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第95話 腕時計

 小鳥がチョコレートをポリポリと齧(かじ)っていると、その左手首に気付いた拓真が、不思議そうな顔をした。その視線の先には、祖母から譲り受けたパティップの腕時計があった。


「小鳥ちゃん、その腕時計どうしたの?」

「これ?綺麗でしょ?」

「うん」

「今日の朝、お祖母ばあちゃんから貰ったの」


 小鳥は手首を天井に翳(かざ)してピンクゴールドの輝きに見惚れた。


「小鳥ちゃんのお祖母ばあちゃんから貰ったんだ」

「うん」

「そうなんだ、のかな」


 拓真の呟きは意味不明なもので、小鳥は首を傾げた。


って、なにが?」

「小鳥ちゃんには、内緒」

「・・・・・?」

「今はまだ、内緒だよ」

「・・・・・?」

「素敵な腕時計だね」


 小鳥は、拓真の隣に座った。


「ちょっと聞いていて?」

「うん」


 小鳥が腕時計の文字盤の縁に付いたスライドピースを指でずらすと、耳に心地良い鐘の音が時刻ときを報せた。


リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン

リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン


チーンチーンチーンチーン


チンチンチンチンチンチン


「ミニッツリピーターって言うの」

「そうだね」


 拓真は小鳥の腕時計を見て、懐かしそうに目を細めた。


「?拓真、知ってたの?」

「YouTuboで見たことがあるんだ」

「ふーん」

「それで?鐘の数で時間を教えてくれるの?」


 小鳥は、もう一度スライドピースをずらした。


「重い音が8回だからPM8:00、軽い音が6回だから6分、細かい音が10回だから10秒、かな?多分、そんな感じ」

「綺麗な音だね」


 小鳥は、パティップの時計が話題に上ったついでに、拓真のムーンフェイズの腕時計について訊ねてみようと考えた。思わず緊張が走り、小鳥は姿勢を正して拓真を凝視した。


「どうしたの、正座なんかして」

「あのね、拓真」

「うん、なに?」


 唾を飲み込む。 


「拓真の腕時計は、お月様の形を教えてくれるんだよね」

「そうだよ、月齢げつれいって言うんだよ」

「うん。お月様の顔だよね」


 小鳥はムーンフェイズと拓真を交互に見た。


「その腕時計、ムーンフェイズっていうんだよね」

「そうだけど、知ってたんだ。僕、教えたっけ?」

「拓真、その腕時計、自分で買ったの?」

「なに、急に」

「自分で買ったの?」


 拓真は、小鳥を凝視した。


「これは、僕の大切な人から貰ったんだよ」

「その、その大切な人って、誰?」

「小鳥ちゃんのよく知っている人だよ」


 息を飲んだ。


「その人から、いつ貰ったの?」

「僕の誕生日に貰ったんだよ」

「それって・・・」


 小鳥は前のめりになった。


「拓真のにプレゼントされたの?」

「それは・・・」


 小鳥は確信した。目の前に座っている拓真は、だ。




ピロン ピロン ピロン ピロン




 その時だった。小鳥のトートバッグの中で携帯電話の着信音が鳴った。


「小鳥ちゃん、電話だよ」

「なんだろう、電話の着信とか珍しいなぁ」

「あれじゃない?保険の勧誘とか」

「・・・でも」


 ”虫の知らせ”だろうか、小鳥はその連絡が善くないものだと感じ取った。


「小鳥ちゃん、どうしたの?」


 小鳥は弾かれる様にトートバッグに手を伸ばし、その中を掻き回した。そんな時に限って、指先に触れる物はペンケースや化粧ポーチと不必要な物ばかりだった。


「も、もうっ!」


 小鳥はトートバッグを逆さまにすると中身をフローリングの床にぶち撒けた。鈍い音を立て、バイブレーションで震える携帯電話が転がり出た。


「小鳥ちゃん、誰から?」

「お母さん、お母さんから!」


 ようやく手にした携帯電話の発信者名は”母”、母親がLIMEツール以外で連絡を寄越す事は殆どない。着信音は途切れる事なく、鳴り続けていた。小鳥の、画面をスライドする指先が震えた。


「も、もしもし!お母さん!?」

「こ、小鳥!」

「なに、どうしたの!?」


 電話越しの母親は酷く取り乱していた。小鳥は母親の言葉に愕然とし、声を失った。携帯電話を握り締めた小鳥は、Googlerでなにかを検索し始めた。


「なにがあったの!?」

「拓真、タクシー、タクシー、呼ばなきゃ」

「タクシー?」


 検索画面をタッチする指先は落ち着かなく、たった3文字が検索出来ずにいた。拓真がその携帯を受け取り”タクシー”と打ち込むと、近隣のタクシー会社が地図アプリに表示された。


「小鳥ちゃん、どのタクシー会社でも良いんだね!?」

「どっ、どこでも良い!どこでも良いから早く!早く呼んで!」

「分かった!」


 丁度良い具合に、歩いて10分の場所にタクシー会社があった。拓真が配車を依頼すると、「全てのタクシーが出払っていて迎車に時間を要する」との返答があった。


「小鳥ちゃん、20分くらい掛かるって・・・」

「どうしよう、どうしよう拓真!」

「小鳥ちゃん、どうしたの!なにがあったの!」


 小鳥の顔色は青褪(あおざ)め、拓真に縋り付く指先は小刻みに震えていた。


「お、お祖母ばあちゃんが倒れたって!病院に救急車で運ばれたって!」


 拓真の動きが止まった。


「え!?が!?」

「・・・・えっ」

「小鳥ちゃん、急いで!」

「拓真、なんでお祖母ばあちゃんの名前を知っているの!?」


 小鳥は我が耳を疑ったが、拓真の表情には焦りが見えた。


「それはまた後で!急いで!大通りまで出ればタクシーが走っているかも!」


 拓真は床に散らばった小鳥の私物をトートバッグに掻き集めた。


「ほら!小鳥ちゃん急いで!」

「う、うん」

「早く!」


 小鳥は拓真に腕を引かれ、つんのめりながら大通りまでの道を走った。夜空には、”満月”まであと僅か月齢11.1日の大きな月が光を放っていた。


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