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4 命知らずの来訪者

 その後一週間以上。気が気でない日が続いた。

 先代からの手紙は月に二・三度程。当然のように次はまだ来ていない。

(あれはどういう意味かしら……)

 幾度考えても分からない。夕刻の儀式中、アイリーン自分の周りに並べられたろうそくの光をフードでさえぎられた狭い視界から見つめて息をついた。

 壇上に掲げられたものは正十字の中央に蔓草のリース──エルン・ジオ聖教の象徴。

 それを背に祈る姿勢を取ったアイリーンの前には、九人の聖職者たちが女神への敬意をおごそかに唱えていた。

 それを入り口で静かで見守るのは女神の二人の従者。

 剣を携えたリーアムと手鏡を持つ娘、サーシャの姿がある。

 剣は女神を護る為。手鏡は女神が世を見つめる為。その為に女神は必ず二人の従者を侍らせている。ざっくり言えば、護衛と身の回りの世話係だ。

 朝も夕も二人ともこんな場所で毎日面倒ではないか。

 アイリーンはフードを捲りリーアムを盗み見ると、すぐに説教じみた視線が突き刺さる。片や隣にいるサーシャは呆れきった顔だった。

 ──肩に付く程の栗毛の髪に勝ち気な翡翠の瞳。目の下にそばかすが散らばっている容姿の通り、サーシャは非常に勝ち気な娘だ。

 彼女の方が半年早く生まれているとはいえ、アイリーンと同じ十七歳。彼女とてリーアム同様に長く傍にいるのでアイリーンからすれば血の繋がらない姉妹のようなものであって、唯一無二の友達と呼べた。

 まごまごとした自分とさばさばとした彼女──性格がこうも違うので、主従関係さえなければ絶対に友になる事もなかっただろう。

 とはいえ、主従以上の関係は認められない。

 勿論友情を育んでいるなんて、今まさに自分の前で熱心に祈っている聖職者たちには秘密に違わない。

 アイリーンは、サーシャにニコリと笑むと彼女は少し面食らったような顔をして、プイとそっぽを向く。

 ────私の事はいいから集中しなさいよ。

 何となく言わんとしている事が分かってしまい、アイリーンは目深にフードを被り直した矢先──脳裏の奥で何かが光ったかのような感覚がした。

(何かが私の元に来るわ……)

 これぞ直感が働いた瞬間だ。

 間違いない。必ず来る。しかし何が……。

 そう思って間もなく、遠くから地鳴りの如き轟音が響き始めた。

 雷か。いや、それにしては長い。薔薇窓に光が差し込む程の晴天だ。むしろこんな快晴が珍しい程だ。騒音は次第に大きくなりこちらに近付いてくる事が分かる。

 儀式中だというのに、不審に思った神官たちはピタリと詠唱を止め天井を見上げて、どよめき始めた。

「おまえたちとリーアムは様子を見に行きなさい」

 老いぼれた司祭が指示すると神官とリーアムは足早に聖堂を後にする。

「何の騒ぎでしょうね……何かが私の元にやって来る気配がします」

 アイリーンが司祭に話しかけると、彼は老齢に見合う嗄れた笑い声を溢す。

「恐らくリグ・ティーナの人間でしょう。あれは鉄の塊が空を走る音ですよ。私も久方ぶりに聞きましたが、何とも耳障りな音ですな」

「リグ・ティーナの……?」

 アイリーンはフードの下で目をしばたたく。自然と浮かぶのはジャスパーの存在だ。彼との文通の中で、リグ・ティーナの人間は鉄の塊が水に浮かせるだけでなく空を飛ばす事もできると聞いた。空を飛ぶと雷に似た音が轟くと……。

 この直感はまさか。

 まさか本当に。ジャスパーが自分に会いに来たのではないか。

 アイリーンは急ぎ聖堂を飛び出そうとするが、すぐにサーシャに腕を掴まれる。

「アイリーン様、何を急いでいるのです」

 司祭の前なのでサーシャは馬鹿と丁寧な口調だった。普段と言えばもっと言葉が乱雑だというのに違和が強い。

「だって……侵入者の身が危険でしょう」

 人前なので自分も比較的丁寧な口調を努めた。

「だからリーアムや神官たちが様子を見に行ったのでしょう。アイリーン様に何ができるというのです」

 ──それに、無謀な異国人が命を落とそうが関係ない。自業自得。と、サーシャがきっぱり言い放つが、アイリーンは納得できなかった。その様子をフードから露出した唇だけで読み取ったのか、サーシャは大きなため息を一つ吐く。

「あんた馬鹿なの。空からの侵入者なんて助からないわよ。だからリーアムたちが向かったの。神殿としては、無惨なものをあんたに見せる訳にはいかないのよ。少しは状況を読みなさいよ」

 呆れきった小声で言われてアイリーンは僅かにフードを持ち上げ彼女を盗み見る。

 ジト……と目を細めた呆れた顔。なんだやはりいつものサーシャだ。

 遺体を回収し、墓を掘る為にリーアムや神官が外に出た。彼女の言いたい事は簡単に理解できる。

 外からの来訪者なんてこの場にいる誰もが初めて経験だが、こんな事は長い歴史の中で何度かあったらしい。

 神殿側の話によると、これまで何人かのリグ・ティーナ人が石英樹海の空路攻略を挑戦しようとしたらしい。結果、全てがこの樹海上空で散っている。

 遺体を回収できた者もいればできなかった者もいるが、いくら神秘の加護を持つ神殿関係者だろうが、リグ・ティーナに遺体搬送する術はない。なので回収された遺体は全て石英樹海に眠っているのだ。

 ……向かい来る者がジャスパーだったとしたら非常にまずい。

 こんな場所で死んで貰いたくなかった。

 自分の綴った手紙の所為でそんな無惨な最後なんて。アイリーンは真っ青になって駆け出そうとするが、サーシャに強く腕を掴まれる。

「私の話、聞いていました?」

 より呆れた調子で言われるが、アイリーンは構わず彼女の手を払う。

「私は何もできないとは言え、祈る事くらいできます」

 アイリーンはサーシャの手をやんわりと離し、弾けるように聖堂を飛び出した。

 だが、聖堂を出た途端だった。僅かに見える隙間から神殿の前に広がる湖目掛けて黒金の飛行物体が落ちてきたのである。

 瞬く間に大きな水柱が立ち上がり、大雨のようにびしゃびしゃと水が降ってくる。

(嫌……うそ……)

 人が死ぬ瞬間を今まさに見てしまった。アイリーンはフードの下で真っ青になって立ち止まる。

 やがて荒れていた水面は緩やかに凪ぎ、いくばくか過ぎるが何も浮かびあがってこない。

「これは……死んだな」

 神官のうち一人が言った矢先だった。ぶくぶくと水面が泡立ち、水しぶきを上げて一人の青年が顔を出したのである。

 生きている、良かった。遠目でアイリーンは安堵で脱力するが、岸辺に集まった神官たちは一気にどよめいた。

 やがて青年は泳いで岸辺に辿り着き、とうとう湖畔に上陸した。

 無事だろうか。あの高さから落ちたのだ。怪我をしたに違いない。アイリーンは神官たちから少し離れた場所で彼の様子を窺った。

 アイリーンからすれば、ずぶ濡れの彼は何とも不思議な格好をしていた。

 ──革製のパイロットヘルメットに毛皮の付いた焦げ茶色の上衣。その下にはベージュの襟なしのシャツを着ており、ゆったりとした黒の下衣に長靴を合わせている。

 見るからに、長身のリーアムよりも背丈が高く体格が良い。しかし、ゴーグルをかけているので素顔がよく分からない。

「あーやべ。耳に水入ったかも。よく聞こえねぇ」

 そう言って彼はヘルメットを外し耳の水抜きをした後、ゴーグルを外した。

 鋭く釣り上がった金の瞳が印象的──まるで猛禽類。精悍な顔立ちの青年だった。水に濡れた髪の色は焦げ茶色だろうか……。

 フードを僅かに捲って彼を見たアイリーンはそんな事を思いぼんやりと思った矢先だった。

「で。アイリーンってここにいるだろ?」

 いきなり名を言われてアイリーンは硬直した。やはりだ。この直感は外れない。彼がジャスパーと確信してアイリーンはまばたきを忘れてしまう。

「なぜ貴様その名を……!」

 リーアムは怒り、直ぐさま剣を彼に突き付ける。

「は? 命がけで会いに来たって言って言うのに何だよ、この待遇……」

「だから、なぜその名を……!」

「なぜって……?」

 きっと自分が会いたいだの手紙に書いただのリーアムが知っても嘘だと言うに違いない。リーアムは生真面目故に彼を刺しかねない。自分の所為で人が血を流すなど恐ろしい。アイリーンは直ぐさま人だかりに駆け寄った。

「リーアム待ってください! その人に酷い事をしないで!」

 アイリーンの放つ弱々しい一言に、怒鳴るリーアムは嘘のように静まった。

「私がいかにも晶の女神アイリーンです。貴方はジャスパー・ヒューズで間違いありませんよね」

 リーアムに胸ぐらを掴まれた彼に訊いて一拍後──「そうだが」と、彼は短く答えた。

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