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34 激情の再会

 ──蔓薔薇の隙間から溢れ落ちる光は穏やかだった。

 まだ日が高いが、既に時刻は夕刻をとうに過ぎている。普段なら既に夕食の時間になるが、今日、ジャスパーは午後から考古学者を招いて調査の会合を行っているらしい。それも少し長引いているので、今アイリーンは庭園に出ていた。

 調査の件ならば参加すると言ったが、学者は完全に外部の者。

 神殿関係者という名目で従者が参加するならまだしも、女神本人がこの屋敷に滞在しているだの割れるのは良くないだろうとの事。

「アイリーンは自由に時間を使ってくれ」と去り際にジャスパーにキスをされた。

 数時間は、部屋で本を読んで過ごしたり、仕事合間のヴァラと会話を楽しんだりしていたが、やはり少し外に出たくなって庭園にやって来た。

 庭園はアイリーンのお気に入りの場所になっていた。

 この一角には伝書鳩の鳥小屋もありグウィンに会える。顔見知りの鳩たちと会話を楽しむのもアイリーンにとっては良い気晴らしだった。

 それに何と言っても薔薇をはじめとする植物に癒やされるからだ。

 この庭園は彼に連れてきて貰った事もあって、特別感があるのだろうか……。

 あの日の事だってまだ最近だが、妙に過去の事のように感じられる。

 それに、まだ唇に真新しく感触が残っている気がする……。

 自分の唇に触れて、アイリーンは熱っぽい吐息を吐き、昨日をはんすうした。

 そう……雨宿りの終わりにとんでもない事を言われたのだ。

『今の俺、もうキスだけじゃ我慢できないと思う。アイリーンはさ、牛が言ったみたいな事……なんて、まともに考えた事はないだろ?』

 ……つまり、肉体的な繋がりを強く示唆されてアイリーンは言葉を詰まらせた。

 結果帰りは若干気まずかった。しかし彼は何ら変わらなかった。

 いつも通りのしれっとした調子で手を繋いでくれた。歩みながら横顔を見たが、あのの色香はなくなり、いつも通りの飄々とした彼に戻っていた。

 照れているのは自分だけ。そうだ、そもそも彼は自分よりも幾分か大人だ。似た呪いを持っていても、自分とは全く違う生き方をしてきたのだ。

 そう思うと、どことなく腑に落ちる。それでも、自分ばかりが……なんて思考が過って恥ずかしくも悔しい気持ちが芽生えてくる。

(ずるいわ……)

 それでも大きな愛に満たされている自覚はあった。

 きっと彼だけは裏切らない。自分を傷付けたりなんてしない。

 そこには〝絶対〟なんて根拠はないが不思議とそう思える。

 アイリーンは東屋の柱に這う薔薇をぼんやり見つめながら一人で微笑んでしまった。

 しかし、あまり呆けていても良くないだろう。

 自分の従者たちに情けない顔はあまり見られないたくないし、同等の苦境の立場を強いられている。自分の存在はその元凶だ。そんな自分が幸せになって良いのか。幸せと感じて良いのか……。

「本当に……いいのかな、私」

 何度も重ねた自問自答を独りごちた途端だった。

「……随分大きい独り言ね」

 どこか呆れた──否、嘲るようなこの声が響く。アイリーンがハッと視線を向けると、背後にサーシャが立っていた。

「サーシャ……」

「あら久しぶり。元気にしていたかしら?」

 いやに刺々しく言われて、アイリーンは答えられずいれば唇を歪めた彼女はせせら嗤いながら、アイリーンの隣に腰掛けた。

「一人でニヤニヤしていやらしい。頭のゆるい女神は気楽でいいわね。人の不幸も考えず色恋にボケて全く何様のつもりなのかしら。どうせ、頭のゆるいあんたの事じゃ毎晩あの変人公爵に跨がって腰でも振っているんでしょう? 淫売」

 大半の意味が分からない。

 それでも、恐らく淫靡な関係をほのめかす事を言われている事はどことなく理解できる。アイリーンはみるみるうちに蒼白になった。

「そんな事していないわ……」

 事実、彼が好きだ、愛している。

 なので色恋にボケて。の部分は一切否定できない。それについ先程まで、自分でも本当にそれで良いのかと少し悩ましく思っていたのだから。

「ふぅん。まぁそんなのどうでも良いし、聞きたくもないけれどね」

「聞きたくもないなら、私と話なんてしたくないでしょ。サーシャは……わざわざ私にそれを言いに来たの?」

 目もくれずに訊けば、彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「何、悪いの? 慈悲深い私はあんたが放置している現実を教えに来てあげただけよ。少しはありがたく思ったらどうかしら?」

「私、サーシャにあの時言われた言葉は全部、片時も忘れてないわ……」

 今も尚心の奥を酷く抉り、今も尚、刺すような苦痛を覚える程だ。

 その所為か心は酷く軋み、早くも涙が滲みそうになる。

 言葉だって上手く出てこない。

 そんな様子に呆れたのか、サーシャはまたも鼻を鳴らした。

「調査の件は、できる限りの協力をしているわ。だけどね。私の事はいくら悪く言ったって構わないけど、ジャスパーの事を悪く言わないで。確かに少しだけ……」

 変わっているだろうが彼は極めて真っ当だ。それを告げようとするが、サーシャは言葉をさえぎる。

「あんたってさ……とんでもない悪女よね。いくら数年隠れて文通していたとはいえ、ぽっと出の公爵に攫われて、そちらにお熱。気持ち悪いくらい長く慕って来た方を見た事なんて一度もなかった」

「え?」

 どういう事だ。アイリーンが眉を寄せると、サーシャは険しく眉を寄せた。

「本当に鈍いのね、リーアムよ! あいつはあんたを随分長い事女として見ていたわ。あまりに過保護でそれはもう気持ち悪い! あいつは完全にあんたを諦めたみたいだけど、それでもあんたを信仰している。よくもこんな穢らわしい疫病神を愛せるものか。いい加減に目を覚ませと思うわ!」

 暴言と同時に告げられた言葉にアイリーンは硬直した。

 初めて知った。しかし、リーアムが自分に好意を寄せていたなど今は関係ない話だ。それに本人から言われた訳ではない。嘘かまことか定かでない。

 そもそも、個人的な話を勝手に明かされたリーアムが不憫だ。そういう好意ではないかもしれないのに……。

「それはリーアム本人から聞かない限り、私は信じないわ」

 なるべく冷静に言うと、サーシャは鋭く冷ややかな視線を再び向ける。

「──で? 女神様は愛する王子様と一緒に呪いを説く気でいるみたいだけど、どうやって私たち下々を救ってくれるというの?」

「事実、あなたは私の従者よ。だけど下々なんて言わないで」

「は? 事実、下々でしょう?」

「私、あなたを見下して見た事なんて一度もない。救う方法はまだ分からない。そもそも私、あなたが打ち明けるまで従者が贄なんて知らなかった。私は贄なんて欲しくない。だから……」

 熟考し言葉を選びつつ言うが、やはり突っかかる。

 アイリーンはしばし黙考した後──「あなたがリーアムを連れて遠くへ逃げれば良いわ」と結論を出すと、彼女はたちまち血相を変えてアイリーンの前髪を掴んだ。

「痛っ……」

 頭皮が引っ張られて酷く傷む。

 顔を歪めて間近に映るサーシャを薄目で見つめてすぐアイリーンは少し驚いた。彼女の表情があまりにも悲痛で苦しげだったからだ。

「──この馬鹿女! どの口が言うのよ。あんたは何もできない癖に! あんたは私の想いを何も分かっていない癖に! 考えなしで愚鈍、こんな疫病神がどうして生きている事が許されるのよ!」

 浴びせられる罵詈雑言は刃のようだった。痛みに胸が軋み、勝手に涙が滲んでくる。

「サーシャ……」

 立場と状況は違っても同じ運命。年月の中、死への覚悟はできるので、今の彼女が自分の末路や死を恐れているだけでないと分かる。

 ならば、私が憎いだけでなぜにそこまで苦しげなのか。想いとは? 何がどうしてそんなに苦しいのか……。

 投げつけたい言葉は頭を巡るが、上手く言葉が出てこない。

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