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21 賑やかな晩餐

  ※


 ──二人だけの秘密。指を絡めて約束をした後、着替えを済ませるから席を外して欲しいと言われて、アイリーンは部屋に戻った。

 そもそも彼の部屋に来た理由は〝自分にできる事をしたい〟と意気込んだからだ。それを言っていないので、ジャスパーからすれば、人の部屋で眠りこけていたのはきっと奇っ怪だったに違わない。

 言わなくては。夕飯の席で話す機会があるだろうが……早めに話がしたい。そんな願いが通じたのか、暫しして、ジャスパーはアイリーンの元にやって来た。

 先程のどこか余裕のない顔と変わって、彼はいつも通りに戻っていた。

 むしろどこかスッキリとした表情だった。髪の毛も僅かに濡れたままなので、入浴して気持ちもさっぱりしたのだろう。

 要件はリーアムが心配しており会いたがっている旨と、一緒に食事でもどうかとの誘いだった。

 願ってもいないチャンスが舞い込んできた。

 アイリーンは即答で合意し、ついでに彼の部屋で寝ていた理由の発端を話せば、どこか納得した表情を浮かべていた。

 それでもやはり、〝あまり無防備にならないように〟と再度釘を刺された。

 しかし会食となれば、だらしない格好で行く訳にはならない。

 アイリーンは久しぶりに夜着を脱いだ。入浴は毎日していたものの、あれから殆どの時間を夜着で生活していたのだ。

 我ながら酷い堕落ぶりだったと思った。しかしここから巻き返さねばならない。自ら動こうと、彼の言ったように運命に逆らい呪いを断ち切ると決めたのだから……。

 スリップ一枚になったアイリーンはクローゼットを開き見慣れた装束に手を伸ばす。

 リーアムのいる席ならば女神装束でいるべきだ。

 顔を出していればそれを指摘され、彼にどやされた記憶はまだ新しい。しかしどこか懐かしささえも感じてしまう。

 きっと彼自身も今、複雑な気持ちに違わない。それなのにこちらの心配をしているだの聞けば、これ以上心配をかける訳にはいけないように思えてしまう。

(しっかり向き合わなくちゃ……)

 フードをきっちり目深く被って、パーティションから出ると、すぐにこちらに歩み寄る人の気配がする。気持ちが落ち着く匂いだけでジャスパーと分かる。

「それ着たんだ」

「ええ、リーアムもいるのなら一応正装でいるべきかと」

「もう今更だと思うけどな。顔も出せ。大丈夫だろ」

 そう言ってジャスパーはアイリーンのフードを捲り上げた。

「え……でも」

「もう平気だって。それにここは神殿じゃないだろ? 俺の屋敷だし俺が規則だ。女神だ従者だの関係ない。さ。行くぞ」

 なんという無理矢理な理論か……。

 しかし、彼が言うと〝そういうものか〟と妙に安心し納得できてしまう。

 アイリーンは差し出された彼の手を取った。

 そうして彼にエスコートされて着いた先は、波乱の再会を果たした応接間の隣部屋だった。

 広々とした部屋で中央には長テーブル。その真上には煌びやかなシャンデリアが煌々と灯っていた。

 ワゴンの上にはパンやワインの他に料理が数々乗せられており、ヒューゴーと二人の若いメイドが配膳を行っていた。

 既にリーアムは席に座していた。しかし、二人が入室すると彼はこちらに顔を向けて席を立ち恭しく礼をするが、ヒューゴーに促されて再び着席する。

「さて飯にしよう、ヒューゴーも給仕はメイドたちに任せて席に着け」

 ジャスパーは椅子を引いてアイリーンに座るように促した。

 前回と同じく、リーアムの真正面だ。アイリーンはやや緊張した面で座すと、彼は少し居心地悪そうにアイリーンを見つめた。

「あの、アイリーン様……先日はサーシャが申し訳ありませんでした。僕自身が従者として情けない部分を見せた事、心から詫びさせてください」

 リーアムが開口一番に放った言葉にアイリーンは目をしばたたく。

「それは私の方こそ……無知で……」

 先に詫びられると、自分はどう出れば良いか分からない。

 アイリーンは早速困惑した。まさかいきなり謝られると思いもしなかったのだ。

「確かにサーシャの語った事は事実ですが、僕は……」

 そこまでリーアムが語るが、アイリーンの隣から大きなため息が響く。

「募る話だろ? 後にしようぜ。ここは俺の家だから、今は俺に従ってくれな」

 ジャスパーが呆れたように言うので、リーアムは腑に落ちない顔をした。

「ですが……」

「だから、後でいくらでも語ってくれ。俺からもあんたやアイリーンにしたい話はたんとある。だけどな、飯は美味いうちに食え。それが飯を作った料理人や給仕をする使用人たちに向けての最上級の礼儀だと俺は思っている。郷には入れば郷に従えってやつだ。客人にも一応これに従って貰いたい」

 納得する他なかった。リーアムも同様でそれ以上は何も言わず、皆で祈りを捧げるなり食事を開始した。

 しかし、こんな大人数で会食などアイリーンは初めてだった。

 少しばかり気まずく思えて食事がどうにも進まないが「ゆっくり食べろ」とジャスパーが言うので、言われた通りに自分のペースで食べる事にした。

 そうしてアイリーンが主菜を食べ始めた頃には、男たちは既に食事を終えて、食後の紅茶を啜り始めながら話を始めた。

「初めに、調査の協力を快諾してくれた事に感謝する。初対面であんたに得物を突き付けられた時には、俺は石英樹海で死ぬもんだと思ったがな」

 戯けた調子でジャスパーが切り出すと、リーアムは苦笑いを浮かべた。

「ですね……とんだ不届き者が来たと思いましたし、ここで貴方と再会した暁には刺す気満々でしたけど、ヒューゴー殿に剣を没収されたので殴る事も考えましたよ」

 あの堅物のリーアムがここまで気さくに話をしている様にアイリーンは驚いてしまった。それも僅かに笑んでいるのだ。

 たった一ヶ月、されど一ヶ月……。

 否、ヒューゴーに関してはそれ以上。

 神殿に若い男はいないので心も開きやすかったのだろうか。初めて見るリーアムの側面を不思議に思いつつ、アイリーンは男三人の会話に耳を傾けた。

「とりあえずだ。いきなり今の今、本題をがつがつと詰めても仕方ない。半年の猶予もあるから過剰に焦る必要はないと思う。だから今回はあんたの事や神殿の事を聞きたい。そういえばあんた、初対面の時に無国籍者って言っていたな?」

 ジャスパーが訊くと、リーアムは戸惑いつつも頷いた。

「ええ。以前貴方に言った通り、僕は石英樹海生まれの無国籍者です。石英樹海は遠い昔一つの国があったとサーシャが語りましたが、僕らは、その亡国の住人の末裔に当たるだろうと言われています。今では国や街の面影など残っていません。それでも二百人以上の民が二つ、三つの集落を築いて生活しています」

 ──そんなにいるのか。と、ジャスパーは驚き話の続きを促した。

「国が滅びた理由は以前サーシャが語った通り。初めの女神となったとされる姫君の起こした厄災とされています」

「内部の人間でも歴史の真相は鮮明ではないのか……」

「ええ、そうです。ヒューゴー殿から聞きましたが、外の世界では厄災の歴史を忘れ去っているそうですね。それと同じですよ。樹海の内部でも詳しくは語り継がれていません。それでも、樹海の発現理由は恐らく、リグ・ティーナとイル・ネヴィスとの大きな因果があるのではと容易く想像できます」

「と言うと……?」

「リグ・ティーナ人の方たちに、まして王族のジャスパー殿に不敬に当たるかもしれないので申し上げにくいのですが……」

「錆臭いリグ・ティーナ人だの初対面の俺に言ってんだ。今更じゃねぇの?」

 ジャスパーが笑うと「それもそうですね……」と、彼は苦笑いを浮かべる。

「リグ・ティーナもイル・ネヴィスも小さな国を幾つも吸収して成り立った国──恐らく石英樹海があった亡国にも侵略しようとしたのでしょう。二つの国の成り立ちと、石英樹海の発現が程近い年代とは言われているので」

「ああ……それなぁ。俺の先代もそれを説いていた。俺たちの先祖が戦争しまくっていたのがきっと石英樹海の発現と繋がっているのだろうなって。内側の話とこっちの話を照らし合わせると何かと辻褄が合う。それに、厄災を鎮めたのは、エルン・ジオ聖教を開教したイル・ネヴィスの坊さんだ。だから、神殿の者は間違いなく全てを把握してそうだと思ったが……まして従者ならば」

 ジャスパーの問いにリーアムは首を横に振った。

「申し訳ないです。僕はそれ以上何も存じていません。そういった話を司祭や神官たちとした事もなかったですから……恐らく聞いても答えない可能性があります。神殿に上下関係はあります。やはり司祭や神官たちの方が立場は上になりますので」

 ──女神を最上位として、一人の司祭に八人の神官。そして従者は一番下に当たる。

 神殿は女神を含んで十二人の組織。リーアムはそう付け添える。

「……しかし、よくぞここまで長期間、樹海の外に出るのが許されたな。それに、あんたたちどうやって陸路で来たんだ?」

 確かにそれは気になっていた。ようやく食事を終えたアイリーンは、メイドの注ぐ紅茶に目をやりながらジャスパーとリーアムの様子を盗み見る。

「原因を作った人がそれを言います?」

「そりゃな。こちとら命がけの強行突破だったからな。神殿側が恐れ敬う女神を追いかけない訳がないと踏んでいたし、対自然霊の手立てはあると思ったが、果たしてそれがどんなカラクリを使ったかは気になる」

 リーアムはジャスパーに対して呆れた視線を送りつつ、懐から銀のリースの絡んだ十字のチャームを出した。

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