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5 錆臭い国から来た彼

「アイリーン様、まさか外部と通じておられたのですか」

 彼を突き放したリーアムはアイリーンに向き合った。失望するような、呆れたような……尚且つ怒りが混ざった彼の声にアイリーンは肩をピクリと震わせた。

 どんな叱責を受けようが、事実を言わねばならない。

 おどおどとアイリーンは頷き「申し訳ございません」と怯えて伝えた途端だった。

 ぱっといきなり目の前が明るくなったのだ。額に水滴が落ちているのだろう。冷たい感触がする。

 そうして目の前に飛び込むのは、どこか狡猾そうなジャスパーの顔だった。

「へぇ……想像よりあんた小せぇんだな。今年十八って書いてあったけど、あんた童顔だな。可愛いな」

 目を細めて彼は笑う。しかし、自分はフードを被っていた筈。彼の顔がすぐに見えてしまうのは……。

 フードを捲られたと理解してアイリーンが目を丸くみはるのも束の間。

「この無礼者! 叩き斬ってくれよう!」

 ビリビリと間近からリーアムの怒声が響き、彼はぱっとアイリーンから手を離して退いた。

「だから、あんた物騒なんだよ! 剣を構えるな。頭の血管切れるぞ!」

「うるさい! うるさいぞ、この無礼者が! 錆臭いリグ・ティーナ人が!」

「そういうあんたはどこの国の人間だ。そんなにキレるな禿げるぞ」

 もはや売り言葉に買い言葉のよう。

 怒声をあげるリーアムに彼は目を細めて言い返す。

「僕は石英樹海生まれの無国籍者だ!」

 律儀に答えるリーアムもいかなものかとは思うが……。

「あんた、マジ落ち着け。俺たちはアイリーンにただ会いに来ただけだ」

 ……一人しかいないが。そう思った矢先だった。

「ああ、生きていましたね」

 背後から低い声が響き、振り返れば大男が立っていた。

 背が高いジャスパーよりも随分と高い。

 ましてやがっしりとした体躯とやや強面のせいか威圧的な存在感がある。まるで山のような男だった。

 いったいどこから湧いて出て来たのやら。全く気配がしなかった。そして生存しているとは。それは皆思ったのだろう。リーアムさえ目を丸くして彼の方を向く。

「貴様はこの男の連れか」

「ええ、貴方が怒鳴っていた男の従僕です」

 逆かと思った。二十二歳と聞いたジャスパーよりも明らかに年上だ。恐らく三十歳程度だろうか。アイリーンは目をしばたたき大柄の男を見上げた。

「良かった、お前も無事だったのか。しかしまぁ、あの緑の鳥の大群はすげぇな。あんなに多くは初めて見た。何十匹いたのやら」

「私には見えませんでしたが」

「まぁ、そうだろうな。だから俺が囮になったんだし」

 緑の鳥……。ジャスパーの言葉にその場にいた者全員が目をみはった。

 即ち風の精霊を見えたのだと。

 彼は外の人間だ。一見、神秘の力など持ってしなそうに見えるがどういう事だ。アイリーンは話を続ける彼をいぶかしげに見つめた。

「……で、俺の機体は湖の底。今すぐ引き上げるのは少し難しい。とりあえず水を汚さない為に燃料タンクの蓋やらオイルが入ってる場所の蓋を水中できつーく閉めて排気口には石を突っ込んでおいた」

 だから一向に浮かんで来なかったのか。その告白にも誰もが唖然と口を開けている。

「と……いう訳で、俺らの帰路を潰れた。側近の機体が生きているみたいだし、その調整をしたい。あと、この湖は多分ここの住人どもの重要な水源だろ?」

 神官たちは戸惑いつつも、まばらに頷いた。

「水源汚染は一大事だろ? そこはきちんと責任を取らなきゃならねぇ。燃料タンクを外すだの後日作業の為に潜りたい。だから、暫く滞在させてくれねぇか?」

 彼は軽い調子で周りに尋ねると、神官たちは更に困惑した様子で頷いた。

 しかしリーアムは彼の態度がやはり気に食わない様子は窺えた。

「それは当然の配慮だろうが……一つ貴様に訊かねばならぬ」

「何?」

 けろっとした調子でジャスパーに対して、リーアムは険しいそうごうで彼を睨み据える。

「どのようにアイリーン様に近付いたかは知らぬが……アイリーン様は貴様如きが対等に話せるお相手でない。僕は貴様の態度がいけ好かん!」

 ──死で詫びろ! と、これまた物騒な事を口走る始末の一発触発。

 周りにいた老いぼれた神官たちは「落ち着きなさい」と慌ててリーアムを取り押さえた。片やジャスパーはやれやれといったそぶりで首を振る。

「さっき言っただろ? 知り合いなんだよ」

「それで通じると思っているのか!」

「文通相手なだけだ。やましい関係じゃねぇ。あんたは知らねぇかもだが、二百年前の女神も俺の先祖と文通してたみたいだが?」

 その言葉に神殿関係者は皆時を止めたようにピタリと停止した。

 前代……つまりは堅物な三代目だ。

 あの生真面目そうな彼女が禁忌を破るようには思えない。きっと狂言に違いない。

 しかし、彼が数年間文通を重ねた本物のジャスパーであれば、嘘でないと思えた。文面から見た彼の性格は極めて真面目で理知的。芯が通った性質だから。

 その上、鳥を従える以外に、精霊が見えるなど不可思議な点が多々ある。

 そう……彼は普通ではないのだ。

「本当ですか……」

 思わず訊けば「そんな事ある訳がない」とリーアムは即座にさえぎる。

「どこにそんな証拠が……」

 厳しい形相は変えぬものの、リーアムはやや戸惑った様子で訊く。

「今回はアイリーンに会いに来ただけだ。証拠なんぞ持って来てる訳ねぇじゃん。そんなに気になるなら、あんた今度俺の屋敷に来いよ、実物を見せてやる」

「は?」

 思わぬ誘いにリーアムは目をしばたたく。

「だから、屋敷に来いよって」

「僕に言っているのか?」

「他に誰がいるんだよ。さすがにこんな大人数で押しかけられたら迷惑だが、二・三人なら構わねぇ。あんたアイリーンのこのへいみたいなもんだろ?」

 このへいの意味がよく分からない。リーアムも面食らったままだった。

「という訳だ。だから、少しばかり石英樹海に滞在させてくれ? 雨さえしのげれば納屋でも墓地でも構わない」

 そこでようやく折れたのかリーアムは「勝手にしろ」と不機嫌に突っぱねた。


 その後、ジャスパーと彼の従僕は神殿の敷地内に留まるようになった。

 当たり前だが、余所者を好意的に思う者など誰もいない。

 それでも、野放しにしておく訳にも餓死させる訳にもいかないので、神殿から少し離れた場所にある館に寝床を提供したらしい。

 ここには神官たちが住んでいる。目の届く場所に置いておけば彼らが悪事を働く事もないだろう。

 その件はその日の夕方の儀式後に開かれた会合で司祭から聞いた。

 否、会合というよりは八割以上尋問だった。

 どのようにジャスパーと出会ったか、どんなやりとりを行ったか。アイリーンが素直に答えるだけ周囲からは落胆のため息が響く。

「アイリーン様、なぜに女神が外と通じるべきではないか分かりますか?」

 司祭は優しく訊くが、フードで視界がさえぎられていても間違いなく怒っている事は空気だけで察する。

「……厄災を起こさぬ為。最期まで私を閉じ込める事で平穏が保たれるからです」

「そうですね。事実その点は大きいですが、アイリーン様にはきちんと話をしていなかった大事な理由はもう一つあるのです」

「他にも……?」

「ええ。神殿関係者はイル・ネヴィス人の神官や司祭たちが取り仕切っているものの、石英樹海は二国どちらにも属さぬ事は存知ですよね?」

 アイリーンは静かに頷いた。

 ──晶の女神に対する信仰は二国ともにある。

 正しく言えば多神教であって晶の女神はそのうちの一人に過ぎない。

 信仰対象は自然に宿る全てだ。

 喩えば太陽神と月神、精霊王に妖精王。大地に宿るありとあらゆるもの……。と、様々な信仰対象がある。

 これらを敬い感謝する事で人の生が成り立つという信仰だ。

 この信仰を纏める組織というのが、この神殿も管轄するイル・ネヴィスのエルン・ジオ聖教だ。

「この石英樹海は二国が定めた聖域。政治的利用や侵略が決して許されぬ地です。樹海に入って出る事ができるかは別ですが、侵略を起こさぬ限り誰が来ようと裁かれる事はありません。ただ、ジャスパー様の素性はただ者ではなかった事が引っかかるのです……」

 重々しく司祭は話を続けた。

 訊けば、ジャスパーはリグ・ティーナの北西部の領地を治める公爵家当主だそうだ。

 あの歳で公爵とは爵位を得た元王子との見方が妥当だ。

 リグ・ティーナの現在国王は多くの子宝に恵まれている。子の内訳は男が四人、女が三人。しかし王位継承権を持つのは男だけ。

 継承第一位の権限を持つのは長男だが、それが絶対ではない。功績次第で継承順位は逆転する事さえあるらしい。

「石英樹海に来た聖職者たちは生涯を女神に捧げております。外への行き来ができるとはいえ、余程の事がなければ出る事はございません。森に入った時点でこの地に骨を埋めるまで神殿で仕える事が習わしです。当たり前のように隣国の王室事情に疎く、王子たちの名や年齢は把握しておりませんが……第一子の男児が生まれたのは今より二十五・六年ほど昔と一番若い神官に聞きました」

 司祭は一人の神官に目配せすると、彼は静かに頷いた。

 若い……とはいえ、五十は超えているだろう。フードの隙間だけの視界なので全貌は知らないが、この神官は自分が物心ついた時からいる。

「そうですか……私が手紙で聞いた彼の年齢と異なります」

 ジャスパーは二十二歳と聞いた。その旨を伝えると、司祭は深く頷く。

「ええ。ですので、彼は継承権一位の王子でないでしょう。あくまで憶測に過ぎませんが、継承権の野心の為……アイリーン様と繋がる事で政治的利用を考えている可能性が高いです。……しかし彼は威厳も無い、ただの若者のよう。何も読めませんな」

 司祭は大きなため息をつき、続けてアイリーンの処遇を言い渡した。

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