しかしエルン・ジーアと……。
アイリーンの夢日記に記載されたものと全く同じだ。まして、今の教団名と発音が若干違うだけで、全く同じじゃないか。
ジャスパーは呆気に取られつつも彼女に話の続きを促した。
「貴方たちが調べた通り、厄災の起源は八百年以上も昔のリグ・ティーナとイル・ネヴィスの侵略戦争が理由です。精霊術士たちの記述によるとリグ・ティーナが現在の石英樹海にあった小国エルン・ジーアを攻め込んだと言われています」
「ほぼ想像通りだな……で、女神と王子の関係とは?」
「男女の関係と考えるのが妥当でしょう。今でこそ規則もゆるんでいるのかも知れませんが、外交の為に王族が婚姻を結ぶのはありふれた話でないでしょうか?」
内容はやはり、アイリーンの夢日記とほぼ同じだ。つまり……国同士の和平や外交を結ぶ為の婚約者だったのだろうか。
「しかし、国同士の結束を深める為に婚約しているのに、リグ・ティーナがエルン・ジーアに攻め込んだっておかしくないか?」
「いいえ。リグ・ティーナは昔から、周辺国とは比べようにならない程産業が発展した国。そして亡国エルン・ジーアは豊かな自然に囲われていた他、昼の者たちの加護を大いに受け資源が豊富だったと長く生きる精霊たちに教わりました。つまり……」
「……全てを横領する為か。元は数多の国々を吸収して領土を広げた国だったしな」
ジャスパーがあっさりと答えると、彼女は少し驚いた様子で頷く。
こうも声色が暗く重々しいのは、仮にもリグ・ティーナの王子という立場なのでどことなく気遣っていたのだろうとようやく分かった。
「あんた……かなり言葉を選んで気遣ってくれたのかも知れねぇけど、別に気にしなくていい。確かに俺の生まれた国の事だが、過去の事実を突かれたくらいでキレ散らかしたりしない」
きっぱりと言うと、彼女は一言礼を言って仕切り直した。
「横領の為に攻め寄せたリグ・ティーナの軍勢。和平の為、国同士を結ぶ婚約の筈なのに……王女は彼に裏切られたと思った。恐らくは戦を止める為……王女は天へと繋がる扉を開き、夜の者たちに助けを求めた」
──見返りとして彼女は、王子もろとも夜の者たちの贄にした。しかし、呪いは二人の命では事足りず二百年に一度、女神と錆の王子として再来し、本来ある筈の寿命を大きく削って短命で散る。
とはいえ、願った者の方が重い呪いを受けるのだろう。
だから女神の方が短命。と……。彼女は淡々と語る。
「天へと繋がる扉……ジア・ル・トーといったか。最近リーアムからそんな話を聞いた。その場所が怪しいのと夜の者の関与は確定か」
「──ええ。そこが厄災の中心ですので、恐らく全てはジア・ル・トーに。夜の者たちは全てを存知でしょう。接触する事によって何が起きるか分かりませんし、恐らく命はないでしょうが」
「なるほどな。俺の予測殆ど当たってたな。しかし、解決方法なんぞなさそうで絶望しかないが……そいで、どうして猶予など与えた?」
「それは、簡単な話です。女神の死亡推定が半年程と予測できただけです。あの身体では逃げようにもない、神殿側の慈悲でしょう。しかしこの数日で石英樹海の精霊たちが異様にざわつき初め、私は彼に厄災が起きる危険を教わりました」
彼女が肩に留まる風の精霊の方を向くと、勇ましい翼を広げ何度も頷くような威嚇姿勢を取る。何を言っているかは分からないが、彼女の言葉を肯定しているのだろうと捉える事ができる。
「おい、あんた厄災が起きる条件は分かるのか?」
ジャスパーが精霊に訊くと、
「……どのような条件で厄災が起きるかは不明との事。それでも範囲は現在の石英樹海同等かそれ以下と想定できるそうです。呪いも四代目。夜の者たちへの見返りも僅かに消化されているでしょう。ですが、決して油断はできないだろうと」
彼女は訳す。しかし、この能力はアイリーンとよく似ている。
思えば女神は王族の特徴を持つ者が成ると聞いたが、精霊術士もそうという事は、彼女とアイリーンは血縁である事が伺えた。
「あんたの王族の末裔とか言ったが、アイリーンの血縁者か?」
訊けば彼女は頷き、目深く被ったフードを丁寧な所作で取り払った。
その中に秘されていた面を見て、ジャスパーは息を飲む。
瞳の色こそ違かろうが、その顔立ちはアイリーンをやや大人にしたような雰囲気でよく似ていた。明らかに血の繋がりはあるだろう。
「母親か……?」
「いいえ、叔母に当たります。現在の女神……アイリーンの母は私の姉です。僅か十八歳で彼女を産み、それから間もなく神殿の決まりに従い処されました。申し遅れました、私はエスメと申します」
エスメと名乗った彼女は一礼する。その表情は暗く硬い。
「母親まで犠牲になったのか……」
「はい。それが女神を産んだ者の宿命ですので。最初の贄は母を。そして今際の時に従者の二人。女神は死ぬまでに三つの魂が必要となります。それにより厄災の力が軽くなると信じられております。なにせ、女神を作った者は死をも司っていますので」
頭を抱えたくなる程に想像を絶する言葉だった。
従者だけではなかったのか。
しかしエスメの感情が乏しい理由がどことなく理解できてジャスパーは納得する。
恐らくリーアムたち従者と同じように、啓示で選ばれたのだと想像は容易い。
女神として姪が生まれ、姉を殺され……その姪を影から見つめる裏方という立場は悲惨としか言いようもない。
「……エスメさん。あんた個人的には姪にどうなって欲しいんだ?」
単刀直入にジャスパーが訊くと、彼女は瞼を僅かに伏せて唇を震わせた。
「叶うものならば、安らかな終わりを望みます」
言葉は淡々としてようが、その表情に僅かな憂いの感情が読み取れる。
「それは本心か? 神官という視点ではなく血の繋がりのある叔母としての意見を聞かせてはくれないか?」
真っ直ぐにジャスパーが訊くと、彼女の肩が跳ねた。
明らかな動揺が虚ろな翠の瞳に現れる。取り乱した事を自分でも悟ったのだろう。彼女は慌ててフードを被り直し、気を取り直すように深く息を抜いた。
「死んで欲しいとは思いません。根本こそ、最初の女神となった愚鈍な王女の責任でしょう。そもそも、今生きる者たちに誰が悪いのなどありません。神殿の者とて致し方ないのでしょう」
はっきりと彼女はそう言い切るが、戸惑うように「一つ後悔を訊いてくれますか」と続け様に口を開く。
「構わんが、女神に遣える神官の懺悔を俺が訊いていいか不明だが……」
「いいえ。神殿と無関係な貴方だからこそです」
「で、その後悔とは何だ」
ジャスパーが訊いて数拍後──「私は昔、
──終わる時には、それをきちんと謝りたい。元に戻してあげたい。彼女は消え入りそうな声でそう付け添える。
……彼女たち。アイリーンだけではない。
もう一人はアイリーンの母の事だろうか? ジャスパーは片方の眉を上げた。