しかし、従者を贄とする件は知らなかった事だ。
神殿は女神にそれを秘していた。当たり前のようにサーシャから聞くまで、自分は知らなかったので、こうも怒鳴り散らされるのはただの八つ当たり。
怒りの矛先を向けるにはお門違いな気がしてならない。
……つい昨日、ジャスパーもそういった。きっと彼女も、理解しているだろうと。
「ねぇ、サーシャ……」
静かにアイリーンが唇を開くと、サーシャは驚いたのか一瞬ハッと目を丸く開いた。
「何よ……」
「私を嫌おうが、恨むだの勝手にすれば良い。だけど、あなたたちを含めて神殿側が隠して来た事を私が知らないのは当たり前。だって女神とはいえ私は〝人間〟よ。他人の思考まで見抜けないわ。だからね、いくら怒りや憎しみに行き場がないからって、私に当たり散らすのは、あまりに幼稚な気がするわ」
はっきりと言葉にすると、サーシャの瞳は大きく揺れた。
「あなたも私も惨めなだけ。私だって女神になりたくもなかった。この世界には何億もの人間がいるでしょうに、二百年に一度の女神に選ばれるってどんなに低い確率に当たったのかしらって思うわ。あなたが私の従者となる確率だってきっと……」
「──それは貴女の勝手な言い訳よ!」
金切り声をあげてサーシャは糾すが、アイリーンは間髪入れずに言葉を割った。
「言い訳……。でも、どちらの方が言い訳がましいかしら。行き場のない怒りをぶつけるには、鈍臭い私が一番丁度良いでしょうけど、あなたは自分が言っている事が八つ当たりだって自分自身が一番よく分かっているでしょう」
──だって、サーシャは小賢しい。従者としての仕事の力の抜き方も心得ていて、リーアムと比較できない程に器用だ。決して物分かりの悪い馬鹿でない。
それを静かに付け添えると、彼女はようやくアイリーンの前髪から手を離した。
一拍後、サーシャはくるりと背を向けて走り出そうとするが──アイリーンは
「逃げるの?」
静かに訊いて間もなく、彼女はアイリーンの手を振り払う。しかし、彼女の表情を見て今度はアイリーンが目を
サーシャが泣いていたからだ。
今まで彼女が泣き顔など一度も見た事がない。意外に思えてしまう部分もあるが、あまりに悲痛な表情を浮かべていたのだから、アイリーンの胸に鋭い痛みが走った。
「私はあんたなんか大嫌いよ……」
──許せない。そう、付け添えた彼女の声は涙で震えていた。そうしてサーシャはアイリーンの手を乱暴に振り払うなり屋敷へ向かって走り去る。
一人東屋に取り残されたアイリーンは暫く、呆然としたまま動けなかった。
自分が原因で、誰かが泣くのを目の当たりにするのは、こんなにも胸が痛いと初めて知った。その上、この
初めて憎悪を告白されたあの日から、嘘であって欲しいと願い続けていた部分はあった。もしかしたら、話せば分かり合えるかもしれないと思った事だってある。
だが、これは完全なる拒絶。無理だと打ちひしがれる。
自然と蘇るのは、彼女と偽りの友情関係を築いた長い年月だ。
気が合わない。それでもいつも耳を傾けてくれた。
この長い髪を手入れしてくれる所作はいつも丁寧で、優しい手つきだった事。それでも全ては偽り……。
信じたくなかった。
やはり喪失感は強く、思い出せば思い出す程に自然と瞼の奥が燃えるように熱くなり、濁流の如く大粒の涙が伝う。
「だって……でも……私はどうしたら」
呪いを解く以外に救われる道はない。かと言って、何をすれば良いのか具体性は欠けている。夢や幻聴など他人からしたら戯言。恐らく役に立たない。
絶対に諦めてくれるなとジャスパーは言ったが……。
先が見えぬ事がこんなにも恐ろしいものかと。
「どうしたらのいいの……助けてよ神様」
現人神というのに神に縋る。この滑稽さ心の中で自嘲しつつも、アイリーンは