薄暗い
彼女の動作と一緒に腰に巻いた金細工がしゃらしゃらと鳴り、目深にかぶったフードに付いたクリスタルの飾りは激しく揺れ動いていた。
(もしかしたら、今日なら来るかもしれないわ!)
自分はどこか勘が良い。
空を見るだけで明日の天気も大抵当てられるし、何か知らせが舞い込む時の予兆が何となく分かるのだ。その他にも奇妙な部分はたくさんある。
それはきっと見るからに
期待と自信を胸に彼女は軽やかに長い螺旋階段を駆け上る。
ぐるぐると回って辿り着く先は一つの部屋。
慌ててドアを開け、窓辺まで駆け寄ると勢いのまま床板によじ登って出窓を開く。そのついでとばかりに目深にかぶったフードを取り払った。
──はらりと溢れ落ちる亜麻色の髪はボリュームたっぷり。両耳の上で大きな団子状に纏めているが側面の髪はまだ余っており、団子を彩る装飾のように結ばれている。後ろ髪は腰を越える程に長く、ゆるく二つに結われているが随分とモフモフとしていた。
異質さは
曇天の元、荒涼とした湖畔の景色に緑はない。どこを見ても青白い濁りを持つ巨大なクリスタルが剣山の如く突き出ており、四方八方ほぼ同じ景色が広がっていた。
その中でも少し印象が違うのは湖畔西側にある丸くなだらかな丘だ。
ここも植物は生えておらず巨大クリスタルが突き出ているが、上にいくほどにミルク色の霧が煙っており、周囲に霧を撒き散らす中心のようになっている。その丘の頂上に消え入りそうな程薄く崩れ落ちそうな塔が見える。幽霊のようにぼんやりといつもそこに佇んでおり、全ての全貌はまず見えない。
──荒涼と侘しいこの地の名は石英樹海。
ここで生まれ育った彼女からすれば目に映る何もかもが当たり前の景色だった。
彼女は腕を伸ばして深呼吸して間もなく。待ち詫びた存在を霧の向こうに見つけて、瞳を爛々と輝かせる。
「あぁ……! グウィン! 久しぶりね!」
向かって来た者は真っ白な鳩。鳩は窓の柵に留まると彼女に向かい合い、お辞儀するように頭を垂れる。
『久しぶりねぇ。アイリーンこそ元気だった?』
「見ての通り私は元気よ。今日なんて朝の儀式が終わった後に走って戻って来たんだから!」
得意になって言えば、鳩は『ふふ』と軽い笑いを溢す。
──鳥と意思疎通し会話が成り立つ。
端から見れば奇っ怪だが、彼女……アイリーンからすればこれも当たり前の事だった。それも鳥相手だけでない。気まぐれな精霊も、意地悪な妖精だって。アイリーンは物心付いた時から数多の声を聞き取る事ができた。
荒涼とした石英樹海は侘しい場所だと自覚はある。それでも、多くの声が聞けるので、決して寂しい場所でなかった。
「あ。そうよグウィン、お手紙を運んでくれたのよね?」
『ええ、それが私の仕事だもの。さぁさ取り出して』
グウィンの足元に括り付けられた筒から丸められた手紙を抜き取り、アイリーンは落ち着かない様子で丸められた紙を伸ばす。
そこに綴られた内容は、近状の事。最後はアイリーンを気遣う言葉で締めくくられていた。
差出人はジャスパー・ヒューズ。その名を見て、アイリーンは頬をほんのりと赤く染める。
『アイリーンったら、私のご主人がとても愛おしいのね』
鳩に指摘されてアイリーンは目をしばたたく。
「え……愛おしいって、そんな……」
『あら違うの? だって貴女ってば私の主人がどんな人かいつも聞くじゃない?』
「だって、見た事もないから気になるもの……」
『背は高くて、鳶のような髪色に少し鋭い目をした顔立ち。人でいえばきっとステキな殿方じゃないかしら?』
──
しかし何度聞いても〝人の癖に空を飛ぶ〟事が上手く想像できない。
手紙の中で、鉄の塊が陸を走り空を飛ぶと彼も言っていたが……。やはり理解に苦しみアイリーンは首を傾げた。
(本当に不思議な人ね……)
文通相手のジャスパー・ヒューズとの出逢いは二年程前に遡る。
とはいえ、樹海の神殿に閉じ込められて生活するアイリーンは外との交流の一切を絶たれており神殿の敷地外を出る事は許されない。
いかにして知り合ったかと言えばグウィンである。
突如訪れた彼女は『貴女が晶の女神様? 手紙よ』と語りかけた事が始まりだった。
外の世界でも〝厄災の化身〟として、己の存在は知られているだろうと容易く想像できる。こんな自分を相手にだ。間違いなく悪戯かと思った。
それでもグウィンの話を聞くからに、差出人が決して悪戯で手紙を寄越したとは思えなかった。
そもそも普通の人間は鳩を使役できない。
グウィン曰く、鳩の持つ帰省本能を用いて人は手紙を送るそうだが……彼は全く違うやり口を用いている。
聞いた話によれば、彼はアイリーンと似た意思疎通の特技を持っているそうだ。とは言っても、アイリーンのようにきちんと会話が成り立つ訳ではないらしい。
彼にはグウィンの言葉を理解できていないそうだが、グウィンには彼の思いがきちんと届く。それも自然と彼の言葉に従ってしまうらしい。
……まるで操るようで聞こえは悪いが、グウィン本人曰く、従う事は全く嫌なかんじがしないそうだ。
つまり……アイリーンとの違いは意思疎通が一方通行である事と、動物を服従させる力があるのだと思しい。
外の人間には自分以上に凄まじい人がいる。アイリーンからすれば、ジャスパーは本当に奇特な人だった。
しかし自分は外との交流を絶たれているので、こんな事は本当に〝まさか〟だった。
当時のアイリーンは十五歳。まだまだ子どもだった。
外の世界に興味はあった。短い人生だ。こんな機会は二度とないだろう。そうして好奇心に負け、アイリーンは禁忌を犯したのである。
(バレなきゃいいのよ。……だって私、あとどのくらい持つか分からない)
ペンを止め、アイリーンはほぅと吐息をつく。それに見かねたのかグウィンは窓辺の柵から羽ばたきアイリーンの肩に留まる。
『大丈夫? 体調でも優れない?』
「ううん、平気。侵食は決まって夜に起きるのよ」
アイリーンの身体の至る部分に散らばった結晶こそが厄災と呼ばれる女神の証明。幼少期に発現したこれは、ジワジワと皮膚を埋め尽くしていく死へと誘う。
まさに奇病。不治の病だった。