次の日、今日から本当に形を学べることになる。
学校から帰ったらすぐに祖父の家に向かった颯玄は、一人で先日見せてもらった四方拝の真似事をやっていた。もちろん、きちんと教わったことは無いので、颯玄なりに試行錯誤しながら身体を動かしている、といった感じだ。
しばらくしたら祖父が家から出てきて、颯玄がやっていることを見た。
「何をしている颯玄」
少し厳しい表情で言った。口調も叱るような感じだ。
颯玄は覚えている範囲で四方拝をやっていた、という説明をした。
「馬鹿者。昨日の話から形にはきちんとした意味があり、真似事程度でやってはだめだ。一つ一つの動作に意味があり、そこには武の理がある。そういうことも含めて少しずつ積み上げなくてはならない。猿真似のような動きはいくらやってもその域を出ない。わしがきちんと教えると言ったのに勝手なことをやるとは・・・。颯玄、お前の気持ちは分からないではないが、久米の家の者ということで特別な教え方をしているつもりだ。形の段階になったら、まずは言われたことだけをやりなさい。他の時間はこれまで稽古してきた基本をやれ。武術の段階には3つあり、それを
颯玄の心の中には言いたいこともあったが、ここは黙って従わなければ教えてもらえないと思い、「はい」と答えた。
「形を始める前には一つの共通する動作がある。それによって身体の中に気を溜める。今は分からないだろうが、続けている内に何か感じるはずだ。それはお前の中のことなので、わしにも言う必要はない。だが、それを感じることができたら、お前の空手家としての実力はそれなりになっているだろう。気を溜めた状態から形としての動きが始まるわけだが、まず、両腕を自然に下に下ろしなさい。立ち方はいわゆる気を付けの状態だ。これを空手では結び立ちという」
颯玄は祖父に言われた通りに立った。この時点では祖父は何も言わないが、なかなか次の指示が出ない。単に立っているだけだが、だんだん自分の姿勢が正しいのかどうか分からなくなってきた。微妙にふらついているような感じがしているのだ。
祖父は何も言わないので自分の状態が客観的にどうなっているのかは知る由もない。肌に風を感じるが、そういうことも自分の姿勢に何か影響を与えているような感じがしている。立つことがこんなに難しいとは思わなかった。
初めて形を教わるという緊張も関係しているのかもしれないし、変な力みがあるのかもしれない。これまで感じなかったことだが、これなら動いているほうが楽、といった感じもある。
「颯玄、どうだ。立っているだけでも難しいと感じるだろう。それはお前に武術に必要な中心軸ができていないからだ。その感覚は全ての技に共通することで、それができていない状態でいくら技を出しても、それは本物ではなく、偽物なのだ。さっきお前が一人でやっていた時、わしが見せた形の動作だけを真似たのだろうが、こういった基本にして極意とも言えるところは何も考えなかっただろう。だから少しずつ段階を踏んで教えるといったのだ。この中心軸という意識すべき身体感覚について少しでも理解できたら、これまでやってきた基本にも魂が入っていく。武術にも現実の肉体の力は必要だし、これまでその部分を意識してもらった。今度はそれを武術に活かす稽古に入っていく。その場合、今お前が感じたような身体感覚ということが重要になる。武術に必要な身体作りができていない場合、そういうことは単なる耳学問になるだろうが、一つの過程をこれまで続けてきたお前だから、次に意識すべきことを示した。こういう話をしたのは今日が初めてだから、見た目は単調かもしれないが、今後は自分の内側の段階を上げるためと思い、毎回、自分の立ち姿を感じるようにすることだ」