10月26日、須賀菊乃の告別式が行われた。やがて11月、氷雨(ひさめ)降る寂しげな通夜から一転、告別式は小春日和の穏やかな陽射しに包まれた。参列者は皆、口を揃えて「菊乃さんのお人柄よね」と白いハンカチで目頭を拭った。
(・・・嘘みたい、お
生きる気力を失った柿の木の枝に、熟れた柿の実が力無くぶら下がっていた。空に向かって伸びる灰色の煙突からは、白い煙が立ち昇り、それはやがて淡く消えた。
「小鳥ちゃん」
小鳥が火葬場脇のコンクリートに腰掛けていると、焼香を終えた拓真が檜(ひのき)の数珠を手に声を掛けて来た。
「来てくれてたんだ」
「うん」
拓真が小鳥の隣に腰掛けると、そこはヒヤリと冷たかった。
「小鳥ちゃん、ここは寒いよ?喪服も汚れちゃうし」
「良いの。お
「そう、でもお腹が痛くなっちゃうから。ベンチに行こう」
向かい側のベンチで遊んでいた子どもたちは、母親に呼ばれて走り去った。
「小鳥ちゃん、僕、小鳥ちゃんに話したい事があるんだ」
拓真の目は穏やかだが、その声色は、深い海の底から響いて来るようだった。
「うん、分かった」
小鳥は、拓真と祖母の関係、
「あったかいね」
「うん、あったかい」
秋の陽射しに、小鳥と拓真の影が並んで歩いた。
ギシっつ
白いベンチに深く腰掛けた2人は、煙が立ち昇る青空を大きく仰いだ。暖かい陽射しは太陽の匂いがした。どちらからともなく、大きな溜め息が漏れた。
「どこから話せば良いのか、ちょっと困る」
一呼吸置いて、小鳥が拓真へと向き直った。
「お
「それは」
「それは?」
唾を飲み込む音が聞こえた。
「何度繰り返しても、僕は2024年に戻れなかった」
「戻れない?」
拓真は膝の上で拳を握った。
「それどころか、どんどん
「2012年の春」
「高等学校の学生証が制服のブレザーに入っていた」
「高等学校の1年生?16歳くらい?」
「うん。もう、駄目だと思った。戻れないと思った」
(2024年?2012年?拓真もタイムリーパーだったの?)
小鳥のこめかみは脈打ち、喉が窄(すぼ)まった。
「だから僕は諦めたんだ。もう戻れないのなら消えてしまいたいと思った」
「それで川に行ったの?」
「うん」
「そこでお
「うん」
拓真は小鳥の左手首で光る、ピンクゴールドの腕時計を懐かしむ様に見た。
「その時、菊乃さんはそのパティップの腕時計を嵌(は)めていたんだ」
「これを?」
「菊乃さんは最初から分かっていたんだと思う」
「分かっていた?なにを?」
「僕がなにに悲しんでいるのか、分かっていて声を掛けて来たんだと思う。
拓真は両膝に両肘を突くと、手に顎(あご)を乗せた。視線は走り回る子どもたちを追っていた。それは数秒か、数十秒か、数分か、静かな時間が流れた。その静寂を、拓真が破った。
「小鳥ちゃん」
「なに?」
「小鳥ちゃんは、19歳の小鳥ちゃんじゃないよね?」
息が止まった。
「え、私は19歳だよ?どうしちゃったの?」
「隠さなくて良いよ?」
「隠してなんかいないよ、変な事言わないでよ」
「僕には分かるんだ」
拓真は姿勢を戻すと小鳥を凝視した。火葬場の広場に、鬼ごっこに興じる子どもたちの笑い声が響いた。
「小鳥ちゃんは、本当は28歳なんでしょう?」
「え」
「僕も同じだよ、28歳、誕生日を過ぎたから29歳かな」
小鳥の目は驚きで見開いた。
「僕たちはずっと追いかけっこをしていたんだよ」
「追いかけっこ?」
「僕が小鳥ちゃんを追い掛けて、小鳥ちゃんは僕を探していたんじゃないの?」
拓真は喪服の胸ポケットに手を差し込み、小鳥の目はその動きに釘付けとなった。そして、白い小箱が手渡された。
「・・・これ」
それは白い天鵞絨(ビロード)のリングケースで、小鳥には見覚えがあった。細雪が降り頻(しき)るあの夜、
「このシルバーの指輪が燻(くす)むまで一緒にいて下さいって言ったよね」
「・・・あ」
「憶えている?」
リングケースの中には、オリーブの葉をモチーフにした
「オリーブリーフバンドリング」
「そうだよ」
小鳥は何度も頷くと、零れ落ちる涙を隠す様に両手で顔を覆った。それは決して2015年では手に入らないデザインの婚約指輪だった。
「憶えている?」
「うん」
その時、祖母との決別を意味する「”お
「拓真」
「行っておいで、この話の続きはまた今度にしよう」
「拓真、いなくならないよね!?」
小鳥は拓真の腕に縋(すが)り付いて必死に問い掛けた。
「大丈夫」
「本当に!?」
「大丈夫、だと思う」
「そんな良い加減な事言わないで!」
小鳥がなかなか戻らないので、口煩い母親が火葬場の扉から顔を出して「早くしなさい!」と声を大にした。
「小鳥ちゃん、僕の印象が悪くなるから行った方が良いよ」
「そ、そうだね」
けれど小鳥は後ろ髪を引かれ、今生の別れを惜しむかの様に、何度も何度も拓真を振り返った。その健気な姿に、拓真は白いベンチから立ち上がり微笑んだ。
「小鳥ちゃん!明日、ライブラリーセンターの図書館で待ってる!」
「何時に!?」
「15:00、授業は大丈夫!?」
「大丈夫!拓真も必ず来てね!」
「必ず行くよ!」
小鳥は小さく手を振りながら、火葬場の中へと入って行った。
(28歳の小鳥ちゃん、やっと会えたね)
小鳥の後ろ姿を見送った拓真は、大きく息を吸って、深く吐いた。青い空には白い煙が棚(たな)びいていた。