「え……?」
好きと。その言葉に驚き、ジャスパーを見上げれば、彼は形の良い唇を再び開く。
「やっぱ我慢できない。ごまかせないからちゃんと言いたい……文通していた時からアイリーンが好きだよ。実際会って、素直過ぎる可愛いの暴力って思った」
「え……?」
情報過多でアイリーンは唖然としてしまう。
確かに可愛い可愛いとジャスパーに何度も言われたが……。
「可愛いが過ぎて愛おしい。だから照れるさ。〝友達だろ〟とか言ったけどさ。俺結構ストレートにあんたに好意をぶん投げて来たけど察してなかったか?」
……そう訊かれても。アイリーンは眉を寄せた。
確かに彼の言葉の片鱗にいつも強い想いを伺えたが、それはあくまで呪いを説く為。似た運命を辿る仲間意識だからと思えたのだ。
しかし頬が熱い。
自分だって同じ気持ちだ。彼も同じ気持ちと知ると、嬉しさが沸き立つが、同時にムズ痒い照れくささが込み上げる。
「どうして私を……」
好く要素はどこにあったのか。アイリーンがおどおどと訊けば、彼は大袈裟なため息を吐き出した。
「そういうとこだ、ばーか」
「ば、馬鹿?」
馬鹿は酷いだろう。自分が知っている言葉の中ではなかなかに酷い言葉だ。アイリーンが捲し立てようとするなり、彼はすぐに続きを切り出した。
「……前も言ったけどさ。事実、最初は自分の為の打算だった。でもな、伝書鳩に名前付けたり、温かくなってヤグルマギクが咲いた事を喜んだりとかさ。アイリーンがあまりに純粋過ぎて可愛いって思った」
……どこか稚い純朴さ。素直さ。それでいて可憐で女の子らしい。
理由を一つずつ並べられるが、嬉しい反面で恥ずかしくて仕方ない。
「そんなアイリーンにずっと恋していた。今は愛おしくて仕方ない。だからな……」
──俺の生活にアイリーンが欲しい。俺の恋人になってくれないか?
続けて告げられた言葉にアイリーンの全身は瞬く間に熱を帯びた。
まるで夢でも見ているかのような台詞だった。
まさか自分が、どうして自分が。
そんな気持ちも込み上げるが、どこかこそばゆくて仕方ない。
「私がジャスパーの恋人に……?」
「そう。断っても、別にこれまでと変わらない」
そもそも、アイリーンは恋人がどういったものかあまりはっきりと分からない。男女は夫婦となっていずれ子を授かる。
恋人がその前の過程とは分かるが……。
きっと夕方に教わったようにキスをする特別な関係とは分かるが。他にどんな事をするものか。アイリーンは困って眉を寄せる。
「あ、あのね。私も文通を重ねてジャスパーを好きになったわ。いつも楽しみで、私の最初で最後の恋だって思っていた。実際に会って、最初は言葉が汚くてとても意地悪そうな人だなって思ったけど……」
「言葉は汚くて、意地悪そう……」
後半を復唱すると、彼はジト……と目を細めた。
「で、でも……ジャスパーといるだけで、いっぱいドキドキするの。不思議と意識して、いつも恥ずかしくなるの。多分、同じ気持ちかしら。だけど恋人ってキス以外に何をすれば良いか分からないわ」
素直に伝えると、ジャスパーはきょとんと目を丸くする。
それから間髪入れず、溌剌とした笑い声をあげた。
「なに、恋人になろうがなるまいが大きく変わらないけどな。恋人になるなら、無理ない程度に色々とゆっくりと教えるさ。ただな、恋人になるなら俺はアイリーンから決定意的な言葉をはっきり聞きたい。アイリーンは俺を男として好きか?」
真摯に訊かれてアイリーンは静かに頷く。
「……ジャスパーは私の特別よ。男性として好き」
素直な言葉を継げた途端だった。しっとりと柔らかなものが唇に触れる。途端に胸の奥で底知れぬ幸福感が弾けてアイリーンは瞼を伏せた。
教えて貰ったばかりのキスはあまりに心地良い。
頭の中をちりちりと焦がすよう。甘美な刺激が背筋を走る。
もっとされたい。自然とそう望むが彼の解放は早かった。
名残惜しかった。それは彼も同じだっただろう。
間近で見たジャスパーは、どこか余裕の欠けた顔をしていた。
もっとしても良いのに。もっとしたい。そうは思うが、言葉にするのも恥ずかしい。
「ジャスパーは……本当にこんな私で良いの?」
泣き虫ですぐにウジウジとしてしまう自分なんかで良いのか。そう訊くと彼は、少し呆れたように息をつく。
「アイリーンがいいんだよ。というか俺はあの魔境とも呼べる石英樹海を攻略したくらいだから、執念深い点はこれから覚悟しておけ」
多分鬱陶しいほど、ねちっこい。ジャスパーはそう自嘲した。
しかし〝これから〟なんて、未来を意味する言葉はやはりまだ聞き慣れない。
自分にはないと諦めていたものだ。それでも、まだ生きたいと思い続けた事は事実。これからの先があるならば……。
「……ジャスパー〝これから〟も宜しくね」
そう答えるとジャスパーは嬉しそうにアイリーンの頬に唇を寄せた。
それから、二人で海を眺めながら文通していた頃の話をいくらかした。
初めは悪戯だと思った事。それでも外の世界には興味が惹かれた事。一つ知ればまた二つ目を知りたくなかった事……。
話に花を咲かせつつ星空を見上げて流星が流れれば歓声をあげる。
その中、ジャスパーはこんな話を教えてくれた。
──流星は神々の国の扉が僅かに開いた時に見える光なのだと。
その扉が開いている間、神々に願いや祈りが届くそうだ。
光が消える前に三回願い事を唱える事ができれば、それは成就するらしい。
目が開いた赤子の時点で神格化された自分が神に祈るだの不思議な話だが、祈って叶うものなら縋りたいと思えてしまう。
あの光の向こうに住まう神々は何万何億年と歴のある先人だ。
それに比べて自分なんてせいぜい女神十七年目──人の願いや祈りなど叶えてあげる事もできない。
むしろ破滅と厄災を司る悪神の部類になるだろう。
それが祈るだの滑稽な話かもしれないが、そんな話を訊けば祈らずにいられなかった。
(──私たちに明るい未来がありますように)
手を組み懸命に心の中で唱えるがせいぜい二度が限度だ。叶わないだろうか。それでもどうか一言だけでも届いて欲しい。
──厄災を起こさず、自分たちの代でこの呪いを終わらせたい。
生きていたい。ジャスパーの願いは自分自身の願いだと思えたから。この人を死なせたくない。悲しませたくない。
アイリーンは熱心に夜空に祈り続けた。
そうして
もうすぐ空が白み始める頃か……。
今まで黒い水たまりのようにしか見えなかった海も広大な輪郭が見え始める。
「じきに夜も明けそうだ、帰るか」
眠たげに欠伸を一つ。微睡むように言うジャスパーはアイリーンを立ち上がらせた。
その後、屋敷に着いたのは空が白み始めた頃だった。
騒々しい帰宅にやって来たのはヒューゴーだけ。
しかし、幾部屋かカーテンが開くのが見えて誰かしらに見られているのが分かっていたたまれない程に気まずくなる。
「乙女を夜に連れ回して朝帰りですか……」
さすがに領主として感心できない。と、やや呆れたように言われるが、ジャスパーは「眠いから後で」なんて場を制するとアイリーンを連れて部屋の前まで歩んで行く。
「そのまま返したくないとこだけど、おやすみ」
丁寧に髪を描き分け額に口付けると彼は自室へと消えて行った。