小鳥がチョコレートをポリポリと齧(かじ)っていると、その左手首に気付いた拓真が、不思議そうな顔をした。その視線の先には、祖母から譲り受けたパティップの腕時計があった。
「小鳥ちゃん、その腕時計どうしたの?」
「これ?綺麗でしょ?」
「うん」
「今日の朝、お
小鳥は手首を天井に翳(かざ)してピンクゴールドの輝きに見惚れた。
「小鳥ちゃんのお
「うん」
「そうなんだ、
拓真の呟きは意味不明なもので、小鳥は首を傾げた。
「
「小鳥ちゃんには、内緒」
「・・・・・?」
「今はまだ、内緒だよ」
「・・・・・?」
「素敵な腕時計だね」
小鳥は、拓真の隣に座った。
「ちょっと聞いていて?」
「うん」
小鳥が腕時計の文字盤の縁に付いたスライドピースを指でずらすと、耳に心地良い鐘の音が
リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン
リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン
チーンチーンチーンチーン
チンチンチンチンチンチン
「ミニッツリピーターって言うの」
「そうだね」
拓真は小鳥の腕時計を見て、懐かしそうに目を細めた。
「?拓真、知ってたの?」
「YouTuboで見たことがあるんだ」
「ふーん」
「それで?鐘の数で時間を教えてくれるの?」
小鳥は、もう一度スライドピースをずらした。
「重い音が8回だからPM8:00、軽い音が6回だから6分、細かい音が10回だから10秒、かな?多分、そんな感じ」
「綺麗な音だね」
小鳥は、パティップの時計が話題に上ったついでに、拓真のムーンフェイズの腕時計について訊ねてみようと考えた。思わず緊張が走り、小鳥は姿勢を正して拓真を凝視した。
「どうしたの、正座なんかして」
「あのね、拓真」
「うん、なに?」
唾を飲み込む。
「拓真の腕時計は、お月様の形を教えてくれるんだよね」
「そうだよ、
「うん。お月様の顔だよね」
小鳥はムーンフェイズと拓真を交互に見た。
「その腕時計、ムーンフェイズっていうんだよね」
「そうだけど、知ってたんだ。僕、教えたっけ?」
「拓真、その腕時計、自分で買ったの?」
「なに、急に」
「自分で買ったの?」
拓真は、小鳥を凝視した。
「これは、僕の大切な人から貰ったんだよ」
「その、その大切な人って、誰?」
「小鳥ちゃんのよく知っている人だよ」
息を飲んだ。
「その人から、いつ貰ったの?」
「僕の誕生日に貰ったんだよ」
「それって・・・」
小鳥は前のめりになった。
「拓真の
「それは・・・」
小鳥は確信した。目の前に座っている拓真は、
ピロン ピロン ピロン ピロン
その時だった。小鳥のトートバッグの中で携帯電話の着信音が鳴った。
「小鳥ちゃん、電話だよ」
「なんだろう、電話の着信とか珍しいなぁ」
「あれじゃない?保険の勧誘とか」
「・・・でも」
”虫の知らせ”だろうか、小鳥はその連絡が善くないものだと感じ取った。
「小鳥ちゃん、どうしたの?」
小鳥は弾かれる様にトートバッグに手を伸ばし、その中を掻き回した。そんな時に限って、指先に触れる物はペンケースや化粧ポーチと不必要な物ばかりだった。
「も、もうっ!」
小鳥はトートバッグを逆さまにすると中身をフローリングの床にぶち撒けた。鈍い音を立て、バイブレーションで震える携帯電話が転がり出た。
「小鳥ちゃん、誰から?」
「お母さん、お母さんから!」
ようやく手にした携帯電話の発信者名は”母”、母親がLIMEツール以外で連絡を寄越す事は殆どない。着信音は途切れる事なく、鳴り続けていた。小鳥の、画面をスライドする指先が震えた。
「も、もしもし!お母さん!?」
「こ、小鳥!」
「なに、どうしたの!?」
電話越しの母親は酷く取り乱していた。小鳥は母親の言葉に愕然とし、声を失った。携帯電話を握り締めた小鳥は、Googlerでなにかを検索し始めた。
「なにがあったの!?」
「拓真、タクシー、タクシー、呼ばなきゃ」
「タクシー?」
検索画面をタッチする指先は落ち着かなく、たった3文字が検索出来ずにいた。拓真がその携帯を受け取り”タクシー”と打ち込むと、近隣のタクシー会社が地図アプリに表示された。
「小鳥ちゃん、どのタクシー会社でも良いんだね!?」
「どっ、どこでも良い!どこでも良いから早く!早く呼んで!」
「分かった!」
丁度良い具合に、歩いて10分の場所にタクシー会社があった。拓真が配車を依頼すると、「全てのタクシーが出払っていて迎車に時間を要する」との返答があった。
「小鳥ちゃん、20分くらい掛かるって・・・」
「どうしよう、どうしよう拓真!」
「小鳥ちゃん、どうしたの!なにがあったの!」
小鳥の顔色は青褪(あおざ)め、拓真に縋り付く指先は小刻みに震えていた。
「お、お
拓真の動きが止まった。
「え!?
「・・・・えっ」
「小鳥ちゃん、急いで!」
「拓真、なんでお
小鳥は我が耳を疑ったが、拓真の表情には焦りが見えた。
「それはまた後で!急いで!大通りまで出ればタクシーが走っているかも!」
拓真は床に散らばった小鳥の私物をトートバッグに掻き集めた。
「ほら!小鳥ちゃん急いで!」
「う、うん」
「早く!」
小鳥は拓真に腕を引かれ、つんのめりながら大通りまでの道を走った。夜空には、”満月”まであと僅か月齢11.1日の大きな月が光を放っていた。