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第92話 オリオン座流星群

 拓真は右腕にヒナギクの花束を抱え、左手でほろ酔い気分の小鳥を引き上げた。


「よいしょ!ほら、大丈夫?」

「大丈夫!大丈夫!」

「本当かなぁ」


 拓真が脚を踏み出すとコオロギの鳴き声は途絶え、行き過ぎると草むらでコロコロと羽を擦り合わせ始めた。芝生の斜面に並ぶ木製の階段はミシミシと音を立て、落葉の橅(ぶな)の林を潜り抜けると小高い丘に出た。


「ふぅ」


 ここは普段は駐車場として使われているらしく、剥げかけた駐車スペースの白い枠が見て取れた。センサーライトに小鳥と拓真の姿が浮かび上がった。同じ目的だろう、数台の普通自動車が駐車している。


「拓真が来たかった所ってここなの?」

「ううん、違うよ」

「あ!あれ、あれってなんだろう」


 振り返ると白く烟(けぶ)る街、遠くには港の明かりがチラチラと揺れて見えた。小鳥はその中から、高層ビルの屋上に点滅している赤いランプを指差した。


「赤い、イルミネーションみたい」

「違うよ」

「じゃあ、なに」

「飛行機がビルにぶつからない様に、ライトを点けているんだよ」

「ふーん、赤いライト」


 光瞬く平原に、赤い”航空障害灯”を灯す高層ビル群が、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の花の様に背伸びをしていた。


「綺麗」

「もうちょっと登るよ」


 小鳥は眉間に皺を寄せた。


「ちょっと疲れちゃった」

「頑張って」

「えええ」


 枯れかけた紫陽花が植えられたアスファルトの階段を、10段、20段と登ると、張り切っていた拓真も流石に息が上がってきた。


「まだ登るの」

「もうちょっとだよ」

「もうちょっと、もうちょっとってそればっかり」

「今度こそ、もうちょっとだから」


 小鳥があまりに泣き言を言うものだから、拓真は小鳥の背中を押しながら階段を登った。すると頂上に人の気配を感じた。


「ほら、着いたよ」

「はぁ、やれやれだよ」


 小鳥は腰に手を当てて仰(の)け反った。


「お婆ちゃんみたいな事、言わないの!」

「さっきのシフォンケーキがお腹から消えちゃった」

「良かったじゃない、ダイエットになるよ」

「そうだけど」


 芝生で整備された小高い丘には、背の高いオブジェが設置されていた。何枚もの丸い羽が縦に連なり風が吹けばさぞ面白い動きをするのだろう。けれど今夜は風が無く、それはじっと佇んでいた。


「風が吹いたら回るのかな」

「回りそうだね」

「明るい時に見てみたいな」

「小鳥ちゃん、あの階段を登るんだよ?」

「えええ、じゃあ諦める」


 すると周囲から、「風がないからきっと見えるね」そんな声が聞こえて来た。暗闇に目が慣れて来ると、家族連れやカップルが一眼レフカメラや双眼鏡を手に並んでいた。中にはディレクターズチェアを準備し、抱えきれないサイズの天体望遠鏡を覗いている年配男性の姿もあった。


「ここはなに?」

「星が見えるんだよ」


 拓真は人影から少し離れた木製のベンチに腰掛けた。そして座面を手で軽く払い、小鳥に座るようにと促した。


「あ、ありがとう」

「どういたしまして」


(・・・・あ、同じだ)


 「どういたしまして」はの口癖だ。懐かしさに胸が疼(うず)いた。


「ほら、見てご覧」


 拓真が指差したその先を見た小鳥は、思わず歓声を上げた。無風状態の夜空は漆黒で、大小の星が輝いていた。


「うわぁ!すごい!」


 それはあまりにも大きな声で、恥ずかしく感じた小鳥は肩を竦(すく)めた。


「すごいでしょ?」

「うん!小学生の時見たプラネタリウムみたい!」

「はっきり見えるよね」

「うん!」

「なんでだと思う?」


 拓真は小鳥の鼻先を突いた。


「た、高い所に登って来たから?」

「うーん、それもあるけどちょっと違うかな」

「ええ!なに!意地悪しないで教えてよ!」


 そこで拓真は左手首のムーンフェイズを小鳥に見せた。


「あっ!そうだ!”新月”!」

「そう、”新月”で暗いから、星がよく見えるんだ」

「そうなんだ」


 小鳥はご機嫌で、ベンチで脚をぶらぶらさせた。


「でも、僕が小鳥ちゃんに見せたいものはちょっと違うんだ」

「星じゃないの?」

「時間が掛かるかもしれないな」

「時間?」


 拓真は、着ていた厚手のジャケットを脱ぐと小鳥の肩にかけた。


「・・・あ」

「なに?どうかした?」


 それは懐かしい、トップノートはグレープフルーツ、ミドルノートはカルダモン、ラストノートは温かみのあるシダーウッドの香り。


「拓真、この匂い」

「あぁ、小鳥ちゃん

「好きだけど」

「うん?」

「なんで私がこの匂いを好きだって知ってるの?」


 夜闇でその表情はよく見て取れなかったが、拓真からは焦りが感じられた。そこで拓真は大きなくしゃみをし、その話題はぷっつりと途切れた。


「拓真、寒いんじゃないの?」

「大丈夫だよ」

「風邪ひいたら大変だから・・・半分こしよう!」

「半分、こ」

「うん!」


 小鳥と拓真は寄り添い、1枚のジャケットを肩に掛けた。伝わる温もり、密着した太腿(ふともも)に、2人は赤面した。


「ちょ、ちょっと恥ずかしいね」

「ちょっとね」

「・・・・・」


 2人は見つめ合い、啄(ついば)む様に口付けた。


「恥ずかしいね」

「ちょっとね」


 そこでもう1度、拓真が瞼(まぶた)を閉じた時、小鳥がいきなり立ち上がった。拓真はその反動で木製のベンチから転げ落ち、尻を強打した。


「小鳥ちゃん、なに!」

「拓真!見て!」

「ああ!」


 小鳥はフライパンの上のポップコーンの様に飛び跳ねた。


「見て!見て!すごい!すごい!」


 小鳥が降り仰いだ夜空には、宇宙の塵(ちり)が白い筋となり、大きく弧を描いて消えた。


「あれが、流れ星!生まれて初めて見た!」

「オリオン座の流星群だよ」

「流星群!すごい!すごいよ、拓真、見て!」

「見てるよ」


 拓真は、星が降り注ぐ夜空を見上げて小さく呟いた。


「やっと一緒に見る事が出来たね」

「え、なに?聞こえなかった」

「なんでもないよ」


2015年10月13日


「拓真!お願い事しよう!」

「そうだね」


 小鳥と拓真は両手を合わせ、いく筋もの流星に祈りを捧げた。


「拓真は、なにをお願いしたの?」

「小鳥ちゃんは?」

「内緒」

「じゃあ僕も内緒!」


 それは”新月”の夜の出来事だった。

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