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16 錆の王子の運命

  *


 錆の王子の特徴──金の瞳で生まれた時点で王位継承権を失った。

 それどころか、なかったものにされてしまった。

 生まれてすぐに乳母と一緒に離宮に入れられたが、家族は誰も自分に会いに来ない事に不満を感じたのは幼少期だけ。しかし、これが自分にとっての〝当たり前〟と認識してしまえば苦でなかった。

 間違いなく自分は聞き分けの良い子どもだっただろうと思う。

 否、自分はきっとに生まれてきたのだと分かれば、誇らしいものとさえ思えた。

 王位継承権も持たぬ錆の王子は頭脳明晰。まさに神童と囁かれていたからだ。

 その理由は、二百年前の錆の王子フリント・ヒューズ・リグ・ティーナの功績と結び付く。

 彼のお陰でリグ・ティーナは工業がここまで発達したと言っても過言でない。

 錆の王子フリントに与えられた領地は石英樹海を間近に望む荒涼とした北西部ギオケルメだった。

 そもそもリグ・ティーナは土が痩せており、作物があまり育たない。ましてや、このギオケルメときたら、一年の半分程は曇り空。間近に山脈を臨む地形から、冬期は空っ風が吹き荒れ寒さが厳しい。育つ作物など壊滅的だった。

 しかし、彼が採掘に着目した事で転機が訪れる。

 幸運にも鉱山が見つかったのだ。そうして麓街は製鉄工場がたちまち増えた。また石英樹海周辺の河川では希少鉱石が多く取れた事から研磨職人が増えて宝石商も多くなった。

 少し西に進めばすぐに港だ。外国との貿易も栄えて、リグ・ティーナはギオケルメを中心として著しく活性化した。

 また彼のずば抜けた所は、探究心の高さだった。

 飛行機産業に関心を持った彼は僅か十四歳で留学し、技術者としての知識を得て技術を取得した。今日ジャスパーの乗る飛行二輪。それも彼がかつて小型飛行機の夢物語として設計図案を描いたものだった。

 ……こうも頭脳明晰ならば最も王の器にこそ相応しい筈。しかし、呪い持ちだ。男なら七十年も生きれば人生大往生と言われているが、錆の王子は四十歳までしか生きられないので、フリントの先代から錆の王子は表舞台に立つ事がなかった。

 それどころかフリントは類い希なる才に恵まれていた筈なのに、二十四歳の若さで呆気なく散った。

 理由は全て石英樹海だ。

 飛行機産業に興味を持った事だって、領主をしながら技術者を目指した事だって全てが石英樹海に向いていた。

 フリントは石英樹海にいるとされる現人神、晶の女神と自分の呪いが同一では提唱した。晶の女神と錆の王子の誕生……二百年毎に出現する法則。

 それらは何もかもが歯車のように噛み合うのだ。

 そうしてフリントは女神と密やかに通じて、ともに呪いを絶とうと固く約束した。

 どのようにしてやりとりしたかと言えばジャスパーが参照にした通りだ。

 ……フリントに関するこれら全てを知ったのは、爵位を賜った十七の時。

 実父である国王から託された古い箱に全て詰まっていた。

 夥しい数の設計図や手記、ギオケルメ周辺にある鉄鉱山の内部地図、女神との文通記録……神童と呼ばれた前代の錆の王子、フリントの遺産だった。

 その中で胸騒ぎがする程に惹かれたのは、陸路空路ともに人を拒む石英樹海の攻略だった。

 夥しい計算式や飛行二輪の構造製図、必要部品、テスト結果……そんな手記は分厚い製図用紙の塊、五十編を超えた。

 また手記には、三代目女神フローレンスとのやりとりから得た樹海の考察についても細やかに書かれていた。

 もはや技術者の鏡といって良い程、否それ以上……フリントは目標の為ならいくらでも突き詰める技術の変態だったとよく分かった。

 ……変態。これは技術者としては最上級の褒め言葉だ。

 言われる方は嬉しくないが。それでもジャスパーにとっては、フリントはまるでもう一人の自分のように思えて、越えるべき目標だと思えた。

 そして今も尚、彼を越えようという夢は終わらない。

 だからこそ、自分も今代の女神にダメ元で手紙を送ってみた。そして、彼女との文通が始まり、文章から読み解く控えめでありながら普通の少女と何ら変わらないアイリーンに惹かれて自然と会いたいと思うようになった。

 必ず会いに行けるようにしよう。

 会いたいと言われたら即、向かえるようにしなくてはならない。そして必ず呪いを終わらせる為に……。


  *


(とは言っても、現実は何もかもが惨くて厳しいがな……)

 風の精霊に舵を取られ湖に墜落、石英樹海に置いてきたあの機体はまだきっと動くが修理が大変そうだ。

 そして、祈りの間で見た残酷過ぎる女神の運命。帰路も結局飛行二輪を壊してしまった。

(それに……この件においては自分が先に言って良かったのか分からねぇや)

 アイリーンに宛てた部屋の前に辿り着くと、早速啜り泣く声が聞こえてくる。

 あんな事を知れば塞ぎ込んで当たり前だ。裏切られたような気持ちにもなるし、自分が誰にも愛されていないと思っても仕方ない。

 ジャスパーはノックもせずにドアをゆっくり押すが、いかせん抵抗がある。

「アイリーン、俺だ。そこにいるだろ? 開けてくれ」

 訊くが返事がない。それでもドアを押されている事から「入らないで欲しい」との意思表示は分かる。

 泣き顔を見られたくないのだろうか。もう二度も見ているので今更だ。

 そう思いつつ、ため息をついてジャスパーは自室に入り、ズカズカと通路を進んで隣部屋に進むと、案の定彼女はドアに背を預けて泣き崩れていた。

「開けろって言ったのに……女神様は強情だな」

「ひっ……だって、いやだ、見ないで」

 普段の敬語も随分と崩れていた。呂律も崩れてよく聞こえない。

 これが齢十七歳の少女か。

 もっと幼く見えるではないか。

 何が女神だ。

 あまりに残酷な現実にジャスパーは唇の内側を噛む。

「嫌だ、私なんか……私なんか!」

 潤った桜色の唇が酷く歪んだ。

 何を言わんとしたか即座に察する。

「私なんか、いなくなればいい」と……。

そんな言葉を言わせてたまるか。

 ジャスパーは詰め寄りアイリーンの肩を掴んだ途端──反射的に彼女の唇を自分の唇で塞いでいた。

 まるで噛みつくように。何度も角度を変えて食むまでして。無垢な少女相手に男の欲望を叩き付けるような口付けを与えてしまったのである。

 胸の奥で何か熱いものが爆ぜたような心地さえした。

 ずっとこうしたかった。

 そんな渇望が満たされていく心地がする。

 ただただ気持ちが良かった。いっそこのまま、彼女を押し倒してどこまでも深く溺れたいとさえ思った。

 しかし、アイリーンがやや苦しげな吐息が漏れた事でジャスパーは現実に引き戻された。触れた肩が小刻みに震えている事に気付き、途方もない罪悪が沸き立った。

 ゆるやかに離れてすぐ、アイリーンと目が合わさった。

 何をされたのか理解していないのだろう。

 アイリーンは潤った薔薇色の瞳を何度もしばたたく。

「……じゃす、ぱー。今の、なに」

 案の定だった。ここまで無垢な少女になんて卑しく穢らわしい事をしたのか……。

 冷水でも浴びたように身の底から冷える心地がした。

「……いきなり悪かった」

 一言詫びるが、アイリーンは不思議そうに首を傾げている。やはりキスが分からなかったらしい。けれど、新たな涙は溢れていなかった事にどこか安堵してしまう。

 それからしばし間を空けた後、ジャスパーはゆったりと唇を開く。

「……とりあえずさ、弱音を吐くのも愚痴を言うのも構わない。だけど、誰に何を言われようが自分の存在を否定するような事は二度と言わないでくれ。アイリーンは悪くない。そういう存在に仕立て上げた奴が悪い。余計な事はもう考えるな」

 俺がいるだろ。と、念を押すように言った直後だった。

 彼女の表情はたちまち歪み、薔薇色の瞳に再び分厚い水膜が張る。

 それから間髪入れずにアイリーンは声をあげて泣き始めた。

 本気でどうすれば良いのか分からない。困り果てたジャスパーはアイリーンを抱き寄せ、抱え上げるとベッドの上にそっと下ろす。

 もはや〝自分だったらどうするか〟という考え方だった。

「昼寝でもするか? 寝れば落ち着く、嫌な事も薄くなる」

 自分は呆れる程に単純なので、嫌な事なんて寝ればすぐ忘れる。

 そもそも、そこまで落ち込んだ試しはないので彼女にこの手法が効くか謎だが……。

「腕でも胸でも貸してやる。ほらこっちおいで」

 片手を広げれば、彼女は戸惑いつつも頷き胸の中にすっぽりと収まった。

 まだ十七歳。あと三年経たず絶命する運命、侵食の速さからあの激痛に何度耐えた事か。

 極めつけには友達だと語っていた従者との本当の関係が分かり、心は壊された。

 ──彼女はこれまで生きた中で、どれだけ幸せと思えた時があったのだろう。

 そう考えると、酷く胸が苦しくなる。

「俺さ。祈りの間に入った時に従者の末路を、なんとなく察していた。骨が散らばってたんだ。それなのに、ちゃんと言えなくてごめんな……」

 いくばくかして、ジャスパーは小さな声で懺悔した。

 しかししばししても、返事がない。

 泣き疲れて寝たのだろう。規則正しく上下する背にそんな風に悟ったが、間を置いて彼女はゆるゆると首を振った。

「ジャスパーは何も悪くないです。サーシャは酷い言い方をしたけど、そういうのも無理ないから悪くないです。でもきっと、私だって……」

「……そうだなアイリーンは何も悪くない」

 少しでも安心して欲しい。そんな想いを込めて、更にきつくアイリーンを抱き寄せていくばくか。今度こそ彼女は胸の中で眠りに落ちた。

 しかしとつとはいえ、なぜにあんな行動に出てしまったのだろうか。

 ──友達だろう。なんて、言ったばかりの男が取る行動でない。

 非紳士的で大胆過ぎる行動だと思った。

 事実、いつからか手紙のやりとりを重ねるうちに何でも知りたがる無垢な彼女に惹かれていた。実際に会ってこの愛らしさに尚更愛おしく思えてしまったが……。

 いまだに彼女の唇の柔らかさが残る心地がして、ジャスパーは己の唇を触れつつ熱っぽい吐息を溢した。 

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