相変わらず、ライブラリーセンターのエレベーターの床は軋んだ。小鳥は3階のボタンを押し、ゆっくりと上昇する箱の中で腕時計を見た。時刻は14:50、待ち合わせの時間まであと10分。然し乍ら、いつも遅刻をする拓真の30分を加味すれば、単行本を読む事も出来るだろうと、読みかけの一冊をトートバッグに準備した。
(どんな話をするんだろう、ドキドキする)
小鳥の左手の薬指には、シルバーのオリーブリーフバンドリングが輝いていた。
チーン
小窓からは晩秋の穏やかな夕暮れを思わせる陽射しが差し込んでいた。
(・・・あ)
図書館には拓真の横顔があった。本棚の前で腕組みをしてなにかを探しているようだ。数冊の蔵書を開いては閉じ、その一冊を手にしてこちらへと向き直った。
「小鳥ちゃん」
小鳥の姿に拓真が手を振った。
「拓真が約束の時間より早く来るなんて、驚いた」
「僕、もう遅刻しないって決めたんだ」
「どうしたの、急に」
「色々な事を思い出して、反省したんだ」
「へぇ、成長したんだ」
そこで拓真は戯(おど)ける事もなく、椅子を引いた。
「この前の話の続き、教えて?」
「うん」
拓真の手には”超常現象”という見出しの古めかしい蔵書があり、小鳥は捲(めく)られてゆく
「タイムスリップ、タイムワープ、タイムトラベル、タイムリープ、僕たちはどれなのかな?」
「拓真・・・」
「小鳥ちゃんは、いつ時間を飛んだの?」
「それは、その」
小鳥は答えを言い淀んだ。まさか、拓真が交通事故に遭(あ)った時にタイムリープしたとは言い難かった。するとその時、拓真が驚きの言葉を口にした。
「僕が小鳥ちゃんにプロポーズした日を覚えてる?」
「2023年の12月13日」
「そう、冬だったよね」
「うん」
小鳥は当時を思い出すように、ゆっくりと頷いた。その姿を確認した拓真は話を続けた。
「プロポーズをした次の朝、気が付いたら夏だった」
「夏?」
「2024年の7月7日だった」
「夏、2024年の7月・・」
小鳥は息を飲んだ。
「そう、交通事故が起きた横断歩道に立っていたんだ」
「交通事故?拓真が死んだ横断歩道!?」
拓真は不思議そうな顔をした。
「なに言ってるの?小鳥ちゃんが交通事故に遭(あ)った横断歩道だよ?」
「・・・・え!?」
小鳥は我が耳を疑った。
「小鳥ちゃんはあの横断歩道で死んだんだよ」
「私が?」
拓真はゆっくりと頷き、話を続けた。
「それでね」
「うん」
「小鳥ちゃんのお葬式の日、僕は2024年の夏から冬に逆戻りしていたんだ」
「冬に?」
「2023年の冬だよ」
拓真は蔵書を閉じると本棚に片付けた。
「僕、びっくりして小鳥ちゃんのアパートに行ったんだけど、アパートには誰も住んでいなかったんだ」
「私が、居ない?」
「ポストにはガムテープが貼ってあったよ」
(・・・
小鳥は茫然とした。
「僕は、小鳥ちゃんが生きていると思って探していたんだ」
「だからキャンパスで私の跡をつけていたの?」
「うん、交通事故から守りたかったんだ」
「そうなんだ」
「うん」
小鳥と拓真、それぞれが交通事故に遭(あ)い、それぞれを探してタイムリーパーとして時を飛び超えていた。
「私も拓真を探していたの」
「うん」
「あの交通事故が起きる前に戻って、やり直したかったの」
「うん」
小鳥の目頭に生温かい涙が溜まり、頬を伝った。それを見た拓真は慌ててポケットティッシュを取り出すと、「泣かないで、お願いだから」と懇願(こんがん)した。
「ほっ、ほら!僕、生きてるから!」
「ゔん」
「小鳥ちゃんも生きてるから!」
「ゔ、ゔん」
するとまた、目頭を熱くした小鳥がティッシュで鼻をかみ始めた。拓真は周囲の視線に晒されながら、(これならアパートで話せば良かったかな)と後悔した。
「・・・・・」
小鳥はひとしきり涙を流した後、充血した目で拓真を凝視した。
「・・・拓真はなにがきっかけでタイムリープするの?」
「タイムリープ?」
「この現象ってタイムリープだと思うの。意識が時間を飛び超えちゃうの」
「タイムリープかぁ、そうだなぁ」
「なにか思いつく事ある?」
拓真は腕組みをして眉間にシワを寄せた。
「じゃあ、小鳥ちゃんは?」
「私はこれだと思う」
「腕時計?」
「このミニッツリピーターを鳴らすの」
小鳥はパティップのスライドピースに指を掛けた。
「ちょっ、ちょっと待って!」
「どうしたの?」
「今、ここで鳴らしたら、小鳥ちゃんがどこかに飛んでいっちゃうんじゃないの!?」
「大丈夫、これは私が眠る時に鳴らすとタイムリープが起きるの」
「そ、そうなんだ」
「でも、出来ない時もあったかな」
「タイムリープが出来ない」
「うん」
小鳥のタイムリープが腕時計で起きると知った拓真は、無意識の内にムーンフェイズの文字盤を見た。
「・・・・・あ」
「なに、なにか思い付いた?」
「”新月”だ」
「”新月”?」
「僕はいつも”新月”の日にタイムリープしているかもしれない」
拓真は手を広げると、1本、2本、3本と指折り数えた。
「1回目は2024年の7月7日に飛んで」
「うん」
「2回目は2023年の12月に戻って」
「うん」
「3回目は最悪だったよ」
「どう最悪だったの?」
「アパートの玄関を開けたら、高等学校の教室だった」
「高校生」
「制服のブレザーを着ていたよ」
それは2012年の春の出来事だった。拓真もまさか自分が、11年も時間を飛び超えて高等学校の生徒になるとは思ってもみなかった。
(もう2度と小鳥ちゃんとは会えない、2023年には戻れない)
全てに失望した拓真は、2012年12月13日の雪降る夕暮れ、橋の欄干で川を眺めていた。
「そこに現れたのが・・・もしかして」
「菊乃さんだよ」
「なんで、どうしてお
「僕の顔を見た菊乃さんは、「まだ早い」「待ちなさい」って言ったんだ」
「・・・・まだ、早い」
小鳥は考え込んだ。
「菊乃さんは、小鳥ちゃんがタイムリープして来るって分かっていたのかもしれないね」
「だから、かな?」
「え?」
生前の形見分けの際、祖母は小鳥に「パティップの腕時計は肌身離さず着けていてね」と言い、「その腕時計は小鳥ちゃんを助けてくれるから」と微笑んだ。
「お
「少なくとも、僕たちには素敵な魔法使いだね」
「そうだね」
そこで小鳥は祖母の遺言を思い出した。
「お
「菊乃さんが計算していたとは思えないけれど、菊乃さんの四十九日の12月11日は、”新月”なんだ」
「”新月”」
「その日に、小鳥ちゃんのミニッツリピーターと、僕のムーンフェイズで2024年に戻りなさいって事じゃないかな」
小鳥はピンクゴールドに光を弾く腕時計を見つめた。
「2024年」
「そうだよ、あの事故を無かった事にして、2人で横断歩道を渡るんだよ」
「横断歩道を渡る」
静かな図書館の窓の外では吹奏楽部が管楽器の練習に励んでいる。時折、音が外れたバッハの”トッカータとフーガニ短調”が風に運ばれて来た。