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第103話 羽ばたきの小鳥

2025年7月7日


 パイプオルガンがワーグナーの結婚行進曲を奏でる。


 チャペルを埋め尽くした参列者席から拍手が湧き起こった。マホガニーの扉が重厚な音を立てて開き、逆光の中にウエディングドレス姿の小鳥と、モーニングスーツを着た小鳥の父親の姿が浮かび上がった。深紅のバージンロードを一歩、また一歩と踏み出す小鳥は美しく清らかで、チュールレースのウェディングベールの下には柔らかな微笑みが隠されていた。


(うわぁ、小鳥ちゃん、すごく綺麗だ)


 片や、祭壇の前で花嫁を待つ拓真の心臓は、ようやく小鳥と結ばれるというその感動と、教会のおごそかな雰囲気に気圧けおされ、激しく脈打っていた。


(き、緊張するっ!)


 やがて荘厳そうごんなパイプオルガンのが須賀家と高梨家、参列者を包み込み、小鳥はゆっくりと拓真の待つ壇上へと上った。マリア像と百合の花で彩られた、まばゆいステンドグラスの光の中で、小鳥と拓真は向き合った。拓真の面差しは緊張で固まっていた。


「緊張するね」

「緊張するね」

「初めてだもん」

「僕も初めてだよ」


「ウオッホン」神父は、お喋りな新郎新婦に咳払いをした。小鳥と拓真は、思わず苦笑いを浮かべた。神父は大きく息を吸うと、朗々と誓いの言葉を述べた。


「汝、高梨拓真は、この女、須賀小鳥を妻とし、良き時も悪き時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分つまで、愛を誓い、妻を思い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」


「誓います」


「汝、須賀小鳥は、この男、高梨拓真を夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分つまで、愛を誓い、夫を思い、夫のみに添うことを、神聖なる婚姻のもとに、誓いますか?」


「誓います」


 シャンパンカラーのウェディングドレスは、小鳥の肢体を優しく包み、ウェストから裾へと広がる豪奢ごうしゃなリボンは大理石の床を覆い隠した。そしてウェディンググローブの手には純白のリボンでゆわえられたヒナギクのブーケが花開いていた。


「小鳥ちゃん」

「うん」


 拓真は、刺繍のほどこされた白いチュールレースのウェディングベールをそっとめくった。小鳥の瞼がゆっくりと閉じ、2人は神の御前みまえで永遠の愛を誓った。


「・・・・」


 荘厳なパイプオルガンのが止んだ。


リンゴーン リンゴーン


「指輪の交換を」


 ところが、拓真の指先は小刻みに震え、小鳥の左手の薬指は待ちぼうけで欠伸あくびをした。待つこと数分。ようやく、小鳥と拓真の左手の薬指で揃いの結婚指輪が光を弾いた。


「綺麗だね」

「うん、綺麗」


 プラチナの結婚指輪には、満月にちなんだムーンストーンの貴石を一粒、留める事にした。


「あぁ、ドキドキした」

「拓真、手に汗かいてる」

「だって、緊張したもの」


 参列者の席にはヒナギクの装飾が施されている。深紅のバージンロードには純白のリボンがたなびき、その波間をシャンパンカラーのウェディングドレスが、グレーのタキシードにエスコートされ、ゆっくりと歩みを進めた。


「あっ」


 マホガニーの扉から祭壇へと吹き抜けた夏の風に、チュールレースのウェディングベールがふわりと舞い、ヘッドドレスのヒナギクが揺れた。


「大丈夫?」

「うん、大丈夫。びっくりしただけ」


 重厚なマホガニーの扉を抜けると、眼下には鮮やかな芝生の広場が広がり、噴水へと続く大理石の階段には、2人を出迎える笑顔が待っていた。


「おめでとう!」

「拓真!おめでとう!」

「小鳥ちゃーん!おめでとーう!」


 2人を祝福する拍手が鳴り響いた。


リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン


「おめでとう!」

「小鳥さん!おめでとうございます!!」

「高梨くん、おめでとう!」


 深紅のカーペットが敷かれた大理石の階段の両脇には、親戚や友人知人が並んだ。その中には、小鳥が勤務するアパレルメーカーの社員や路面店のスタッフ、拓真の会社の上司や同僚の笑顔があった。


(あ・・・佐々木さん)


 ”メビウスの輪”の世界で深く関わった佐々木隆二も、現世いまでは顔見知り程度の間柄だった。小鳥と佐々木隆二は、「おめでとうございます」「ありがとうございます」と、簡単な挨拶をした。


「須賀さん!おめでとう!」


 振り向くと、そこにはファッションモール店代表の村瀬 結 の姿があった。今の村瀬 結 と小鳥は、一社員同士の関係でしかない。


(・・・・結)


 小鳥は、もう友人ではない他人行儀な村瀬 結 の笑顔が少しばかり切なかった。


「どうしたの?小鳥ちゃん」

「ううん、なんでもない」


 小鳥は”メビウスの輪”の世界を打ち消すように顔を左右に振った。拓真はその寂しげな面差しに、小鳥の耳元で優しくささやいた。


「小鳥ちゃん」

「うん」

「幸せになろう」

「うん!」


 小鳥の目頭が熱くなった。


「みんなにご挨拶しようか」

「うん!」


 小鳥と拓真は参列者に向かい深くお辞儀をした。湧き上がる拍手の中、祝福の声と共に白い花弁はなびらが2人に降り注いだ。拓真が、小鳥のチュールレースのウェディングベールに舞い落ちた花弁はなびらを指先でつまんだ。


「この花って、ヒナギクかな?」

「ヒナギクだよ」

「希望だね」

「希望だね!」


 小鳥と拓真は見つめ合い、微笑んだ。そして、どこまでも高く澄んだ青空へと解き放たれた、白い風船を仰ぎ見た。


「うわー!綺麗!」

「白い鳥、はとみたいだね」


 そこで小鳥が悪戯めいた笑顔で耳打ちした。


「拓真」

「なに?」

「新婚旅行、楽しみだね!」

「でも、温泉ってちょっと渋かったかなぁ」

「そんな事ないよ!思い出の温泉旅行!桔梗の間!」



ピーチチチ


夏雲雀なつひばりの鳴き声がくうを切った。



 教会の鐘が鳴る。



リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン



 赤煉瓦あかれんがの壁、臙脂色えんじいろの屋根、礼拝堂で青銅の鐘が、小鳥と拓真に幸せの時を知らせた。

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