星降る夜に急速に距離を縮めた小鳥と拓真は、LIMEコールで夜を明かした。それは深夜から明け方まで続き、小鳥は母親に見つからない様にベッドの布団に潜って会話を楽しんだ。
「おはよう〜」
「あっ、また眠そうな顔して!」
「うう〜ん」
小鳥が連日、拓真とのLIMEコールで夜ふかしをするものだから、小言が多い母親は、いつにも増して口煩(うるさ)い。
「・・・お腹すいた」
「はい!準備は出来てます!しっかり食べなさいよ!」
ダイニングテーブルの上には、バターがしっとりと染みたクロワッサンに、スライスチーズとロースハム、薄切りトマトやフリルレタスを挟んだクロワッサンサンドが白い皿に並んでいた。
「美味しそう」
眠気も吹き飛び、腹の虫が鳴る。
「小鳥!お友だちも大事だけど授業中に寝ないのよ!」
「うん」
「聞いてるの!」
「うん」
気の無い返事の小鳥がクロワッサンサンドに齧(かぶ)り付いていると、「カフェオレを淹れて頂戴」と祖母が向かいの椅子に腰掛けた。
「お
「おはよう、小鳥ちゃん」
小鳥の祖母は口数も少なく穏やかだ。
「小鳥ちゃんは仲良しのお友だちが出来たの?」
「うん」
小鳥がアーモンドミルクをごくごくと飲んでいると、祖母はテーブルに肘を突き、両手に顎を乗せて小声で微笑んだ。
「ボーイフレンドね?」
「・・・・!」
小鳥は、思わず鼻と耳からアーモンドミルクが噴き出そうになるくらいに驚いた。
「お、お
「だって、顔に書いてあるもの」
「な、なんて書いてあるの?」
「好きすき、だーいすきって書いてあるわ」
「そ、そんな」
祖母の前にカフェオレの湯気が立ち昇った。小鳥は顔を赤らめながら、クロワッサンサンドに齧(かぶ)り付いた。あまりに慌てたものだから口の端からトマトが情けなく垂れた。
「ふがっ」
「ふふ、慌てん坊さんね」
祖母は、ボックスティッシュからティッシュを2枚取ると小鳥の口元を拭い取った。小鳥は手渡されたティッシュで指先に付いたトマトの汁を拭き取り、「ありがとう」と下を向いた。
「でも、思ったより、少し早かったわねぇ」
「・・・・・?」
小鳥にはその意味がよく分からなかった。
「小鳥ちゃん、今日のお勉強の時間は何時から?」
「10:00から」
「そう」
「9:30には友だちが迎えに来るけど」
「あぁ、村瀬さんね」
祖母は壁掛けの時計を見た。8:00、迎えまでにはまだ時間の余裕があった。小鳥は、デザートのりんごにフォークを刺した。
サクッ
祖母は少し温くなったカフェオレを飲みながら、小鳥を凝視していた。その視線に気付いた小鳥が向き直ると、祖母の微笑みから柔らかな色が消えた。
「小鳥ちゃん、出掛ける準備が終わったら、離れの部屋に来て頂戴」
「お
「大事なお話があるから」
「大事な話?」
「そう、大事なお話なの」
「・・・・?うん、分かった」
小鳥は、祖母の厳しい面持ちや鋭い眼差しを、生まれて初めて見た。然し乍ら、憤慨(ふんがい)している訳でもない。また、今の小鳥には、祖母に叱咤(しった)される様な失敗は無い筈だ。
(お
小鳥は首を傾げながら、大学に出掛ける準備を始めた。
今日は10月24日、拓真の誕生日だ。
小鳥は、拓真の誕生日に贈り物を準備した。ただ、月々の小遣いやアルバイト料で購入できる品物といえば、衣類や靴だった。小鳥は、何度目かの逢瀬で立ち寄った靴屋で、「これ、良いなぁ」と拓真が試し履きをしていたスニーカーをプレゼントする事にした。
(・・・・色は)
拓真は好みの黒色のスニーカーを選んでいたが、小鳥は敢えてベージュを購入した。あの交通事故を連想させるアイテムは徹底的に避けた。
「よし!」
小鳥は、焦茶の包装紙でラッピングされた靴箱をトートバックに入れ、渡り廊下の向こうの祖母の部屋を訪れた。縁側から見た箱庭には、難を転ずるといわれる縁起物の”
「お
「あぁ、小鳥ちゃん、お入り」
襖(ふすま)を開けると、薄い藤色の着物を着た祖母が正座をして待っていた。紫檀の机の上には白い小箱が置かれている。
「お
「どうして?」
「着物に、着替えてる・・から」
「まぁ、良いから。座って頂戴」
「う、うん」
やはり祖母は、いつもより厳しい雰囲気を身に纏(まと)っていた。小鳥がトートバックを畳に置いて正座すると、祖母の目がある物に留まった。それは拓真への贈り物だった。
「今日が誕生日なのね?」
「え?」
「ボーイフレンドの誕生日、違う?」
「あ、あぁ、これ。そうなんだ・・・分かっちゃった?」
小鳥は照れ臭さに頭を掻いた。ところが、祖母の目は小鳥の姿を素通りし、どこか遠い所を見た。
「・・・・?」
一寸、焦点が合わなかった祖母は我を取り戻し、目の前の白い小箱を小鳥に向けて差し出した。そして蓋を開けて見るようにと頷いた。小鳥がその箱を持つと、それは嵩(かさ)の割にズッシリと重く、存在感があった。
「開けてみて」
「う、うん」
不思議な感覚が小鳥の指先に集まった。小鳥は、引き寄せられる様に白い小箱の蓋を開いた。乾いた音、中には濃紺で
「これ」
小鳥はこれを知っている。
「これって」
21歳。2017年大学3年生の秋に、祖母の生前の形見分けで、小鳥が譲り受ける物だ。小鳥はゆっくりと化粧箱の蓋を開いた。
「パティップの・・・・腕時計」
それは、ピンクゴールドのパティップの腕時計だった。ミニッツリピーターのスライドピースも付いている。裏返すとサファイアガラスの中でムーヴメントが、規則正しく時を刻んでいた。
「お
小鳥が顔を上げると祖母の目には陽射しが宿り、柔らかな面差しをしていた。(良かった、いつものお
「小鳥ちゃん、着けて見せて」
「う、うん。でも、良いの?大切な腕時計なんだよね?」
「良いのよ」
小鳥は
「それは小鳥ちゃんの腕時計よ」
「・・・・え?」
「これは小鳥ちゃんが持っていないと意味がないの」
「・・・・意味?どう言う事?」
その時、リビングルームから母親の金切り声が響いた。どうやら、村瀬 結 とその恋人が車で迎えに来たらしい。
「お
「その腕時計は、小鳥ちゃんに差し上げます」
この場面は見覚えがある。
「お
「必ず、必ず肌身離さず持ちなさい」
「お
「ほら、お母さんが呼んでいるわよ」
「う、うん。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
小鳥は祖母の部屋の襖を閉めた。