その仔竜にとって、世界とは残酷なものだった。
何も知らない、生まれたての雛竜の時はまだ良かった。
惜しみなく愛情を注いでくれる孤児院の院長や職員、そして血の繋がらない兄姉からの庇護者からの愛。
それだけに留まらず、自分の後から孤児院に入ってきた弟妹達から向けられる無垢な愛。
ソレらは間違いなく仔竜の心を守っていたし、仔竜は嘘偽りなく自分は幸せなのだと心から無邪気に信じていた。
しかし、それは。
「あ、ママがむかえにきたー!ロンくんまたねー!」
「パパだー!」
「うん、またあした……あそぼうね」
魔法の国の小学校に通い始めた頃の夕暮れ時、友達と鬼ごっことかで遊んだあの日。
帰りが遅くなったことで心配になった友達の親が友達を迎えに来たのを見た時、仔竜の心にわずかながら確かに罅が入る音がした。
孤児院の人達は皆、仔竜に惜しみない愛情を注いでいたことは間違いない……しかし。
彼ら彼女達は仔竜以外にも見なきゃいけない子供がいる以上、『実の親』がいる友達のように見てもらえた事も無かった。
ある日、仔竜は父親のように思っている院長に問いかけた事がある。
「かめじいちゃん、どうしてぼくにはお父さんとお母さんがいないの?」
幼いながらに仔竜は心に抱いた罅を癒す術を求めるかのように、そうでなくとも自身が納得できる理由を求めて問いかけた。
そして、仔竜は幼心に聞かなければ良かったと思ってしまった。
「いずれ、いずれ教えてやるからのう……今は遠く、とても遠いところにいるんじゃよ。お前のお父さんとお母さんは」
仔竜は幼いながらに聡明であった、そして聡明であるが故に理解してしまった。
自分が父親と呼べる存在も、母親と呼べる存在も手が届かない場所にいるという事に。
それでも仔竜はどこかで諦める事が出来なかった。
凄く、凄く勉強をして今まで誰も成し遂げた事がない大きな事をやれば遠くにいる父親や母親が自分を見つけてくれるのではないか、そう考えた。
「のう、ロンロン。そんなに生き急がなくても良いのじゃぞ?」
「大丈夫なのであるよ亀爺ちゃん、このテキストを終わらせたら弟妹達の面倒を見るのである」
「そうではないのじゃ、違うんじゃよロンロン……!」
小学校を卒業する頃には、高等教育で使う教科書は粗方踏破した。
新たに発表された論文を査読し、気になった個所を自分で実践検証して指摘の投書を送ったりもした。
その上で、自分のような悲しい思いを弟妹達にさせたくなかったから自分がそうしてもらったように、弟妹達にも惜しみない愛情を注いだ。
口調も記録映像にあった、グレートウォーの時に出現したという自分とは比べ物にならないぐらい巨大で威厳のあるドラゴンの喋り方を真似た。
それも全ては、自分の心に入った罅を覆い隠し……そして自身で納得する為の行為でしかなかった。
時には苦しく、無性に胸を掻きむしって叫びだしたい衝動に駆られた事もあった。
しかし、そういう時は決まって物心つく前から傍にいるとなぜか心が安らぐ……裏庭の隅にひっそりと建てられた、石碑に寄り添って瞳を閉じれば頑張る元気が出た。
そうやって頑張るロンロンを孤児院の皆は心配そうに見つめ、友人や学校の人達は応援してくれた。
中には、魔法の国の住人とは思えない酷い言葉を投げかけられた事もあったが、それでも仔竜は頑張り続けた。
しかし、仔竜が魔法の国でも史上初の飛び級で魔法学院を卒業した上で、マスコット免許を取得した日。
「親無し子が、生意気なんだよ!」
「お母さんに聞いたぜ?お前、卵の状態で孤児院の前に放置されていたんだってな!」
めでたい門出の日、大々的に報じてもらう事でもしかすると父親と母親に見つけてもらえるかもしれないと希望を抱いていた日。
心無いを言葉皮切りに、仔竜は手ひどい仕打ちを受けた。
無論その時は仔竜も相手にしない、などと言う事はなく徹底的にやり返した。
その時の報復の凄絶さ、そして証拠を残さない鮮やかさは当時の魔法の国の学校にひっそりと伝わる伝説になるほどであった。
しかし、徹底的にやり返しても尚、仔竜の心は晴れなかった。
だから、仔竜は己の心の中にある未練を断ち切る為に……父親代わりの院長に改めて尋ねる事にした。
「亀爺ちゃん、我輩は……本当は捨てられたのであろう?」
「……誰に聞いた、とは言わんよ。確かに儂はお主の卵を拾った」
「そっかー……ありがとうなのである、亀爺ちゃん」
苦しい時もあった、悲しい時もあった。
しかし何よりも、僅かな可能性……もしかすると父親と母親が自分を迎えに来てくれるかもしれない。
その未練を断ち切り、自分の心の罅に蓋をする為に仔竜は院長へ確認してしまった。
そして仔竜は、大々的に報じてもらう事になっていた案件を拒否し……魔法の国に居続ける事に居心地の悪さを感じて、自身と契約を結ぶ魔法少女を求めて単身地球へと渡ったのである。
まるで走馬灯のように巡る仔竜、ロンロンの記憶。
その想起から立ち直ったロンロンは、自身の母が眠ると言われた石碑の前で思わず彼らしくない動揺を晒しながら父親代わりの院長へ問い詰める。
「我輩の母親が眠っているって、どういう事であるか?!」
自分には父親も母親もいなかった、まるで石を投げ捨てるかのように卵を捨てられ拾われた。
自身にそう言い聞かせる事で、心の罅を覆い隠し無意識に歯を食いしばりながら生きていた生涯が何だったのか、そう叫びたい衝動を堪えて院長へ詰め寄る。
「すまぬ、すまぬロンロン……もっと早く、遺言で頼まれたとはいえ……お前が思いつめてしまう前に、言ってやるべきじゃった」
「どういう事であるか?!」
亀の院長はロンロンの狼狽する姿に、自身が致命的な選択ミスをしていたことを悟ると同時に深く頭を下げてロンロンに謝意を示す。
突然示された院長の謝意にロンロンが戸惑いの声を上げる中、ゆっくりと院長は重い口を開いた。
「ロンロン、お主は卵を放置されていたわけではないのじゃ」
院長はロンロンの卵を『託された』日を思い出しながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「お主の卵を抱いた今にも命の灯火が消えそうな、深い傷を負った竜の女性。その女性に儂はお主の卵を託されたのじゃ」
「え……?」
この子が大人になるまで、どうか言わないで下さい。
願わくば、この子が背負わされた宿命に気付く事がない道を歩ませてあげてください。
もはや目の焦点も合わない程に憔悴し、治療の魔法も効果を為さない程に生命力を消耗していた女性の言葉。
その言葉を脳裏に鮮明に思い出しながら、院長は言葉を紡ぐ。
「その時に儂はお主の母親から……お主が付けられる筈だった名前も聞いた、そしてその名前とは全く関係ない名前をつけてほしい。そう託された」
この子は世界に災厄と終焉を告げる竜なんかじゃない。
私とあの方の、大事な、大事な子供。
必死に呼びかける院長や孤児院の職員の呼びかけにももはや返答も出来ず、ただ願うように縋るように我が子の幸せを望み続けた母親の遺言。
余りにも残酷すぎるその真実と内容、だからこそ院長は幼きロンロンの問い掛けにはぐらかすような言葉しか返す事が出来なかった。
しかし。
「……おーけー亀爺ちゃん、正直頭がぐっちゃぐちゃだしわけわからないのである。だけど教えてほしいのである」
辛く苦しいはずなのに、それでも自分自身の感情を飲み込んで真正面から亀院長を見据えるロンロンのまなざしに院長もまた、腹をくくる事を決意した。
「そうか……覚悟を決めたのじゃな。それならばお主は知らねばならぬ。お主自身の宿命を」
そして、残酷すぎる愛の真実が今、語られる。
【マスコット達による解説劇場~今日はお休み~】
「引き続き儂一人で解説、と思ったのじゃがの」
「すまぬ、ちょっと解説ってテンションに持っていくの、無理じゃ」
そう言い残すと小さな狐は背を向けて不貞寝した。