目次
ブックマーク
応援する
8
コメント
シェア
通報

第104話 眠りの小鳥

 拓真のアパートの隣家は、管理人の住まいだった。205号室から全ての家具家電製品を運び出し、小鳥と拓真は菓子折りを持って引っ越しの挨拶に行った。


わんわん! わんわん!

わんわん! わんわん!


 相変わらずわん太郎は賑やかだったが、こうして再び出会えた事を嬉しく思った小鳥の口元は自然とゆるんだ。


「わん太郎は変わらないね」

「そうだね」


 最後に、なにもなくなった205号室に足を運んだ。小鳥は階段を一歩、また一歩と踏み締める度に、こぼれ落ちた4の思い出を拾った。そして隣で微笑む拓真を見上げた。


「拓真と、また会えて良かった」

「そうだね」


 拓真は205号室の扉を閉め、鍵を掛けて”高梨”の表札を外した。




 ペールブルーの小鳥の軽自動車は、アメリカかえでの並木道を時速50kmで走った。赤色信号の交差点でゆっくりとブレーキを踏む。目の前を、ベビーカーを押した若い夫婦が白い横断歩道を渡って行った。


「この横断歩道だったね」

「そうだね」


 小鳥と拓真は繋いだ手を握り締めた。




 小鳥は、霊園の駐車場で軽自動車のブレーキを踏んだ。キュルキュルと止まるエンジン音を聞きながらシートベルトのタングプレートに手を掛けた。すると、助手席から降りた拓真が運転席のドアを開けて小鳥に手を差し伸べた。


「僕も、自動車の運転免許を取らないといけないね」

「そうだよ!いまどき、自動車の運転免許証を持っていないなんて驚きだよ?」

「そうだね」


 そして2人は駐車場脇の古びた花屋に立ち寄った。頭に手拭いを巻いた高齢女性が店番をし、菊の花の茎をビニール紐で縛っていた。


「やっぱり紫色かな」

「そうだね」


 小鳥は紫の菊の花を5本、そして蝋燭ろうそくと線香、マッチを買い、千円札を手渡した。


「はい、お釣り」

「あ、お釣りは良いです」

「そうですか?ありがとうございます」


 高齢女性は霊園駐車場の掃除も担っているらしく、せめてものお礼にと釣り銭は遠慮した。新聞紙に包まれた紫の菊の花を受け取ると、青い草のにおいがした。



ミーンミンミンジー ミーンミンミンジー

ミーンミンミンジー ミーンミンミンジー



 杉林に油蝉あぶらぜみの鳴き声がこだまする。少しばかり湿気を含んだ風に、汗がにじんだ。



ミーンミンミンジー ミーンミンミンジー



 ゆる傾斜けいしゃを小鳥と拓真は手を繋いで上った。砂利道に折れ、サザンカの垣根を越えると、いくつかの墓石が並んでいた。枯れ落ちた杉の子を踏み進んだ小鳥と拓真は、御影石みかげいしの墓石の前で歩みを止めた。墓跡には”須崎家”の名が彫られ、枯れ掛けた墓参りの花がこうべを垂れていた。


「お水、替えようか」

「そうだね」


 拓真は、墓石に積もった杉の子を手で払い、しおれた花束を取り除いた。次にペットボトルの水を花入れに注ぎ、新しい菊の花束をその中に挿した。


「拓真、お願い」

「うん」


 蝋燭ろうそくと線香をショルダーバッグから取り出し、マッチをった。目にみる焦げ臭いにおいが辺りに漂い、ぽっと蝋燭ろうそくに火が灯った。線香の煙がゆらゆらと揺れる。


「お線香の匂いって、なんだか寂しいね」

「そうかな」

「うん」

「僕は懐かしい感じがするよ」


 拓真はひのき数珠じゅずを手に、まぶたを深くつむった。


「そうなの?」

「お帰りなさいって、言ってるみたいだ」

「そっか」

「うん」


 小鳥もコーラルピンクの数珠じゅずを握った。


「菊乃さん、お帰りなさい」

「お祖母ばあちゃん、ありがとう。お帰りなさい」


 小鳥と拓真は新盆にいぼんの墓参りを終え、高梨の家へと向かった。


ミーンミンミンジー ミーンミンミンジー




 小鳥のペールブルーの軽自動車は、高梨の家のカーポートにまった。ボンネットはまだ熱く、真夏の日差しを照り返している。小鳥が、長ネギや大根が顔を出すエコバッグを持とうとすると、拓真が慌ててそれを止めた。


「別に、良いのに」

「奥さんにそんな重い物は持たせられません!」

「えええ」


 小鳥の手には、麦茶のパックが一袋だけ手渡された。小鳥は、実に面白くない顔をした。


「ただいま!」

「ただいま帰りました」


 玄関の扉を開けると、2階でトン!と音がして、べべが軽い足音で階段を降りて来た。黒い被毛は真っ先に小鳥の脚に絡みつき、ぐるぐると八の字を描いた。


「べべ、小鳥ちゃんが転んじゃうよ、危ないから」

「大丈夫だってば」

「危ないよ」

「にやっ!」


 拓真がべべを抱きかかえると、べべはいかにも不満げな顔をして、耳を後ろに倒して見せた。


「あらあら、お帰り拓真。小鳥ちゃんも暑かったでしょ?早くお入んなさい」

「おお、帰ったのか」


 拓真の父親も相変わらずで、肌着に股引ももひきといったくつろいだ姿で小鳥たちを出迎えた。


「お父さん!またそんな格好で!」

「暑いじゃないか」


 縁側でガラスの風鈴のぜつがくるくると回り、涼しげな音がリビングに響いた。


「もう、今は小鳥ちゃんも居るんだから、せめてズボンくらいは履いてね!」

「暑いじゃないか」


 拓真の母親も相変わらずで、気さくだが手厳しい。


「本当にもう!」

「暑いじゃないか」


 拓真は冷蔵庫の扉を開け、麦茶の瓶を取り出しながら、小鳥に小声で話し掛けた。


「小鳥ちゃん、本当に同居で良いの?」

「なんで?」

「母さんはうるさいし。父さんはあの調子だし、小鳥ちゃんは嫌じゃないの?」


 小鳥はべべを抱き上げると、頬擦りをしながら微笑んだ。べべは青い瞳を三日月の様に閉じ、ゴロゴロと満足気に喉を鳴らした。


「みんなで暮らしたら、楽しいよ?」

「そうだけど」

「それに」


 小鳥と拓真は、小鳥の希望もあって高梨の家で両親と同居する事になった。この家の2階が2人の新居だ。家具はヒナギクと同じ白で統一した。




ピーチチチ


夏雲雀なつひばりの鳴き声が聞こえる。


ピーチチチ




 そして、窓際にはペールブルーの小さなベッドが置かれていた。その隣では、べべがゴロゴロと喉を鳴らしていた。小鳥の胎内には小さな命が眠っている。それは、微睡まどろみの中でどんな夢を見ているのだろう。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?