類のように尖った瞳孔の金の瞳がギョロギョロと動き回っているので、見るだけで不安定な気持ちになる。

 当然だが、アゲートにはこれが見えていない。声だって聞こえていない。

 彼はただ呆然と空を見上げたままだった。

「構いません、見返りはきちんと払います」

 シャーロットが答えてすぐだった。まるで全身の熱を奪われるよう身体が凍てつく心地がした。全身の骨が砕かれるように酷い痛みが走り、ピシピシと何かが自分の中で暴れ回る。

 ふと自分の手に視線を向けると薔薇色の結晶が鱗のように生え始め、シャーロットは悶え苦しみ悲鳴をあげる。

 それに共鳴するように隣から叫びが響く。

 ふと視界に映った彼の身体からは鈍色の物質が身体から突き出していた。骨が曲がり折れる音だろうか。ギシギシと軋んだ音が響き、彼はたちまち異形となり果てる。

 ──顔だけはアゲートのまま。しかし、身体は殆ど人の原形など留めておらず、夜の者とそう変わらない。

 喩えるなら鉄の鳥。しかし、様々な動物を混ぜた異常骨格なので異形の怪物としか言いようもない。

 変貌を遂げようが、彼は苦しげに叫び悶え続けたままだった。しかし次の瞬間、アゲートだったものは大きく目をみはり一際大きな叫びをあげる。

 その途端──彼の身体はジワジワと赤茶色の錆が広がり始める。

『あ~らら。おれ優しいから、無償で君の恋人にも同じ力を授けてあげようと思ったけど、普通の人間だし少し無理があったみたいだこりゃ』

 軽い調子でと謝られるが、そんなの頼んでいないし、ここまで無様なものと誰が予想するものか。

 アゲートの身はたちまち全身が錆び付き悲鳴が止まる。

 そして次の瞬間──彼だったものは音を立ててボロボロと崩れ落ちた。

「アゲート……嫌、うそ……そんな……ぁあああ」

 夜の者と関われば、命を奪われる事くらい初めから分かっていた筈なのに、止め処なく涙は溢れて止まらない。

 彼はそれを分かって着いてきた。

 試すも何も彼は頷いた時点で本気だったのだ。

 復讐心を満たしたいとはいえ、こんな光景を見たかった訳ではない。彼が苦しみ死ぬ所を見て嬉しい訳がない。

 愛した相手だ。初めて好きになった人だ。

 夜会の庭園で話をした時の事。

 何度も重ねた逢瀬。

 二人寄り添い歩める未来を何度夢見た事か……。

 シャーロットは顔を歪めて泣き叫ぶ。

『ああ、お姫様泣かないで。君は僕ら夜の者の関わった時点で、もう天国にも地獄にも行けない。だけど大丈夫だよ。君の〝写し〟は作れるから。彼が生まれ変わった時代に君の〝写し〟を必ず送ってあげるから』

 ──恐らく君らは生まれ変わったとしても短命だろうけど。

 その言葉が最後に記憶だった。

 身体の異変はピタリと止まった途端──シャーロットの赤黒い瞳は薔薇色に色付く。

 次第にライラックのドレスは気泡を含む乳白色の幽霊水晶ファントムクォーツのような色合いに。霧のようなベールを被ったその装いはまるで婚礼装束のように煌びやかではあるが、彼女の手足は完全に薔薇色の結晶に侵されているので異質だった。

 否、もはや人間的ではない。

 耳は尖り、虹彩は広がり……その姿は限りなく自然霊に近い。

 彼女が空間で手を切れば、現れるのは剣と鏡──それが合わさり杖と成る。

 シャーロットは杖を取り振り翳せば、空間には金に煌めく幾何学模様が走る。

 途端に空気は震え、薔薇色の閃光が走ったと同時、地中から巨大クリスタルが轟音とともに突き出てきた。

 広がる衝撃波により樹木は一瞬で枯れ果て、紅蓮の炎を巻き上あげる。

 まるで火砕流が襲いかかるかのよう。森の木々、逃げ惑う人間、動物……と、ありとあらゆる生き物の命を一瞬にして奪っていく。

 悲鳴がそこら中から響き渡り、焦げ臭い匂いが立ち込める。それはまさに地獄としか形容しようがない。

(これが厄災……)

 アイリーンは唖然とその様子を見つめて間もなく、次第に眩い程の白に視界は塗り潰された。

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