鰤(ぶり)起こしの雷が鳴り、霙(みぞれ)が玄関の門に叩き付ける12月11日、祖母の四十九日の法要が執り行われた。
「お邪魔します」
「さぁ、上がって、上がって。お父さん、高梨くんがいらしたわよ」
「いらっしゃい、入りなさい」
拓真と小鳥の両親はすっかり打ち解け、父親は「息子が出来たみたいだ」と喜んでいる。三和土(たたき)には黒い革靴やパンプスが並び、その中央には豪奢(ごうしゃ)な草履が揃えられていた。仏間には2人の僧侶が仏壇の前に座っている。
(お
四十九日法要は、亡くなった仏様を極楽浄土へと見送る儀式だ。これで祖母の魂は小鳥たちの元から飛び立つ。
「さぁさぁ、お召し上がり下さい」
法要の後は、お斎(とき)の席が設(もう)けられる。僧侶や参列者が集って会食を行い、故人の想い出を語り合うのだ。その誰もが祖母の人柄に「優しい人だった」「奥ゆかしい人だった」と口を揃え、酌を交わした。
「ねぇ、拓真」
「なに?」
「もしかして、お
拓真は不安げな小鳥の頭をポンポンと軽く叩いて微笑んだ。
「小鳥ちゃん、菊乃さんの遺言を守る事が、1番の供養になると思うよ」
「そうかな」
「そうだよ、僕はそう思っているよ」
やがて霙(みぞれ)もやみ、近親者はタクシーで墓地に向かった。蝋燭(ろうそく)が灯り、線香の煙が燻(くゆ)る杉林の一角に読経が流れ、仏具の鐘(りん)が静寂に響き渡る。祖母の遺骨を墓に納めるのだ。
(お
小鳥が数珠で手を合わせていると、石材業者の男性2人が墓石を退(ど)かし父親が骨壷(こつつぼ)をその中に納めた。ゆっくりと閉じられて行く墓石。小鳥の頬に一筋の涙が伝い、ふと隣を見ると目を赤くした拓真が数珠を握っていた。
ピンポーン
小鳥は、四十九日の法要が終わると「こんな日に出掛けなくても良いでしょう!」と母親に小言を言われながらも、拓真のアパートを訪れた。”お部屋訪問”は2回目とはいえ、緊張は最高潮だ。
「お、お邪魔します」
「どうぞお入り下さい」
「なんで敬語なの?」
「な、なんとなく」
小鳥と拓真は、目的は違えど初めての夜を共に過ごす。ペットボトルの麦茶で乾杯し、コンビニエンスストアで購入したビーフカレーライスをレンジに入れた。
「やっぱり麦茶とカレーなんだね」
「そういう決まりだからね」
「そうなの?」
そこで拓真の柔らかな唇が、小鳥のぽってりとした唇に触れた。
「これもお約束なの?」
「そういう決まりだからね」
「そうだね!」
2人は満面の笑みで抱き締めあった。
チーン
「あち!あちあち!」
「小鳥ちゃん、相変わらず不器用だね」
「じゃあ、拓真がしてよ!」
「分かったよ、ぷー」
「ぷー」
拓真がコンビニエンスストアのカレー弁当箱の蓋を開けると、ナツメグやブラックペパーのスパイスの香がリビングに漂った。ほろほろに崩れたビーフの塊と黒っぽいカレールーを、サフランライスにとろりと流し込む。そして、小鳥と拓真は、3分45秒の熱量に息を吹き掛けながら、思い出を語り合った。
「拓真なんて、シチューに白い舞茸が入ってたからって、怒ってスプーンを投げ付けたんだからね!」
「あっ、今、それを言う!?」
「それに温泉で!」
「温泉で、なに」
「・・枕の下に」
「・・・・・!」
2人は顔を赤らめて、赤い福神漬けをポリポリと齧(かじ)った。
「・・・・・」
そこで拓真が顔を上げた。
「小鳥ちゃん!そんな事より、ヒナギクの花束とか婚約指輪とか、嬉しかった事あるでしょう!?」
「・・・・・」
「なに?」
「ヒナギクも指輪も嬉しかった!でも!」
「でも、なに?」
「キャンパスで私の
2人の遣り取りは次第に熱くなり、声も大きくなっていった。
「だって!小鳥ちゃんが、本物の19歳の小鳥ちゃんだったらどうするの!」
「19歳の私だったらどうなるの!?」
「僕、変な人じゃない!『あなたと2023年に婚約していました!』とか言ったら、それこそストーカーで通報されちゃうよ!」
「そ、それはそうだけど」
2人はビーフカレーの残りをスプーンでかき集め始めたが、やがて拓真は不満げな面持ちになり、小鳥を上目遣いで見た。
「小鳥ちゃんだって」
「なに?」
「なんで佐々木と付き合ったの!?」
小鳥は最後の一粒の米で大きく咽(む)せた。
「そっ、それは色々とあって!」
「色々って?」
「それは・・・あの・・・」
「どうして僕と付き合わなかったの?」
「拓真とはお付き合い出来なくて」
「どうして?」
まさか、もう1人の拓真と付き合っていました。とも、その拓真とは深い関係でした。とも、自分と喧嘩してそれが原因で交通事故に遭(あ)って亡くなりましたとは到底、言えなかった。
「いっ、色々と問題があって」
「色々と問題が?」
「そう、色々と!色々と問題があって!」
拓真は、疑惑の眼差しで腕組みをした。
「ふーん、そんなに佐々木の事が好きだったんだ」
小鳥は慌てふためいた。
「そんな!佐々木さんには悪いけど!そんなに好きじゃなくて!」
「何度もデートしていたよね?」
「でっ、でも!佐々木さんとはキスもしていなくて!」
「えっ、そうなの!?」」
それまで膨れっ面だった拓真の面差しが晴々としたものへと変化した。どうやら、その部分が重要だったらしい。佐々木隆二に関する案件は、無事、一件落着となった。
「ごちそうさまでした」
「美味しかったね」
手を合わせ、立ち上がった拓真は、リビングテーブル越しに小鳥の唇を啄(ついば)んだ。その口付けは、カレーと福神漬けの味がした。
「ふぅ」
「お腹いっぱいだね」
そして、小鳥と拓真はカーペットの上に寝転がると、いつかと同じく、「ご飯を食べて寝ると牛になっちゃうね」と言って笑い合った。
「ふう、笑いすぎて背中が痛い!痛いよ!」
「あぁ、もう!笑いのツボに入った!可笑しくて涙が出ちゃったよ!」
「あー・・もう!」
手を繋ぎ、大の字になって天井を見上げた。
「あー・・もう・・もう」
「もうもうって、牛だね」
「牛だね」
「・・・ふぅ」
「・・・・・」
小鳥と拓真は互いの目を見た。やや薄茶の拓真の瞳に小鳥が映り、黒曜石(こくようせき)の小鳥の瞳に拓真が映った。やがて戯(おど)けていた2人の笑顔が次第に真剣な眼差しへと変わっていった。
「・・・・・」
小鳥と拓真はカーペットに座り、麦茶を一口、口に含んだ。2人の左手首では、パティップとムーンフェイズの腕時計が規則正しく
「小鳥ちゃん、これを見て」
拓真は壁掛けのカレンダーを取り外し、その裏紙にボールペンを走らせた。