長きに渡り竜の巣を愉悦の箱庭として扱い、数多の命と魂を弄んでいた瘴気の化身。
その化身が打ち倒され魔法少女達や戦いに参加していた竜達が歓喜の咆哮を上げる中、一人の竜の乙女が喜びに満ちた空間から音もたてず立ち去ろうとしていた。
「お待ちください、どちらへ?」
「……少し、誰もいない空を見上げに行くだけ。そっとしておいてくださいな」
立ち去ろうとしていた竜の乙女の名はウェルロス、瘴気の化身に心を弄ばれ後一歩で取り返しのつかない罪を犯すところだった女性。
女性は少し手を貸しただけなのにお節介に声をかけてくる黒騎士、ブラックナイトの声をわずらわそうにあしらって歩き出す。
ゆっくりと歩くウェルロスの視界の背後へ流れていく、巨体を誇る竜でも楽に通れる大きな通路の壁面をぼんやりと視界に収めつつウェルロスは独り言葉を漏らす。
「お姉様、ごめんなさいお姉様……ウェルロスは、やっぱり駄目な妹でした……」
魔法少女達との戦いで痛む体、しかしその痛みすらも愚かだった自分への罰なのだと思い込みながらウェルロスはゆっくりと目的の場所へと足を踏み入れる。
その場所はかつては風光明媚な庭園であった事が窺える場所であったが、荒廃した今となっては見る影もなく荒れ果てていた。
敬愛する先代竜王が狂い果てた末に英雄に討滅され、討滅される前に破壊されそうになっていた卵を庇って姉が大怪我を負った遥か遠き昔の情景を思い浮かべる。
「私はあの時に、お姉様を命に代えても守らなきゃいけなかった。なのに……」
在りし日の庭園の情景と共に、卵を抱きかかえた姉をオロオロしながら見守っていた竜王の姿を思い出したウェルロスは、その瞳に浮かんだ涙によって視界が滲んでいく。
もしかするとその時から自分の心は瘴気に操られていたのかもしれない、そうウェルロスは思いつつも結局は想い人である竜王から一身に愛を注がれていた姉に対する醜い感情があった事、それによって庇いに動けなかった自分の愚かさをウェルロスは思い知らされる。
「王子……ごめんなさい、お姉様……竜王様……ごめんなさい」
自身のどうしようもない愚かさと救えなさ、それはあの局面で助力をしたのだとしても許されないものだとウェルロスは自身を断ずると、呟くように新たに竜王になる事を選んだ竜王の血を引く幼き竜と……その両親へ謝りながら、荒れ果てた庭園の地面から無造作に生えている草を踏みしめて竜の巣の空を一望できる庭園の端へと足を進めていく。
しかし、その時。
「待つのである!!」
庭園の端からゆっくりとその身を虚空へ投げ出そうとしていたウェルロスの背後から、新たな竜王である仔竜の声が庭園に響いた。
ゆっくりと緩慢な仕草でウェルロスが振り返ったその先には、憎き瘴気の化身を討ち果たした魔法少女ことマジカルウララと肩にしがみついた狐のマスコット……そしてその小脇に抱えられた幼き竜王がいた。
「爺やを手助けしてくれたお礼をしようと思ったら姿が見えなくて、心配したのですわ!」
「そうなのである!」
戦いを終えた後竜達にもみくちゃにされていたロンロンは、ウェルロスの姿を探したが見当たらず爺やに聞いた処、危うげな気配を放ちながら何処かへ歩き去ったと言われたのだ。
その際に爺やは……。
「ロンロン様、あの娘が早まらぬよう止めてあげて下さい。あの娘は恐らく自らを許せないのだと思います」
そうロンロンに告げ、自分では止められなかったことを謝罪していた。
その言葉の内容に慌てて走り出そうとしたロンロンであるも、先ほどの死闘で幼い竜の体はまともに動かない程消耗していたため、ロンロンはマジカルウララに小脇に抱えられてここまで駆け付けたというのが事の次第である。
「新たな竜王への襲名おめでとうございます、王子……いえ、バハムート様」
「そう言う事を言っているんじゃ……!」
「王子、少しばかり愚かな女の想い出話にお付き合い頂いてもよろしいでしょうか?」
孤児院を襲撃してきた人物と同一人物とは思えないぐらいに、透明で穏やかな笑みを浮かべたウェルロスは心からロンロンが竜王となった事を祝福する。
しかし、まるで今生の別れのように告げるウェルロスの言葉にそうじゃないと叫び出すロンロンであったが、ロンロンがその先を口にする前にウェルロスは口を開く。
「お姉様、貴方のお母様は心身共に強く気高くて。そして慈愛の心に満ちた偉大なる御方でした」
ウェルロスは最早届かない思い出を慈しむように、噛みしめるように思い出を語り始める。
「一方で私はお姉様に比べて体も弱く、お姉様の陰に常に隠れているような卑屈な娘でした」
「お姉様はそんな私に対して優しく、無理に自分のようにならなくてもいいと仰ってくれました」
何をしても偉大な姉に届かない、姉のように成りたくても成れなかった過去を語るウェルロス。
ウェルロスは語りながら、今思えばあの時から仄かに無自覚に抱いていた嫉妬等の薄暗い感情が正気に付け入られる切っ掛けになったのだろうと、自分の愚かさに自嘲気味に笑う。
「私は貴方の御父上、先代の竜王様を男として愛していました。だけれども竜王様が選んだのはお姉様で……私の想いには答えてはくれませんでした」
「……お主は何も悪くない、愛情が絡めば男女問わず誰でも嫉妬は抱えるものじゃ」
「ええ、そうです。そうなんでしょう……だけど私は」
ウェルロスが語る言葉に、次々と想い人や狙っていた男を姉妹に寝取られた経験を持つコンコンはウェルロスは何も悪くない、そう言葉にして伝える。
しかしウェルロスはコンコンの言葉に同意を示しながらも、ゆっくりと首を左右に振って言葉を続けた。
その痛ましい様子にマジカルウララも何か言葉をかけようとするが、生まれてこの方色恋沙汰なんて知らない魔法少女は何かを言おうとするも、何も言えず口を噤む形になってしまう。
「瘴気に蝕まれ侵略に走ろうとした竜王様、そんな夫である竜王様がバハムート様の卵を害そうとして……お姉様がその凶行から卵を庇おうとした時、考えてしまったんです」
「ここで卵とお姉様が喪われたら、私が竜王様に愛してもらえるのじゃないかと……!」
抱いてはいけない感情を抱いてしまった、考えてはならない事を考えてしまった。
瘴気から解放されたウェルロスにとって、その罪はあまりにも重く自分を許せない罪の十字架となっていた。
「王子様……どうか恨むなら私をお恨み下さい、貴方のお父様とお母様は確かに貴方を愛しておりました」
「待つのである!ダメなのである!」
語り終えたウェルロスは、ゆっくりと優雅に一礼をするとマジカルウララ達へ背を向けて庭園の端からその身を投げ出した。
その姿を見たロンロンは目を見開き、マジカルウララの小脇から飛び降りると残り僅かとなった力を振り絞ってその身を巨大化させて虚空へと堕ちようとしているウェルロスを止めようと動く。
しかし、幼き竜王の手は後一歩で届かなかった。
「おわーーーー!?何してやがりますのーーーーーー!!」
「ナイスであるゴリラーーーーーー!!」
「ぬわーー?!勢い余って飛び出すでない!結界足場が間に合わぬじゃろうがぁぁーーーー!」
ロンロンが飛び出すよりも早く、身を投げ出したウェルロスを救い出そうと魔法少女が動いたからである。
「貴女、私は王子を攫った憎い敵で……」
「そんなの関係ねえですわー!」
勢い余って自らも虚空へ飛び出しつつマジカルウララはウェルロスの片腕をがっしりと掴み、大慌てでコンコンが作り出した結界の足場をしっかりと踏みしめて虚空に着地する。
「あ、ダメじゃ。儂もうガス欠」
「ちょっとコンコーン?!」
そして次の瞬間、コンコンがへにゃっとマジカルウララの肩の上で崩れ落ちた瞬間ガラスが割れるような音と共に結界の足場が崩落、マジカルウララとウェルロスは再度虚空に投げ出される。
しかしそれでも、二人と一匹が底の見えない虚空の奈落へ落ちる事は無かった。
「ぎりぎりセーフなのである!色々言いたい事あるけど結果オーライなのである!」
彼女達が落ちるよりも早く、竜王の力によってその体を巨大化させたロンロンがマジカルウララ達をその背中で受け止めたのだから。
さっきまで敵であり自裁しようとした自分を救おうと力を合わせる魔法少女と幼き竜王とマスコット、その3人の在り方にウェルロスは信じられないとばかりに彼女達を見ながら庭園の跡地へと下ろされる。
「……何故ですか?」
その余りにも眩しい3人の在り方に、ウェルロスは耐え切れず言葉を紡ぎ始める。
「自分が許せなくて!何もかも台無しにしてしまいそうだったから死にたくて!なのになんで死なせてくれないんですか!?」
幼子のように泣きじゃくり、その目からぼろぼろと涙を零しながらウェルロスは泣き喚く。
そんな母親の妹、叔母の姿にロンロンが何て声をかければよいか迷っていると……マジカルウララは蹲り泣きじゃくるウェルロスを無理やり立たせ、その頬を軽くはたく。
「いい加減にするのですわ!貴女はどこまで自分勝手なんですの!?」
「う、ウララ……その、ほどほどにじゃな……?」
「いーーえ!我慢できませんわ! 貴女が自身を許せないのもわかりますわ!わたくしが同じ立場なら申し訳なくて死にたくてしょうがなくなりますわ!」
はたかれた頬を抑え、茫然とマジカルウララを見返すウェルロス。
その様子に若干力尽きかけているコンコンは手加減するよう魔法少女に呼びかけるが、その呼びかけで止まるようなゴリラではないマジカルゴリラは真正面からウェルロスの瞳を覗き込んで言葉を畳みかける。
「でも!貴女を目の前で喪ったらロンロンは今度こそ血の繋がった家族を亡くしちゃうのですわ!」
真正面からウェルロスの心に叩き込まれたその言葉は、ウェルロスの心を決壊させるには十分過ぎる破壊力を持っていた。
また取り返しのつかない事を衝動的にした挙句、姉の子である王子の心に消えない傷跡を残すところだった自分に今度こそウェルロスは打ちひしがれる。
「えーっと、叔母ちゃんって言うべきかどうか悩むのであるな。まぁいいかなのである、叔母ちゃん」
ぼふん、と音を立てながらいつもの寸詰まりマスコット寸法に戻ったロンロンはウェルロスを見上げながら声をかける。
「王子……?」
「叔母ちゃん、死んだらダメなのである。我輩を独りぼっちにしないでほしいのである」
気が付けばロンロンもまた泣いていた、泣きながらウェルロスの足元に縋り付いていた。
「王子、ああ、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
その姿にウェルロスは瞳に光を取り戻すと、滂沱の涙を流しながらしゃがみ込み自身に縋り付いてくる幼き竜王を抱きしめる。
「コンコン、少し席を外しますわよ」
「……そうじゃな、あの娘はもう大丈夫じゃろうし。二人の邪魔をするのは無粋じゃろうて」
互いに抱き合い涙を流すロンロンとウェルロスの姿に、マジカルウララはずびっと鼻を鳴らしながらコンコンへ声をかけ、コンコンもまた魔法少女の言葉に頷いて同意を示すとそっと庭園から立ち去ろうとする。
そして最後にマジカルウララが振り返った時、涙を流して抱き締め合う二人に寄り添うように穏やかな表情を浮かべたウェルラスと竜王の幻影が佇んでいるのが一瞬見えた。
「どうしたのじゃ?ウララ」
「なんでもありませんわー」
足を止めたマジカルウララに不思議そうに声をかけるコンコンに、魔法少女は優しい笑みを浮かべると今度こそ庭園から出ていくのであった。
ここではない何処か。
どす黒い悪意が形を成した空間に一つの影がいた。
その影は、指先に浮かべた光の玉の中に浮かび上がる……一つの悲劇に幕がおろされた竜の巣の光景の映像を無感動な目で眺めていた。
適当に作り出した駒の一つが最後に送ってきたその光景、その光景を影は数秒ほど眺めると指先ですり潰すように映像が浮かび上がっていた光球を握り潰した。
その影にとって悪意は手段と目的であり、それによって得られる悲嘆と苦悩と憎悪は力の根源であった。
しかし影にとって供給源など無数にある以上、そのうちの一つが潰れたとて意に介するものでもなく……。
最早自身の役に立たなくなったソレに対して影は興味を喪うと、悪意に満ちた空間で漂い始めるのであった。
【破棄された記録文書~悪意と憎悪の瘴気~】
ソレを認識してはならない。
その存在を理解してはならない。
決して記録してはならない。
悪意と憎悪は何処にでもある。
やつらはソレを辿り、世界の隙間から覗き込み眷属を送り込む。
無数の英雄が自分達の未来と命を引き換えに、やつらを封じた事の意味を理解せよ。
やつらは滅んでなどいない。
今も事象の果てから我々を見張っている。