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稽古再開 6

 座学といっても、学校のような黒板があるわけではない。いつも祖父が一人でくつろいでいる部屋でのことだ。また、まさか学校のような時間になるとは思っていなかったので、筆記具も持っていない。

 となると、聞いた話は頭の中に入れなければならない。

 ただ、颯玄は学校の勉強でも優秀なほうだ。勉強が嫌いという性格ではない。だから座学と聞いて拒否反応を示したのは、意外な話に戸惑ってのことと、自分の期待と異なった展開になったことへの不満が理由だった。

 だから、さっき祖父に対して自分の思いを言えたことで、すでに心の大部分は落ち着いている。

 となると、祖父がどんな話をしてくれるかに興味は移っていた。

 祖父と颯玄の間には机もない。その雰囲気からは座学という感じにもならないが、颯玄にとっては興味深い空手に関係する話だけに、ただの雑談といった状態ではない。祖父、颯玄ともにいつもここで話している時とは空気感も違っていた。

「颯玄、昨日わしが見せた形だが、名前は言っていなかったな。四方拝という」

「どういう字になるの」

「うむ、そこから気になるか? 良い良い。そういう意識が学びには大切だ。前後左右という意味の四方に、拝むといった意味で使われる拝という漢字が使われる」

「あっ、だから形の動きが4つの方向になったのか」

 颯玄は早速昨日見せてもらった形とのつながりを見つけた。

「そういう意識で話を聞くことができれば、わしが座学の必要性を意識することも自然に分かるだろう」

 祖父は颯玄の学ぶ姿勢に対して誉めたが、こういうことは物事に対して集中させるには効果的だ。颯玄の学び心をうまく刺激している。

 それが功を奏したのか、颯玄から質問が出た。

「それなら拝にはどういう意味があるの?」

 だんだん颯玄が聞く姿勢になっていることに、祖父は心の中で喜んでいた。座学というのは、身体を動かすことが好きな人間にとって退屈さを感じることが多くなるが、それでは武術家として大成しない。先ほど文武両道の意識を説いた祖父だが、さっそくその話が効いているのかもと思い、内心喜んでいた。

「良い質問だ。そのことを理解するには、四方拝のことをもう少し理解しなければならない。実はこの形は武術としての性格だけでなく、儀礼形という性格も持っている。この形は琉球王朝の祝い事の席上で演じられていたと言われ、四方拝には天の四神に対して拝する、という意味があるんだ。天の四神というのは東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武を言い、その神々に対して感謝や祈りを込めて行なうのだ」

「そうか、でも、神様に対して突くという攻撃のための技を出しても良いの。神様、怒らないのかな」

 とても純粋な質問だ。良い感性を持っていると感じた祖父は、座学ということで一方的自分から話すのではなく、この様に颯玄の疑問を引き出し、それに対して答える形式を取ることにした。その時の颯玄の目の色が先ほどとは違っていたからだ。


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