相手に警戒されず、というよりも、むしろ低く見られた状態で思わぬ鋭い攻撃を仕掛けられたら、しかもそれが普通に手を伸ばせば届くぐらいの状態であれば、よほどのことが無ければ無事では済まない。
その思わぬ攻撃には颯玄も対処できず、サキの突きが顔面に当たった。
こういう状態の場合、首が弱ければそのまま頭部が後傾し、脳への損傷も懸念される。
しかし、ここでも颯玄がこれまで行なってきた稽古での首の鍛錬が役立ち、顔面に突きが当たったものの、首や脳への痛手は軽減できた。それはサキの突きが触れた瞬間、顔を横に向け、それにより衝撃を少なくしたことも関係する。もし同じような感じで仕掛けられたら、他の者であれば、当たった瞬間、失神したかもしれない。変に突きに抵抗せず、柔の意識で対応したことが功を奏したのだ。
「油断できない」
颯玄は心の中でつぶやいた。
サキはその突きで颯玄が倒れるものと思い、次の技を出さなかった。
そのことは颯玄にとっては幸運で、もしそこでもう一撃続いていたら危うかった。そして、この突きでサキの実力を認め、本当の本気になった。
だが、これまでのような戦いにはしないように決めた。先ほど攻撃された時に意識した柔の技を活用し、極力打突系の技ではなく、関節技で極めて負けを認めさせたり、投げを活用して当てない下段突きで傷つけないようにすることを意識した。
そう考えた颯玄は、構えの質を変えた。外見的には変わっていないが、柔の対応ができるよう、脱力したのだ。
隠していた自分の実力を知られたサキは、間合いを切ることに慎重になった。互いに見合いながら一進一退を繰り返す。
しかし、颯玄はサキからの仕掛けを待ち、柔の対応を意識しているため、自分からは動かない。しびれを切らしたサキからの攻撃を待っていた。周りの観衆はサキの上段突きに恐れをなした颯玄が手を出せないでいる、と勝手に考えている者も出てきた。そういう場合、ヤジを飛ばすことがよくあるが、ここでもそうだった。
戦っている者同士であれば、それが違うということは分かっているが、何も知らない周りは囃し立てる。
だが、いくら周りがうるさくても、颯玄とサキの耳には届いていない。2人は戦っている者同士の独特の空間にいたのだ。実際に拳を交わし合っている場面ではないが、心の中ではしっかり戦っている。そこに余人が入る隙間は無いのだ。
ただ、それだけでは現実の戦いに決着は付かないので、颯玄はサキの攻撃を誘うことにした。さっき自分がやられたことのお返しのようでもあったが、仕掛けてもらわなければ颯玄が考えている展開は無い。
サキは容易に乗ってこなかったが、このままでは先に進まないので、颯玄の誘いに乗ってみることにした。その場合、颯玄の対応についていくつか想定し、その上での展開を考えた。場数を踏んでいるという点ではサキのほうが上だ。だからこういう深読みについてはこれまでの経験が役立つ。
颯玄の様子から突きや蹴りで戦うというより、攻撃技を捕る意識でいることは何となく気付いていた。構えから考えると、左の脇に隙があるように思えるので、サキはそこに回し蹴りを放った。こういう時、中途半端な技で仕掛けると相手が乗ってこないのは知っている。だからサキはこの蹴りが当たれば倒せるくらいの意識で蹴った。