密通が割れた罰は当たり前のように重たかった。
ジャスパーから貰った手紙は全て押収。これはまだ良い。困ったのは、彼らの滞在終了まで外出禁止となってしまったのだ。
ジャスパーが石英樹海に来てから既に一週間以上が経過している。自ら撒いた種とは言え窮屈で仕方なかった。
できる事といえば、こうして窓を開けて荒涼とした風景を眺めるだけだった。
「リグ・ティーナの公爵と密通だの、あんた凄い事を隠していたわねぇ……」
部屋の掃除をするサーシャに呆れたように言われて、アイリーンは目も合わせずに頷いた。
『ぇ……想像よりあんた小せぇんだな。今年十八って書いてあったけど、あんた童顔だな。可愛いな』
あの時は気が動転していたので何とも思わなかったが、今思い返すとリーアムが怒り散らすのも無理ない程の失礼だ。
それも結晶に侵食された顔を隠す為のフードを捲るなど配慮なしも
文面の優しさや几帳面さが嘘のように彼は粗暴だった。
鳶色の髪色はまさに猛禽類を連想し、彼の精悍な容姿
(身分が高いとはいえ、勝手な想像をして期待していた私が馬鹿だったかしら)
考える程にため息しか出てこない。密かに抱いた憧れと恋心が呼吸と一緒に抜けてしまったかのよう。酷い虚しさが胸の中に
それでもまさか本気で会いに来るなんて誰が思うものか。あの手紙が届いてしまった事も驚きだが……。
思い返したくもないが自分の送ったあの手紙は、なかなか恥ずかしい内容だった。再び思い出して赤くなったアイリーンは首を振るう。
「どうして私、あんな事を……」
蚊の鳴くような声で喚けば、サーシャのはた迷惑そうな視線が突き刺さる。
「とりあえず掃除は終わったわ。いつも思うけど、そうやっていちいちウジウジしないで。自分の行いが結果を連れてきているだけでしょう?」
全くもって正論だ。
アイリーンが頷くと、彼女はどこか納得した顔で部屋を出て行った。
しかし、その翌日奇跡が起きた。謹慎が解除されたのだ。
何が起きたかといえば、儀式の後にサーシャが神官にこんな処遇は女神があまりに可哀想だと泣いて訴えたからだ。
長年の付き合いなので嘘泣きだとアイリーンにはすぐ見抜けた。
サーシャの本心の八割は〝掃除中に部屋にずっといられても邪魔だから早く解除しろ〟に違いない。それでもありがたい気持ちでいっぱいだった。
(温室や聖堂、湖畔には行っても良いけれど、北側の納屋の方面はだめ)
出掛ける前にサーシャに言われた事を思い返し、アイリーンはフードを僅かに捲ってその方向を見つめた。
数日前からそちらが妙に騒がしい事からジャスパーたちがいるのは分かっていた。それも雷鳴に等しい騒音が響いていたもので、きっとあの乗り物を直しているのだと分かる。
(きっとあれが飛行二輪……)
アイリーンは彼の手紙で知った乗り物と、あの飛行物体を心の中で照らし合わせる。
近くで一度しっかりと見たいと思うが……行ってはいけない決まりだ。
謹慎が解除されたばかりで早くも問題を起こす訳にもいかない。
それでも彼を乗せていたあの乗り物がやはり気になり、アイリーンは周囲をきょろきょろと確認した後、小走りに納屋へ向かった。
荒涼とした石英樹海だが、神殿周辺には僅かに緑がある。
また納屋の近くにはハリエニシダが群生しているので、アイリーンは小さな木陰に身をひそめて、納屋の方を盗み見た。
存外ジャスパーと彼の側近、ヒューゴーの姿を見つけるのは早かった。初対面の狡猾な面が嘘のよう。ジャスパーは鉄屑の塊に真摯に向き合っており、見慣れぬ道具を使って小さな部品を鉄の塊に嵌め込んでいた。
(あんな表情、できるんだ)
まさに文面から想像した神経質そうな彼そのものだ。
黙々と作業を進める彼らを密やかに見つめる事間もなく、ヒューゴーは立ち上がり納屋の中へと入っていった。
休憩するのか。そうは思うが、ジャスパーは鉄の塊から離れようともせず、眉間に眉を寄せて尚も向き合っていた。
その真摯な瞳をアイリーンは眩しく思った。
鏡で見る自分の目とは全く違い、真っ直ぐで光が踊っているかのように思えた。
夢中になれる事がある事、嬉しい事や楽しい事に満ち溢れているかようで……たった一瞬で羨望を抱いてしまった。
そう。彼は近い未来に死ぬ運命はない。
公爵という責任の重たい立場だろうが、きっと裕福で幸せなのだろうと思えた。
『人生の八割が上手くいかない。二割を楽しむ』
そんな風にジャスパーは文中で語った事があったが……彼に用意された幸せはもっと大きいだろうと思えてしまった。
対等な立場で文を二年交わしたとはいえ、別の世界で生きる別の生き物だ。
そんな事を考える己の卑屈さに嫌気が差す。アイリーンはギリと唇を噛んだ。
────私、何を
ジャスパーをぼんやりと見つめている最中だった。額から伝う汗を拭った後、彼はやや渋い顔をして自分の手を押さえた。
怪我でもしたのだろうか。
彼は、シャツの袖を捲り革製のグローブを外した。
「痛ってぇ……」
眉間に皺を寄せて彼は独りごちるが、その手を見たアイリーンの心に荒波が立った。
人の手の形をしているものの、明らかに人の皮膚の色ではなかったからだ。
まるで金属質な質感……赤や黄の錆がこびり付いていたのだから。
それも自分の結晶化なんて非ではない程──みっちりと覆われているのだ。遠目でも作り物でない事が理解できる。
嫌に胸が早鐘を打った。
(…………侵食?)
脳裏に過ったのは、先代の描いたあの絵だ。
女神らしき人物といるのは錆に侵された男の姿。まさにその姿を彷彿する。
アイリーンは子どもの頃からあの絵があまり好きでない。どこか不安を煽り、恐ろしく思えてしまうので極力見ないようにはしていた。
こんな偶然はあるのか……。
息を飲んだアイリーンは呆然と彼を見つめた。
似たようであってまた違う奇病を持っているのだろうか。
だからこそ彼は手紙を送ったのか。似た立場だから何か聞き出せると思ったのだろうか。アイリーンの頭の中には様々な思考が巡る。
だが、おかしい。彼の年齢はとっくに二十歳を越している。仮に、同じ奇病であればそこまで長く生きられる筈もない
(…………どういう、事なの?)
息を飲み後退りした途端だった。自分の足元から枯れ枝が砕ける音が響く。
それに気付いたのだろう。顔を上げたジャスパーと視線が重なり、アイリーンはぎょっとしてしまった。
しかし、彼は別段驚く訳でもなく神妙に首を傾げる。
「どうした? あんた、良いのかこんな場所に来て?」
続け様に訊かれるが、気が動転して答えられない。アイリーンは目深にフードを深く被り直すと、神殿の入り口を目指して急いで駆け出した。