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36 石英樹海の禁域

 ※


「恐らくこの神殿は、千年も昔の建造物と思しいです。二国及び周辺国もこの時代の建造物は砂岩や石灰岩を使う事が多いとの記録が残っておりますので」

 瓶底のような分厚い眼鏡をかけた男は、淡々と説明しつつ石の欠片の入った瓶をジャスパーの背後に控えたヒューゴーに手渡した。ジャスパーの隣には、リーアムが少しばかり緊張した面で座している。

 彼はヒューゴーが連れてきた考古学者だ。

 猫背で前髪が長め。非常に野暮ったい見てくれだが、目がぱっちりと大きい所為かどこか愛嬌のある顔をしている。

 ……顔立ちからするに自分よりも少し若いだろうか。

 そう思いつつ、ジャスパーは彼を横目に見た後、ヒューゴーが撮った航空写真に目をやった。

「で。石英樹海の発現が八百年も昔って事は、神殿は樹海発現前からある建造物で間違いないんだろうな?」

 訊くと彼は頷き、航空写真に写る神殿を指し示す。

「構造は左右対称。本来の姿は宮殿に違いないかと。リーアム様から神殿内の間取りや彫刻などについて伺った際にそう確信しました」

「具体的に言うと?」

「まずは部屋数の多さです。大部分が使われていないようですがね。エントランスを入ってすぐに舞踏会でも開くのかといった程の大広間というのも。それに野外浴場の他、大きな厩舎跡に馬の為の水浴び場まで設けられていた事。普通、祈りの場である神殿にこれらは必要ない設備ですから」

 サーシャの話で、石英樹海の位置する場所に国があった事は既に分かっていた。

 まるで答え合わせ。そう思いつつ、ジャスパーは考古学者の話に静かに耳を傾けつつ黙考した。

 ──愚かな姫君が自らを呪いそれによって樹海が発現した。

 以前サーシャはそう語ったが、その姫君がたとえ愚鈍だろうが、私欲の為に自らを呪って国を滅ぼしたとは考えられない。

 何かの為……その為の自己犠牲か人柱。と、考えた方極めて自然だ。

 そして女神同様に二百年に一度現れるリグ・ティーナに錆の王子の存在。

 これらを合わせ、紐を手繰り寄せていくと憶測がぴったり噛み合う。

 八百年以上、リグ・ティーナとイル・ネヴィスが領土を拡大していた。史書によればそれぞれの国が五つ、六つの国を吸収したらしい。

 石英樹海は丁度リグ・ティーナとイル・ネヴィスに挟まれた位置……。

侵略の標的になったに違わない。

 厄災の詳細は語り継がれていないので想像しにくいが、厄災と呼ばれるくらいなので甚大な犠牲が出たのだろうと想像できる。

 火砕流や土砂崩れのような恐ろしい速さで侵食の波が押し寄せたのか。また、この一帯に巨大地震が起きて地中から石英が突き出て来たのか……。

 中に入って分かったが、あの地は精霊こそいるが、草木は少なく見かける生き物も鳥くらい。非常に侘しい場所だった。

 あれも命を喰らい尽くす侵食か。ジャスパーは眉間を揉み熟考した。

 だからこそ両国は石英樹海を恐れた。

 その地はどちらのものでもないと宣言し、二度と戦を起こさないと血盟関係を結んだ。これ以上、女神の怒りに触れぬ為に……。

 ──触らぬ神に祟りなし。

 具体的な連想は存外容易だった。

「石英樹海出身の従者たちは知らないだけで、イル・ネヴィスから来た坊さんどもは間違いなく事の全てを把握してそうだよな。しかし、なぜに聖エルン・ジーアはこれを隠したのか。何も隠す事などないだろうがなぁ」

「自然霊への信仰や神秘の力、呪い……と、一般的な人間が定義できない超常的な部分があるからでしょうか……」

 やや自信なさげに考古学者は言うが、その理由は妙にしっくりとくる。

 確かにそうだ。鉄の塊が水に浮き、空を飛ぶ事を当たり前としたリグ・ティーナの人間がにわかに信じる話でない。

 そもそもだが、精霊や妖精などの自然霊は信じられていても見えない。

 〝見える側〟のジャスパーから見た〝見えない側〟の印象は、殆どが半信半疑。聖典の中の物語や御伽噺でも聞いた反応に近しい。

 その上、外から見た石英樹海の印象は、過去に火砕流が猛威を振るった死火山でも見るかのような印象だ。

『そんな事もあったらしい。詳しくは分からないけれど』まさにそれと同じだろう。

 認識としては厄災も災害も変わらない。しかし、現在も尚、女神の強い呪いの為に二人の人間が命を捧げているなど誰が思うものか。

「あと一つ……リーアム様。気になる事があるのですが」

 そう言って、彼はリーアムに神殿周辺の看取り図を見せて、ある箇所を指した。

「西方向。この場所に丘があり頂上には塔があるとの事ですが……」

「ええ……ここは、ジア・ル・トーと呼ばれていますね」

「ジア・ル・トー?」

 その意味は〝天へと繋がる扉〟

 西側。確か霧が一段と濃い場所か。滞在中はあの方角は危険だから行くなと神官たちに言われていた。

 確かに、神殿を少し出ればそこら中に自然霊はいる。見えている分恐ろしい目に遭いたくないので勿論それに従ったが、塔があったとは。

「塔が見える事は稀です。常に霧に包まれているので、見えたとしても幽霊のように佇んでいるだけ。ここは完全に自然霊たちの領域。絶対に近付けません」

「だが神殿の関係者にはアミュレットやらの自然霊への対策があるだろ?」

 訊くと、リーアムは首を振る。

「……自然霊には昼を司る者たちと夜を司る者の二種がいます。地、水、火、風……など大地の力を司る者たちなどは基本的に昼の者。しかし、ここには夜を司る者たちもいるそうです」

「夜を司る者……?」

「ええ。昼の者は春と夏に宛てられ「芽吹き、生」を意味していますが。夜の者は秋と冬に宛てられ「枯れる、死」を司っています。植物を枯らし、空気を冷やし、雪を降らせる。生き物が等しく死を迎えて土に還るには夜の者たちが存在するからこそ。石英樹海ではそう言われています。夜を司る者たちは、死を与える者だからこそ、生きた人が関わってはいけない存在です。恐ろしく聞こえるかも知れませんが、ごく自然の摂理です。光があれば影もある。ジア・ル・トーはそんな自然霊たちの住まう天の世界と繋がっていると言われていますね」

 話を聞くからに、きな臭い。

 ──怪しい、間違いなく呪いのヒントの一つや二つ埋まっていそうな気がする。

 あと僅かで希望が掴めそうな気がするが、ジャスパーの思惑を悟ったのか、リーアムは首を振った。

「生きた人が関わってはいけないというのは……夜の者たちを見た時点で死ぬだとか、目が合えば死ぬくらいに言われていますからね。迷信かも知れませんが、石英樹海の人間は厄災をもたらす女神と同等に彼ら夜の者を恐れています」

「いや……厄災を起こす危険性がある少女より、見た時点で死ぬとか言われているそっちの方が充分に怖いだろ」

 だが、そんな存在ならば呪いの一つや二つ容易くかけられるだろうと思えた。

 晶の女神と錆の王子の成り立ちは彼ら闇の者の干渉という説は自然な気がする。なにせ命を吸い尽くす侵食だの死を蝕む呪いにかかっているからだ。

 万が一、昼の者が呪いをかけるとしたら……千年万年と幽玄の命だの、そういった方向のものを与えそうな気もする。

「ジア・ル・トー。調べ甲斐がありそうだな……」

 ただでさえ人を寄せ付けない樹海の中でも、誰もが遠ざける場所。そこに行くのは現実的ではないかもしれないが、神殿の関係者ならば何か知っていそうだ。

 やはり少しだけ希望はある気がする。ジャスパーはほぅと息をつき、時計の針をちらりと見れば、午後七時近くなっていた。

 思えば正午過ぎからずっと根詰めて話してきた。

 周りを見れば、いい加減に疲れの色が出ている。今日はお開きにしようと、ジャスパーは周囲に指示を仰ぎ。応接間の外に出た。

 そのまま自室に戻るのも良いが、缶詰状態だったので少しくくらい外の空気を吸っていきたい。彼は渡り廊下まで出ると段差に腰掛けて空を見上げた。

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