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第82話 読書サークル②

 北國経済大学のコンクリートの門を潜(くぐ)ると、銀杏並木が小鳥と村瀬 結 をキャンパスへと誘った。村瀬 結 は先程までの威勢はどこへやら。初めての場所大学で、借りて来た猫状態になり身体を萎縮させていた。


「なに?小鳥、あんた、ここに来た事があるの?」

「え?」

「なんだか歩き慣れている感じがする」


 それもその筈、この場所は2023年にと訪れた。なのでライブラリーセンターまでの経路は把握している。


「そうかな?」


 埃っぽかった廊下も真新しく、建ったばかりのキャンパスは、コンクリート独特の臭いがした。


「あ!分かった!佐々木さんと来たんでしょう!?」

「・・あ、うん」


 村瀬 結 の問いかけには適当に答えた。


「あ、小鳥。ちょっと待ってよ!」


 放課後のエントランスは人気(ひとけ)が無く、濃い灰色のビニールの床が沈んで見えた。廊下は薄暗く、秋の日差しが傾き始めた空気は肌に冷たく感じた。


「ねぇ、小鳥。本当にこっちなの?」

「看板があるから、こっちだよ」

「あ、本当だ。ライブラリーセンターって書いてある」

「でしょ?」


 薄汚れて剥げかけていた”行き先案内板”は、実は鮮やかな青だった。そこには、黒縁の白抜き文字で、”ライブラリーセンター”と記載されている。矢印は右へと向かい、廊下はより一層暗くなった。


「ええ。本当にこっちなの?」

「エレベーターがあるから」


 小鳥が指し示す通りに右側に小さなエレベーターがあった。上階へ向かうボタンを押すと中に明かりが点き、扉が開いた。2人が箱の中に入った重みで少し軋んだ音がした。エレベーターは相変わらず造りが雑だった。


「えーと」


 村瀬 結 が階層の一覧を見るよりも早く、小鳥は3階への行き先ボタンを押していた。


「え、なに?ここにも来た事があるの!?」

「佐々木さんから聞いたの」


 真っ赤な嘘だった。以前、そのボタンはが押した。あれはハロウィンパレードの夕暮れ時だった。小鳥はその笑顔を思い出し、目頭を熱くした。


はどこに行ってしまったの?)


 異変に気付いた村瀬 結 が小鳥の顔を覗き込んだ。


「どうしたの?目、赤いよ?」

「コンタクトにゴミが入っちゃったかな」

「そうね。ちょっと埃(ほこり)っぽいね」


チーン


(あぁ、同じだ)


 エレベーターを降りると真正面に小窓があった。小鳥と村瀬 結 はその西日に目を細めた。


「うわっ、ま、眩しい!」


 閉じた瞼(まぶた)の奥で緑色の光が線を描くと、しばらくして目が明るさに慣れて来た。小鳥が右に向き直ると背丈ほどの木製の本棚が縦にずらりと並び、懐かしい古びた紙とインクの匂いに包まれた。


「お!結、来たんだ」


 丁度良い具合に部室の鍵を開けていた男子大学生と鉢合わせした。バーベキューの時、キャンプ場行きの軽自動車を運転していた先輩だ。


「えへへへ、来ちゃった!サークル入部希望!私とこの子!」

「名前は、ええと」

「須賀小鳥です」

「そうそう!小鳥ちゃんだったね!」


 村瀬 結 は恋人の前でVサインを作って見せた。


「どうぞ、どうぞ、入って入って」


 小鳥と村瀬 結 は図書館の隣の小部屋に通された。アルミサッシの窓からは、佐々木隆二が話していた、フットサルのコートで男子大学生が戯(たわむ)れる姿を見下ろす事が出来た。


「はい。ここに学校名と名前を書いて、フリガナもふってね。良かったら、メールアドレスも書いて欲しいな」


 長机とパイプ椅子に座った小鳥は、入部希望届出用紙とボールペンを手渡された。


「メールアドレスですか?」

「うん、時々、飲み会コンパするから、メーリングリストで連絡してるんだ」

「バーベキューとか、海に行った時みたいな感じですか?」

「あぁ、そんな感じ!嫌だったら書かなくて良いよ!」


 村瀬 結 の目は「書きなさいよ!」と暗に言っている。特に断る理由もなかったのでメールアドレスも記入し終え、入部希望届出用紙を手渡そうと顔を挙げた。


(わぁ、すごい)


 一応、読書サークルというだけあって、スチール棚には新刊の文庫本がぎっしりと詰まっていた。


(あ、この本、読んでみたかったんだよね・・・)


 小鳥は、パイプ椅子から立ち上がると、スチール棚のガラス戸を覗き込んだ。中に並んだ文庫本を眺めていると、男子大学生が話し掛けて来た。


「いつでも貸し出しOKだから」

「はい」

「このパソコンに、本のタイトルと小鳥ちゃんの名前を入力しておいて」

「はい・・あ」


 男子大学生は、それだけ言うと、村瀬 結 が握るパソコンのマウスにそっと自身の手のひらを重ねた。


(え、えええっと・・・・!)


 その行為が意図したものか偶然か、村瀬 結 とその恋人は視線を絡ませ、仄(ほの)かな中にも濃密な匂いを漂わせ始めた。入部希望届出用紙を手に、目のやり場が無い小鳥は困惑した。


「あ、あの・・入部希望の紙・・なんですけれど」

「あ、そこに置いておいて」


 と、素気無(すげな)い返事が帰って来た。


「あ、は、はい」


 小鳥は、目の前の2人が醸(かも)し出す雰囲気に居た堪れなくなり、「お邪魔しましたぁ」と部屋を後にした。そして大きな溜め息を吐くと、図書館へと足を踏み入れた。


(あぁ、懐かしいな)


 そこで、囁くような話し声が漏れ聞こえて来た。


(あ、ソファが置いてある場所だ)


 小鳥は、少しばかりの興味本位でコンクリートの円柱に回り込んだ。そこにはマホガニーの肘付き、革張りのソファーが置かれていた。


(え?佐々木さん?)


 話し声の主は、佐々木隆二だった。佐々木隆二はソファーに深く腰掛け、女性の肩に腕を回していた。その女性は、白いカッターシャツに腰のラインが露わな黒いタイトスカートを履いた、田辺明美だった。


(どうして佐々木さんが、田辺明美と一緒にいるの?)


 佐々木隆二が微笑み、田辺明美が相槌(あいずち)を打つ。そのたびに、艶やかな長い髪が頬に掛かり、佐々木隆二はその髪を耳に掻き上げた。2人の距離感は、同じサークルの先輩と後輩にしては近すぎた。


(どうして?)


 小鳥は嫉妬を感じるよりも先に、疑問が浮かんだ。


(田辺明美は拓真の恋人になる・・・なるんだよね?)


 その時、小鳥の二の腕を掴む大きな手があった。慌てて振り向いた小鳥は驚きの声を挙げそうになり、咄嗟に口を手で覆った。

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