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第97話 告別式


 10月26日、須賀菊乃の告別式が行われた。やがて11月、氷雨(ひさめ)降る寂しげな通夜から一転、告別式は小春日和の穏やかな陽射しに包まれた。参列者は皆、口を揃えて「菊乃さんのお人柄よね」と白いハンカチで目頭を拭った。


(・・・嘘みたい、お祖母ばあちゃんが・・もう、いないなんて)


 生きる気力を失った柿の木の枝に、熟れた柿の実が力無くぶら下がっていた。空に向かって伸びる灰色の煙突からは、白い煙が立ち昇り、それはやがて淡く消えた。


「小鳥ちゃん」


 小鳥が火葬場脇のコンクリートに腰掛けていると、焼香を終えた拓真が檜(ひのき)の数珠を手に声を掛けて来た。


「来てくれてたんだ」

「うん」


 拓真が小鳥の隣に腰掛けると、そこはヒヤリと冷たかった。


「小鳥ちゃん、ここは寒いよ?喪服も汚れちゃうし」

「良いの。お祖母ばあちゃんを見ていたいから」

「そう、でもお腹が痛くなっちゃうから。ベンチに行こう」


 向かい側のベンチで遊んでいた子どもたちは、母親に呼ばれて走り去った。主人あるじの消えた白いベンチは、暖かな日向(ひなた)で次の主人あるじが座るのを待っていた。日向(ひなた)の白いベンチは、傷心の小鳥を包み込んでくれるだろう。


「小鳥ちゃん、僕、小鳥ちゃんに話したい事があるんだ」


 拓真の目は穏やかだが、その声色は、深い海の底から響いて来るようだった。


「うん、分かった」


 小鳥は、拓真と祖母の関係、の素性が明らかになると考え、冷たいコンクリートから腰を上げた。立ち上がると確かに臀部(でんぶ)は氷の様に冷たかった。拓真の手が差し出され、小鳥がそれを握った。


「あったかいね」

「うん、あったかい」


 秋の陽射しに、小鳥と拓真の影が並んで歩いた。



ギシっつ



 白いベンチに深く腰掛けた2人は、煙が立ち昇る青空を大きく仰いだ。暖かい陽射しは太陽の匂いがした。どちらからともなく、大きな溜め息が漏れた。


「どこから話せば良いのか、ちょっと困る」


 一呼吸置いて、小鳥が拓真へと向き直った。


「お祖母ばあちゃんと会った時、なんで拓真は川に飛び込もうと思っていたの?」

「それは」

「それは?」


 唾を飲み込む音が聞こえた。


「何度繰り返しても、僕は2024年に戻れなかった」

「戻れない?」


 拓真は膝の上で拳を握った。


「それどころか、どんどん、目覚めた時、カレンダーは2012年の4月になっていた」

「2012年の春」

「高等学校の学生証が制服のブレザーに入っていた」

「高等学校の1年生?16歳くらい?」

「うん。もう、駄目だと思った。戻れないと思った」


(2024年?2012年?拓真もタイムリーパーだったの?)


 小鳥のこめかみは脈打ち、喉が窄(すぼ)まった。


「だから僕は諦めたんだ。もう戻れないのなら消えてしまいたいと思った」

「それで川に行ったの?」

「うん」

「そこでお祖母ばあちゃんに声を掛けられたんだ」

「うん」


 拓真は小鳥の左手首で光る、ピンクゴールドの腕時計を懐かしむ様に見た。


「その時、菊乃さんはそのパティップの腕時計を嵌(は)めていたんだ」

「これを?」

「菊乃さんは最初から分かっていたんだと思う」

「分かっていた?なにを?」

「僕がなにに悲しんでいるのか、分かっていて声を掛けて来たんだと思う。


 拓真は両膝に両肘を突くと、手に顎(あご)を乗せた。視線は走り回る子どもたちを追っていた。それは数秒か、数十秒か、数分か、静かな時間が流れた。その静寂を、拓真が破った。


「小鳥ちゃん」

「なに?」

「小鳥ちゃんは、19歳の小鳥ちゃんじゃないよね?」


 息が止まった。


「え、私は19歳だよ?どうしちゃったの?」

「隠さなくて良いよ?」

「隠してなんかいないよ、変な事言わないでよ」

「僕には分かるんだ」


 拓真は姿勢を戻すと小鳥を凝視した。火葬場の広場に、鬼ごっこに興じる子どもたちの笑い声が響いた。


「小鳥ちゃんは、本当は28歳なんでしょう?」

「え」

「僕も同じだよ、28歳、誕生日を過ぎたから29歳かな」


 小鳥の目は驚きで見開いた。


「僕たちはずっと追いかけっこをしていたんだよ」

「追いかけっこ?」

「僕が小鳥ちゃんを追い掛けて、小鳥ちゃんは僕を探していたんじゃないの?」


 拓真は喪服の胸ポケットに手を差し込み、小鳥の目はその動きに釘付けとなった。そして、白い小箱が手渡された。


「・・・これ」


 それは白い天鵞絨(ビロード)のリングケースで、小鳥には見覚えがあった。細雪が降り頻(しき)るあの夜、から贈られた物だ。


「このシルバーの指輪が燻(くす)むまで一緒にいて下さいって言ったよね」

「・・・あ」

「憶えている?」


 リングケースの中には、オリーブの葉をモチーフにした銀色シルバーの指輪が輝きを放っていた。


「オリーブリーフバンドリング」 

「そうだよ」


 小鳥は何度も頷くと、零れ落ちる涙を隠す様に両手で顔を覆った。それは決して2015年では手に入らないデザインの婚約指輪だった。


「憶えている?」

「うん」


 その時、祖母との決別を意味する「”おこつ上げ”が始まる」と小鳥の叔母が迎えに来た。遺骨を箸で拾い、骨壷に収める別れの儀式だ。


「拓真」

「行っておいで、この話の続きはまた今度にしよう」

「拓真、いなくならないよね!?」


 小鳥は拓真の腕に縋(すが)り付いて必死に問い掛けた。


「大丈夫」

「本当に!?」

「大丈夫、だと思う」

「そんな良い加減な事言わないで!」


 小鳥がなかなか戻らないので、口煩い母親が火葬場の扉から顔を出して「早くしなさい!」と声を大にした。


「小鳥ちゃん、僕の印象が悪くなるから行った方が良いよ」

「そ、そうだね」


 けれど小鳥は後ろ髪を引かれ、今生の別れを惜しむかの様に、何度も何度も拓真を振り返った。その健気な姿に、拓真は白いベンチから立ち上がり微笑んだ。


「小鳥ちゃん!明日、ライブラリーセンターの図書館で待ってる!」

「何時に!?」

「15:00、授業は大丈夫!?」

「大丈夫!拓真も必ず来てね!」

「必ず行くよ!」


 小鳥は小さく手を振りながら、火葬場の中へと入って行った。


(28歳の小鳥ちゃん、やっと会えたね)


 小鳥の後ろ姿を見送った拓真は、大きく息を吸って、深く吐いた。青い空には白い煙が棚(たな)びいていた。

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