雨粒が天から幾つも降り注ぎ、地面で跳ねる音が響く朝。
雨と言う天候以外にもとある事情から、朝のロードワークをお休みしていた麗はいつもの活力に満ちた表情からは打って変わり、酷く気怠い憂鬱そうな表情で頬杖を突きながら窓から外を見ていた。
こういう時にいつも要らない事を言っては折檻されるロンロンすらも、どこか居心地が悪そうにテーブルの上に座って両手で抱えた饅頭を無心に貪っている。
そうしている内に部屋の扉が音もなく静かに開き、麗の執事である初老の男性がうやうやしく頭を下げて報告を始める。
「お嬢様、やはり旦那様はどうしても仕事で抜けられないから先に向かっていて欲しい。との事です」
「……しょうがありませんわね」
爺やの言葉に麗は一瞬何かを言おうと口ごもるがその言葉を飲み込むと、大きくため息を吐いて椅子から立ち上がる。
何処か彼女らしからぬ様子、それこそまるで愁いを帯びた令嬢がごとき有様に何故麗がなっているのか。
それは……。
「爺や、霊園までお車をお願いしますわ」
「畏まりました、お嬢様」
今日が麗を産んで亡くなった母親の命日だからである。
写真でしか見た事のない母、その事を強く意識せざるを得ないこの日だけは天真爛漫で傍若無人の化身と言える麗もどこか上の空になる日であった。
麗はコンコンとロンロンを伴って爺やが運転するリムジンの後部座席に乗り込み、窓越しに雨が降り続ける外を眺める。
「お爺様とお婆様が、怪人に殺害されたのもこんな日でしたわね」
雨粒が車窓を叩く音にかき消されそうなほどにか細い声で、麗は呟く。
窓に反射する麗のその顔は、窓ガラスを伝って落ちる雨のせいかどこか泣いているようにも見えていた。
「そうじゃな、そして儂がウララと初めて会った日でもあるのう」
「コンコンはあの時から少しも変わりませんわよね」
しみじみと呟くコンコンの言葉に、麗はどこか力なく笑いながらコンコンのふわふわした尻尾を指先で梳くように優しく撫でる。
麗は自身が産まれた日に母を喪ったのだが、まだ社会的成功とは程遠かった父親がシングルファザーをして育てるには、少しばかり苦難が多い状況にあった。
故に自分自身の両親を既に亡くしている麗の父親は、亡き妻の両親の力を借りて麗を養育していたという事情がある。
そして、その祖父母もまた魔法少女になる前の幼い麗が怪人の襲撃に巻き込まれた時に、孫である麗を庇った事でその命を落としていた。
「ウララ、お爺さんとお婆さんはどんな人だったのであるか?」
「そうですわねぇ、お爺様もお婆様もとても。とてもやさしい人でしたわ」
もう手が届かない過去を慈しむように瞑目しながら、麗は幼い頃ともに過ごし自分に惜しみない愛情を注いでくれた祖父母との思い出を想起する。
今でこそ没落してしまったが、凄い名家の末裔なのだと冗談めかして笑っていた祖父の言葉を真に受けた幼い麗は、そんな祖父母に恥ずかしくない孫娘であろうと思いつく限りでお嬢様らしくあろうとした。
その事を心無い人物や同年代の子供らに揶揄われ嘲笑われたりもしたが、それでも祖父母とたまに帰ってくる父親だけはそんな麗を嗤わなかった。
「ねえコンコン、わたくしは……いえ、何でもありませんわ」
「……ウララ、お主は間違いなくあの日お主を救った魔法少女と同じように。力ない誰かを守れる気高い魔法少女になっておるよ」
「そうだと、よろしいのですけどね」
コンコンの言葉に何処か力なく微笑みつつ、目的地に到着し停車したリムジンから降りる。
今も曇天ではあるものの、ちょうど雨降りも止まっている事に麗はどこかホッとした様子を民せながら、お墓へ手向ける為の鼻を手に持ち掃除器具が入ったバケツを手から提げた執事と共に目的の墓地区画へ向けて歩き始める。
二人と二匹が辿り着いた敷地は静かな空気に包まれており、麗は特に言葉を発することなく黙々と奇麗に手入れされているお墓の掃除を執事と始め、マスコット2匹もまた無駄口をたたく事なく手際よく手伝いをしていく。
コンコンはマスコット的力でふわふわと宙に浮きながらお墓を丁寧に拭き掃除し、普段は碌でもない事しか言わないロンロンも、こういう時ばかりはおとなしく手伝っている。
「お嬢様、それでは私は車に戻ります」
「ええ、ありがとう爺や」
掃除を終え線香に火を点けた爺やは、使い終わった器具の入ったバケツを手に麗へ一礼すると停車しているリムジンへと戻っていく。
コレは普段誰にも弱いところを見せたがらない麗が、墓の下で眠る家族にだけ見せる弱い姿を見ない為にする執事なりの気遣いであった。
「お母様、お爺様、お婆様……麗は元気に楽しく、逞しくやっておおりますわ」
お墓へ向けて手を合わせながら、慈しむような顔で。
そして今にも泣きそうな顔で、ゆっくりと麗は語り掛ける。
「今年はお父様はお仕事が忙しくてこられないそうですわよ、酷いお父様ですよね」
憂いを帯びた表情を浮かべながら、そこに敬愛する母と祖父母がいるかのように語り掛ける麗。
「わたくしは今も頑張って魔法少女やっていますわ、お爺様とお婆様……そしてお母様にとって恥ずかしくない女の子で居続けたいんですの」
ぽつりとつぶやく麗。
悪党が許せない、理不尽に虐げられる弱者を甚振る邪悪が許せない、自分をマジカルゴリラと呼んでくる連中を赦せない。
様々な感情を抱いて魔法少女として戦い続けてきた麗であったが、彼女の根底にある想い……ソレは。
自分を愛してくれた、そして愛してくれている人達にとって恥ずかしくない自分でありたいという願い、それこそがマジカルウララの中核を作り出している感情であった。
「ヒヒヒヒヒ……感動的ですねぇ~~」
「!? ウララ!怪人じゃ!?」
「ちょっと待つのである、我輩らが感知できないままこんな近くに来ているとかおかしいのであるよ!?」
しかし、少女と亡き家族との語らいを邪魔する邪悪が突如現れる。
ウララと家族の語らいにしんみりしていたとはいえ、それでもここまで近づかれたらいやでも気付くはずなのに、それを感知できなかった事実にマスコット2匹が動揺する中麗は声がした方へ向き直る。
「年齢不詳の婆狐マスコットに、ろくでなしすっとこどっこいドラゴンマスコット……ヒヒヒヒヒ、マジカルウララの正体をこんなところで知れるとは、僥倖僥倖」
「ここは人々が安らかな眠りに就く場所でしてよ、戦いなら違う場所でいたしませんこと?」
まがまがしいドクロを象った顔を持ち、あちこちに骨で作られた外装を身に纏った怪人の姿に麗は不愉快そうに眉根を潜めつつ言葉を紡ぐ。
一方割と失礼な事言われたマスコット2名は、地味に怒りを見せていた。
「コンコン、ロンロン!変身ですわ!」
祖父母と母が眠りに就くお墓から離れつつ、マスコット2人に声をかけ魔法少女への変身を開始する。
「お母様、お爺様、お婆様……見ていて下さいませ!マジカルパワー、メイクアップですわーー!!」
麗の叫びと共に静かな墓地を包み込むように魔法少女パワーによって齎された虹色の光が弾けるように満ち溢れ、光と共に麗が身に纏っていた私服のドレスがゆっくりと解けるように消えていく。
言うまでもなく少女の大事なところはひと際強い光で隠されているので、保護者が見ても安心だ。
そして虹色の光が織物のように麗の体へと纏わりつき、フリルのついたドレスの形状に光が形成された瞬間青色を基調としたリボンのついたドレスへと変化、麗の縦ロールを根本から止めていた髪留めもまた華やかな宝石のついたリボンへと変化し、最後に足元の靴が可愛らしいシューズへと変化して変身は終了する。
「マジカルウララ!見参!」
「ヒヒヒヒヒ、数多の組織や怪人……大怪獣すらも打ち倒せなかったマジカルゴリラ、ここが貴様の墓地になるのです!」
コンコンがお墓に戦闘の被害が行かないよう結界を張ったのを横目に確認した瞬間、マジカルウララは弾丸がごとき勢いでドクロ怪人へ突進し、先制攻撃とばかりに必殺の鉄拳を叩き込む。
その一撃は余裕綽々と言った姿をしていたドクロ怪人の胴体に突き刺さ……る事はなく、それどころかドクロ怪人はマジカルウララの突進を利用するかのように体をひねり、魔法少女の顔面にすれ違いざまにカウンターパンチを叩き込む。
「うぐぅっ?!」
「ウララ!しっかりするのである!いつもみたいに暴力と破壊力とパワーでねじ伏せるのであるよ!」
「うるっさいですわ!!」
いつものマジカルウララらしからぬ調子に、思わずロンロンが声援を送るが動きに精彩をかくウララは苛立たしそうにロンロンへ向けて怒鳴り返す。
そんなウララの姿に、ドクロ怪人は哄笑しながら粘着質な声音で語り掛ける。
「ヒヒヒヒヒ、どうやら迷いがあるようですねぇ」
「おだまり!」
ドクロ怪人の言葉にマジカルウララは冷静さをかなぐり捨て、拳を振りかぶって襲い掛かろうとするがその拳はドクロ怪人に届く事は無かった。
「え……? なんで、どうしてですの……?」
ドクロ怪人を守るように両手を広げ、自身の前に立ち塞がる半透明の老夫婦の姿にウララは震える声で呟く。
怪人を守る為に立ち塞がった老夫婦、それは……麗が6歳の時に自身を庇って命を落とした祖父母、その人達であった。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒ!説明が遅れ申し訳ありませんねぇ、ワタシは死者を呼び出す事が出来るという力を持っておりまして。この方達はマジカルウララ、貴女に言いたいことがあるそうですよぉ?」
怪人が起こした災害から自分を庇って命を落とした祖父母が、自分の前に立ちはだかり怪人を庇っているという光景を信じられず後退るマジカルウララに対し、ドクロ怪人は勝ち誇ったかのような声で説明すると同時に、茫洋とした表情をしていた老夫婦はまるで仇を見るかのような憎々し気な瞳でウララを睨みながら口を開く。
──お前が産まれたせいで、娘が死んだ。
「え……?」
幼い自分を膝の上に乗せ、優しく頭を撫でてあやしてくれた祖母の呪詛めいた声にウララは今聞いた声を信じられず、その表情が凍り付く。
しかし、そんなウララに構う事無く老夫婦の亡霊は口を開くたびに次々と呪詛を撒き散らす。
──お前みたいな暴れん坊など、我が家に相応しくない
──お前がずぅっと憎かった、目障りだった
「そ、そんなこと!そんなことお爺様とお婆様が言う事などありえませんわ!」
やんちゃでもいいから元気に育ってほしいと、同年代の男の子と豪快に取っ組み合いのケンカをした麗を褒めてくれた祖父が吐き捨てるように呟いた呪詛。
風邪を引いて寝込んだ時に、ずっとそばに寄り添って看病してくれた祖母が放つ呪詛。
それらが振り撒かれる度にウララの戦意は挫け、気が付けば振り始めていた土砂降りの雨粒のように魔法少女の心を打ち据えていく。
「ヒヒヒヒヒ、強情ですねぇ。しかし死者は雄弁に語るもの、貴女はずっと憎まれていたのですよ!」
「ち、違う!違いますわ!!」
手に持ったどす黒い瘴気を放つ水晶玉を愛しそうに撫でさすりながら、マジカルウララを嘲り笑うドクロ怪人の言葉に、ウララは祖父母がこんな事言うはずがないと自身に言い聞かせるかのように叫ぶ。
「耳を貸すんでないウララ!お主が敬愛していた祖父母がこんな事言うはずなかろう!」
コンコンもまた動揺し戦意喪失しそうになっているウララを奮起させるべく声援を送る。
一方ロンロンは敢えて身を隠しながら、先ほどから注意深くドクロ怪人の様子を観察していた。
「ヒヒヒヒヒ、強情ですねぇ……それならば、この方にもご登場願うとしますか」
ドクロ怪人がそういうや否や、手に持った水晶玉がひと際強くドス黒い瘴気を放った次の瞬間。
ウララによく似た妙齢、どこか儚げな雰囲気を持つ半透明の女性が姿を現した。
その女性の姿にウララの戦意に、ヒビが入る。
「あ、え……おかあ、さま……?」
ウララが写真でしか見た事のない実の母、その姿を一目見られた事に土砂降り雨に打たれるウララの目に涙が浮かぶ。
「ごめんなさいお母様、ごめんなさい……わたくしを産んだから、お母様が……」
マジカルウララにはもはや、奮い立つ戦意は殆ど残されておらずへたり込みそうな体を支えるだけでも必死な有様であった。
しかし、ドクロ怪人が手に持つ水晶玉が強く光ると共にその女性は憎しみを込めた顔をウララへ向けて口を開く。
──あなたなんて、産まなければよかった。
その言葉は、マジカルウララの戦意をへし折るには十分であった。
母の亡霊から告げられた心無い言葉にウララはその顔をくしゃくしゃに歪め、土砂降り雨でぬかるんだ地面に膝をつき、その目から滂沱の涙を流す。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!マジカルウララ恐るるに足らず!一皮剥けばただの小娘でしかないですねぇ!!」
完全に戦意を喪ったマジカルウララの姿に勝利を確信したドクロ怪人は、心から愉快そうに哄笑しながら勝利宣言をすると、へたりこむウララの細首を小枝のようにへし折ろうとゆっくりと近付き始める。
「この卑怯者めが!」
「マスコット風情が、邪魔ですよ」
ドクロ怪人のやり方に憤然冷めやらぬと言わんばかりにコンコンが突進するが、ごみをはねのけるかのように払い飛ばされ、コンコンのふわふわした小さな体が地面を転がる。
そしてドクロ怪人がその手を伸ばしてマジカルウララの首を掴もうとした、その時。
「立ち上がるのだ!愛しき娘よ!」
土砂降りが降り注ぐ墓地に、一人の男性の良く徹る声が土砂降りの雨が降り注ぐ墓地に響き渡った。
雨はまだ、止みそうにない。
【マスコット達による解説劇場~今日は閉店~】
お墓参りに行ってくるので今日はお休みです、と書かれた看板が提げられている。