しばらくしてハーマンが、ドミニクス殿下が目を覚ました、と言ってきた。
寝てる間にミーシャが浄化を行ったので、少なくともヒロインのクッキーの効力は消えているはずだ。
しかしなあ。彼とまともな会話ができるだろうか?
ヒロインクッキーの効果がなくとも、彼と私は本当に昔から……会話がうまくいかない。
キッチンテーブルに、ミーシャ、ドミニクス殿下、ハーマン、私の4人で座る。
しばし無言が続いた後。
「君は僕の弟なんだってね。……君は僕のこと覚えてるの?」
ミーシャがドミニクス殿下に聞いた。
「……オレは、覚えています、兄上。貴方を忘れられるはずはない」
ドミニクス殿下は、静かにそう言った後、私の方を見た。
「アナスタシア、さすがに迷惑をかけたな。頭がおかしくなってからの事だ。そこは色々と傷つけた、すまなかった。船上の断罪も……恥をかかせてしまったな」
「えっ」
まさかこの人に謝ってもらえるとは思わなかった。
でもまあ、ヒロインによる洗脳? がなければ、サボりぐせが酷いだけの普通の人だったものね。
そう……『普通の人』。
つまり神鳥もおらず、将来の王として期待されずに、王太子をやってきた人。
「ひょっとして、オレ。王太子やめていいのか」
「やめたいの!?」
サボりたがりの癖に、それでいて王太子であることは誇りだったのかと思ってたよ!? なんか自慢げだったし!
「正直言うと、ずっとやめたかった。兄上どうか王宮へお戻りください。そしてどうか、王太子になってください。」
「んー。それってアーシャと結婚できる?」
――待て。
「彼女は王妃教育も受けていて年齢も釣り合ってますから、兄上が彼女を求めるなら、陛下にも反対されることはないと思いますよ。もちろんオレも後押し致します」
――待たんかい。
「じゃあ、次の王様やってもいいよ」
――パーティゲームのように言うんじゃないよ!?
私は王妃なんてやりたくない、とここで叫びたい……!!
だが、ここは冷静に。
「一言いいかしら。陛下でもなく、私の父でもないあなた達が、勝手に私の嫁ぎ先をやり取りしているのってどうなの?」
「あ……アーシャごめん」
「確かにそうだな。だがお前はすでに次の王妃を確約されてる存在だから、どうしてもこういうやり取りになる。まあ……仕方のない事だ」
ドミニクス殿下。あんたはいっつもそう。
確かに当然のことかもしれないけれど、そこに私への思いやりがない。さっきの謝罪で少し見直したのに。
「でも、船では私を国外追放か死刑にしようとしてましたよね。なら私が王妃をする必要ないのでは? いまからでも別の方に王妃教育を」
「それなら僕、王様やらない」
……ミーシャぁ!
「船でのことは先程謝罪しただろ。頭がおかしくなってたんだ。だいたい神鳥がいる兄上がいるのに、オレに国を背負うことなんてできない。したがって」
……ドミニクス! この野郎、自分だけロイヤル離脱しようと……!
「そうですね、したがって」
ハーマンが言う。ハーマン、おまえもか!
3人の目線がこちらに集中する。泣きたい。
……彼らの意見は間違ってはいない。
こうなってくると、逆に私がルール違反なのだ。
公爵令嬢としての義務を放棄しようとしているのだから。
「それにアーシャ。もし兄上が行方不明にならなかったら、本来お前は兄上の婚約者になる予定だった。だから、元の鞘に収まるだけの話しなんだ」
ドミニクス殿下がそう言った。
「え……!」
まさかの……いつかミーシャが言った、『僕が行方不明にならなかったら婚約者だったかも』発言がドンピシャだったとは。
「……ふふ」
ミーシャが嬉しそうな顔をして少し笑った。
しかし、私は。
「――っ」
私はため息をついて、立ち上がった。
前世の記憶があるだけに、自分が物のようにやりとりされているのが耐えられなくなった。
私の人権は? とかって思っちゃう。
前世でも、自分の人生がままならない人はいたと思うけど、私は自由に生きてたタイプだ。
「そもそも、私達は国に帰れるかどうかもわからないのに、何を話してるのかしらね。……しばらく一人にしてちょうだい……」
私は、そう言うと、その場を後にした。
◆
1人になって散歩していたら滝壺についた。
綺麗な水だ。
魚が泳いでるのも見えた。
川辺りで体育座りして、滝を眺める。
しかし、参ったな。
このままでは、王太子妃にされてしまう。
とんだ番狂わせだ。
しかも、ミーシャ相手となると……きっと逃げることは、かなりの困難だろう。
島を出た所で、視るための動物を増やしたりすれば、すぐに彼には見つかるだろうな。
テイム力(りょく)が、どこまであるか知らないけど。
くそ、厄介なチート王子め……。
私にしてみれば、もう少しで自由に手が届くところだったのに、さらに逃げ出すのが困難になったのが悔しい。
あと怖いのが……
『僕から逃げたら許さない』
小さな子供のちょっとした戯言かもしれないが、異世界転生した世界でこういうセリフを聞いたら油断してはならないと思ってしまう。
私は異世界転生には詳しいんだ(自称)。
エロ同人みたいなヤンデレ結末はごめんだよ!
そう、油断しちゃだめだ、と思って生きた上であの断罪イベントは起こった。
私の勘は正しかったのである。
おそらく逃げるのは危険な行為だ。
そう考えると、王太子妃になるのが無難な気がしてくる。そもそも私の義務だしね。
でもなあ。
こないだ見た虹を思い出す。
あちこち世界を巡って旅してみたい。
この世界のどこか大きな街とかで自由に暮らしてみたい。
うん。そうだ、頑張って今は耐えよう。
今までも断罪イベントまで様子を伺って準備してきた。
今は様子を見る時だ。