「私、暗い所が苦手なのと……自分の末路を見るのが怖くて行ってない場所があるのです。貴方が言うように墓所のような場所で……」
「そんな怖いなら俺も着いてくぞ?」
軽い調子で彼が言うが、アイリーンは首を横に振る。
「いいえ、そこは女神以外踏み入れる事ができない特別な場所です」
震えつつも
「私、変な事は言っていません。事実ですよ?」
「いや、悪い。明らかにビビってるの可愛いなって思っただけ。あんた実年齢よりなんか稚いし、顔が可愛いから尚更」
気を悪くしないでくれ。と、優しく笑むと彼は言葉を続けた。
可愛い。初めて顔を見られた時も言われたが、そんな言葉を投げかけられたのは生まれて初めてだ。
正直どう反応して良いか分からない。
胸の奥が妙にムズムズとした心地がするので、アイリーンは自然とまばたきが増えた。その反応に驚いたのか彼も目を丸くするが、すぐに首を振る。
「っと、本題から逸れそうになった。そんな古典的なしきたりを破った時点で何が起きるって話だよ。考えてみろ? 俺とあんたは対等で同じ呪いを持っている」
「確かにそうは思います。けれど、本当に同じものかどうかだって……」
定かでない。と断言する前にジャスパーは首を横に振った。
「どう考えたって同じだ。もういい加減に白状するが、俺があんたと接触した理由は、この馬鹿みたいに不都合な呪いを解きたくてだ。前代だって同じだ」
断言した物言いには妙な説得力がある。真摯な瞳を向けて言われるので、彼がとても嘘を言っているようには思えない。
「だけど……それでも貴方は無関係で……」
「こんな不都合過ぎる呪いはこの世に二つも存在するか? って話だ。俺とあんたは無関係じゃない。きっとそれが裏付けられる歴史が隠されていると思うがな」
──技術者ってな。疑問に抱いたものを解き明かしたくなるものだ。きっと、科学者も天文学者も冒険者も同じだろうな。なんて付け添えて、彼は唇を綻ばせる。
どこか生真面目そうな台詞と真摯な表情を見ていると、密やかに想いを寄せた手紙上のジャスパー・ヒューズを想像させる。
アイリーンの胸はとくんと強く脈打ち、頬が熱くなる事を自覚して直ぐさま彼から視線を逸らした。
髪色といい、釣り上がった大きな目やシュっとした輪郭の所為か猛禽類を彷彿させる
毛皮の付いた装いは野蛮人のようだが、
「わかりました。ですが、祈りの間は聖堂の地下です。ここから距離もあります」
必死になって平静を装い、アイリーンが問いかけるとジャスパーはニタリと笑む。
「聖堂か。攻略は楽勝だな」
「えっと……聞いていました? ここからは結構離れていますよ」
聖堂は敷地内の最も北側に位置する。
女神の自室から階段を下って、
交代制で神殿敷地内の見回りを行う者がいるのだ。
それを汲み取ったのだろうか。「そうだな、見張りとは三人くらいすれ違ったわ」と彼はあっさりとした調子で言った。
「ならば無謀だと分かっている筈じゃ……」
「だからさぁバレなきゃいいだけだろ? 俺はさっき、そいつらに気付かれずにここまで来たんだし」
信用したか? と、少し戯けた調子で彼は笑んでみせる。
確かにそうだ。女神のいるこの塔の警備は厚い筈だ。
ましてや、ジャスパーと密かに通じていた事が分かっているのだから、滞在期間中は尚更だろう。
アイリーンは納得して頷くと、彼は「じゃあちょっと手伝って」と引き千切ったベールをアイリーンに手渡した。
『俺とあんたは無関係じゃない。きっとそれが裏付けられる歴史が隠されている』『技術者はそれを解き明かしたくなる』
その言葉から、初めから攫う気で近付いたのだろう。とアイリーンは薄々勘付いてしまった。
「でも、私……石英樹海から出られない筈です」
ベールを結びつつ、ぽつりと言えば「んな訳ねぇだろ」とジャスパーは苦笑した。
「それを言ったら、四十年生きられる筈の俺が、この樹海に入った時点で朽ち果てる筈だからよ。先々代なんて、寿命の時は錆び付いて崩れ落ちたって言われている。骨なんか残っちゃいなかったそうだ。俺だってそうなっている筈。俺の年齢は覚えているか?」
「二十二歳……」
「正解。つまりあんたの寿命分は過ぎてる。おかしな話だろ?」
「……結果的に命に別状なかったので良かったものの、貴方は樹海に踏み入った事で自分の身が朽ち果てる事を考えませんでしたか? 本当に命を賭けてここまで来ているじゃないですか」
紛れもない事実を伝えると彼は軽く笑った。
「そりゃな。万が一の為に遺書は書いてきたけどな? それでも俺はきっと大丈夫だって思った。いや、大丈夫にさせなきゃいけねぇと思った」
どこにそんな自信があるのか。しかし、彼があまりに真っ直ぐ言うのだからと気圧されてしまう。
「どうして、そこまでして……」
ふと王位継承権の事を思い出した。
「リグ・ティーナは王位継承権が王子たちに等しくあるのですよね……その為に?」
率直に訊くと、彼は首を傾げた。
「いや? 事実俺は今の国王の息子で次男だ。けど公にされてない。公にされている次男が事実上の三男。正しい男兄弟は五人。錆の王子は短命だから王位継承権がない。生まれた時から公爵家の息子って事になっている」
つまり、存在そのものがなかった事にされているのだと。
物悲しい過去の気配にアイリーンは眉をひそめるが彼はあっけらかんとした調子だった。
「さっきも言ったが発端は自分の為だった。だけどな、あんたとやりとりしていたら、あんたも絶対に死なせちゃいけないって思ったんだよ。樹海を出た後は俺なりに責任取る気でいる。〝そうしなきゃいけない〟使命感を覚えただけ。俺は最初から、そのつもりで来た」
気取った様子もなく平坦に言われるが、今度はアイリーンが目を丸くしてしまった。
言われた言葉は酷くムズ痒い。けれど嫌な気持ちではない。むしろ温かい。
アイリーンは照れくさくなって俯いた。
それから
強いて言えば、塔を降りる時、ジャスパーにずっと背負われていたが、あまりの高さと不安定さに悲鳴をあげそうになった事くらいだろう。
その他といえば、確かに見回りをしている神官もいたが、塔を降りる時の恐怖に比べれば怖いものなど何もなかった。
「さてと。で、女神の祈りの間とは……?」
ぴったりと背後から抱き留めるような形で身をひそめたジャスパーはアイリーンに耳打ちした。
しかし、このやりとりが何とも気恥ずかしい。耳に吐息が擽りこそばゆくて仕方ないのだ。
幸いにも、真っ暗闇なので真っ赤になっている事などバレていないだろう。
「反対側の脇に石の階段があります。そこを最後まで下ると石の引き戸があります。扉は私にしか反応しないそうです」
精一杯背伸びしてジャスパーの耳に吹き込むと、彼は黙って頷くが──ひょいと身が宙に浮きアイリーンは小さな悲鳴を漏らしてしまいそうになる。
「この距離じゃ俺が抱えて走った方が早そうだから我慢してくれよ」
もはやこれには頷く他なかった。
静か過ぎる神殿に住んでいるとよく分かるが、男性の足音は地面を蹴りつける力がある所為か少しだけ大きく感じる。片や、サーシャや自分のものは小さいものの歩幅は狭い所為かどこか忙しない。
しかしジャスパーと来たら、忍び込む為とは言え、足音を消すのが上手だった。
たとえ暗闇でも、枯れ枝を踏む失敗などしない。
理由は今彼が目元に装着したもののお陰だろうか。
確か、暗視ゴーグルと説明しただろう。
アイリーンは、ジャスパーを不思議そうな顔を見つめると、その視線に気付いたのか彼はニタリと口角を上げた。
そうして難なく、女神の為の祈りの間まで辿り着く。
アイリーンが扉の前に立った瞬間だった。金色の幾何学模様が走り、正十字に蔓草のリース──エルン・ジオ聖教の紋章が浮かびあがる。
「女神自体が鍵か。どんな仕組みだよ、これ……」
感心した調子でジャスパーは言いつつ、アイリーンの後について祈りの間へ入った。
「出口で待っていても良いですよ……」
「いや、あんた暗いのが怖いだろ? それによく見えないだろ? それにここまで真っ暗だと闇雲に歩かない方が良い」
あと事実、俺でもこれは怖い。彼が言うがアイリーンからすれば真っ暗で空間を把握できない。
「どんなですか……」
「……うーん。ちっと形容しにくいな。まぁ色んな意味で怖いもんは怖い」
あっけらかんとした調子なので大して怖そうにも聞こえないが……。
アイリーンは目を細めて彼の方を見ると、何か気付いたのか彼は軽くアイリーンの手を引っ張った。
「奥に通路があるみたいだ。そこが女神たちの墓地に通じる所か?」
「た、多分……それだと思います」
「分かった。じゃあ行こう」
ジャスパーはアイリーンの手を引いて歩み始める。通路に入るとぼんやりと薔薇色の光が見え始め、ややあって開けた場所へ出た。