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19 握り返された手、完全なる和解


 屋敷に戻り、応接間に直行すると既にリーアムは一人でぽつんと座っていた。

 並々と注がれた紅茶はもうとうに冷めているのか湯気は立っておらず、焼き菓子にも手を付けていない様子だった。

 初めの威勢はどこにやら。

 元々線が細い中性的な風貌と思っていたが、今はそれに拍車をかけるように弱々しく見える。顔色が悪いので尚更か。

 しかしその視線には、はっきりと精気が宿っているのでほんの少し安心する。

「待たせたよな……悪かったな、仕事に出ていた」

「いえ。お忙しい所、申し訳ないです」

「別に良い。自由出勤だからな」

 自由出勤の意味がよく分からないのか、彼は神妙な顔をするが話が脱線しそうなので、すぐに本題へと進んだ。

「どうしたんだ? アイリーンの事かサーシャの事だよな?」

 尋ねるとリーアムは頷く。

「アイリーン様の事で。サーシャは気分が優れないようでずっと引き篭もっていますが。アイリーン様はあれからどうなさっているかとても気がかりで。今更会わす顔がありませんが、もう一度アイリーン様に会いたく思い……」

 リーアムの声は段々と萎んでいく。ジャスパーはこめかみを掻いて、ううん。と小さく唸った。

「……あんたって多分難しく考え過ぎじゃないか?」

 即答の結論にリーアムはいぶかしげに眉をひそめた。

「と……いうと」

「確かにアイリーンは、今のあんたみたいに悲しげな顔で傷付いちゃいる。だが、これも時間の問題だろ? だって、知った以上は後ろに引き返せない。どんな残酷な事でもなかった事にならないんだよ。でもな、前に進む事はできるだろ?」

 リーアムは呆気に取られた顔をする。まるで信じられない言葉でも聞いたかのように何度も目をしばたたくので、ジャスパーはやれやれと首を振った。

「だってよ。ウジウジ留まり続けるのは簡単だが、半年って時間制限が付いてる状況だ。俺も命に関わる侵食を受けてる身だから分かるが、アイリーンだってそのまま動かないなんて選択する筈がないと思う。そもそもな、どんな悲嘆に打ちひしがれようが、人は時間が経過すると冷静な判断ができるんだ。それに、あの子は酷い痛みに毎度耐えてきた。心の芯まで脆い筈がない」

 ──動けないならば手伝えば良い。自ら立ち上がったら支えてあげれば良い。俺よりあんたの方が長年見てきたから、あの子の芯の強さは分かるだろう。

 全て伝えて彼を見ると、リーアムは目をみはっていた。

 俺は何か変な事を言ったか? そう思いつつ、ジャスパーは目を細める。

 それから数拍置いた後──

「女神と対。錆の王子が言うと恐ろしい程の説得力ありますね」

 と、彼は穏やかに話を切り出した。

「貴方が言うように、僕はややこしく考え過ぎていた気がしました。それに、考える程、自分がアイリーン様に拒絶される心配ばかりで恥ずかしく思えました。僕は全て諦めてあの方を見殺しにしようとした。それこそ貴方の言う通りきっと冷徹な〝人でなし〟だったかも知れま……」

「あれは言い過ぎた」

 言葉をさえぎると、リーアムは神妙な顔でジャスパーを見つめる。

「……確かに頭ごなしに怒り散らすあんたに腹が立ったから、わざと喧嘩売るような言葉を選んだ。それは詫びる。酷い言葉を選んで悪かったよ。それとな、あんたはサーシャとかって女の従者に比べてアイリーンに対して情があるって後で分かったからな。そもそも人間関係のあつれきだのアイリーンさえ知らなかった事だ」

 ──その言葉はもうどこか遠くに放り投げてくれ。悪かった。と、今一度深く詫びると、緊張の糸が解けたように、リーアムの表情は少しばかり和らいだ。

「改めて和解しましょう、ジャスパー様。僕こそ度重なる無礼をお許しください」

 そうしてリーアムが頭を垂れるが、ジャスパーは「よせよせ」と手を振った。

「和解はありがたいが、敬称は付けるな。あんたは多分俺と歳は離れてないだろ?」

「今は二十二歳ですが」

「なんだよ、同い年じゃん」

 だったらもう少し言葉を崩せと言おうとしたが、ジャスパーは口を噤む。

 アイリーンが崩した言葉を使えるのは女従者のサーシャの影響だと窺える。主従であれど女同士。手紙の中で彼女は、サーシャの事を〝従者だけど親友。性格は正反対だけど仲良し〟と語り、彼女とのやりとりをよく書いていた。

 片やリーアムはどうだ。

 アイリーンも手紙の中で彼の存在を〝厳しいけれど昔は優しかった。兄がいればこんなだろうか〟とだけ。

 リーアムの生い立ちは想像できない。

 初対面で、冗談も通じない程の生真面目さと思った程だ。それにまだ凄惨な過去が隠されていそうで、気安く踏み込めない。

「しかし、貴方はリグ・ティーナの王族。敬称も付けないのは不敬な気も……せめて〝ジャスパー殿〟でも宜しいでしょうか?」

「まぁ様よりはマシだな、じゃあ、それでいいや。あとさ、あんたってアイリーンやサーシャとは付き合いが長いのか? あの子らが同じ歳と手紙のやりとりの中で聞いていたが、あんただけ歳が離れてるからな」

 当たり障りなく訊くと彼は「ええ」と頷いた。

「僕とアイリーン様、サーシャは主従を抜きにすれば幼馴染みのような間柄でしょう。司祭が母親から生後間もないアイリーン様を引き取る場面に僕はいました。僕は生まれて間もなく神殿に引き取られて、女神の為に忠誠を尽くす教育を施されました。アイリーン様とは僕が五歳の頃からの付き合いです。サーシャは十歳の時に神託で選ばれたので、それからですが」

 やはりか。ここまでリーアムに俗っぽさがない理由が明確となり、ジャスパーは納得する。

「なるほどな。そういえば、アイリーンはあんたの事を〝もし自分に兄がいたらこんなだったかも〟なんて手紙で教えてくれた事がある」

 これくらいは伝えても良いだろう。

 リーアムは少し照れくさそうな顔をした。

「そうですか。勿論、僕からしてもアイリーン様は目に入れても痛くない程に愛おしくて堪らぬ存在でした」

 心底愛おしむような表情を浮かべるので、ジャスパーは思わず見とれてしまった。

 初対面から思ったが彼はなかなかに美丈夫だ。

 中性的でどこか神秘的な雰囲気さえ感じる。

 しかし、今は男の顔をしている。

 ああこれは……。好きなのだろう。それを確信して、ジャスパーはやれやれと首を振るう。

「あんたは立場上言いそうもないが……多分、女としてアイリーンが好きなんだろ? 言うかどうかは好きにすれば良い。だけどな、今の言葉に偽りはないだろ?」

 訊けば彼の頬はたちまち赤らんだ。目をみはった表情からあかさらまな図星だ。

「……ええ、言葉に嘘はないですが」

「それこそ本人に言ってやれ。あの子が今塞ぎ込んでいる理由は、自分が何も知らずに生きてきた事だ。そしてあんたたちに〝拒絶された〟と思い込んでいる部分だ」

 ──複雑な言葉は余計に拗れる。だから、素直な思いを伝えてやれ。ジャスパーがそう付け添えるとリーアムは頷いた。

「貴方は本当に何枚も上手でしたね。悔しいですが、運命の相手なだけある」

「運命と呼べば、そうかもしれないが、事実あんたの方がアイリーンの事をよく知っているだろ。俺からしたらそれは羨ましい」

「貴方はやはり……アイリーン様を女性として愛してらっしゃるのですね」

 自分でも驚く程、素直に頷いていた。

 唇を奪い〝友達〟なんて言っておきながら本人にはまだ伝えていないのに。

「俺は間違い無くアイリーンを渇望していた。だから、俺たちは救われたい。神殿のおぞましい習わしだって終わらせたい。夢物語と言われても、俺はそれを成し遂げたい」

 ──呪われた歴史を終わらせたい。

 はっきり告げると、リーアムは深く頷いた。

「僕はあんなに間近にいたのに何もできませんでした。運命と諦めていました。なのに、貴方は外から来た。そして我々を欺き行動を起こした。大したものですよ」

「いいや。宿命は変えられないが運命は変わるからな。一か八かで日々悪あがきをしているだけだ。時間をむだにしたくない。しょげた顔で過ごして勿体ないからな。あとよ、俺の事は気に食わないままで構わないが、今後嫌でも関わるから、できるだけ穏やかに頼む」

 もう剣は突き付けないでくれ。揶揄からかってやると彼は唇をゆるめる。

「二度とそんな無礼はしませんよ」

 初めてリーアムの笑んだ顔を見て、ジャスパーは思わず見とれてしまった。

 壮麗な顔立ちがくしゃっとする笑み方は思ったよりも人間的で年相応だった。

 しかし、アイリーンに口付けた事なんか暴露すれば、その笑みを崩して今すぐ剣を抜かれそうな気もするが……いいや黙っておこう。

「宜しくなリーアム」

 ジャスパーが立ち上がり手を差し出すと、彼はしっかりと手を取ってくれた。

 壮麗な容姿とは対照的な骨張った男らしい手だった。

 腰に携えたその剣は伊達ではない鍛錬を重ねた手……明らかに自分の手よりも逞しい。

 ジャスパーはその手を固く握り返した。

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