5月4日のバーベキューという名の”異性間交流”以来、小鳥の友人、村瀬 結 は、地に足が着いていない。北國経済大学の男子大学生と男女交際を始め、その関係も順調に進み、授業に身が入らない様子だ。
「結 、レポート出したの?」
「あ!忘れてた!」
「レポートの締め切りって明日までだよ?テキストは?」
「あ、忘れてた!彼の部屋だ!」
「かっ、かっ、彼の部屋!?」
それは、小鳥が想像していたよりも、結 と 結 の恋人は、かなり深い交際関係にあった。初心(うぶ)な小鳥にとって、それは衝撃的な出来事だった。
「なによ、その驚きよう」
「なにって、だって!」
小鳥は耳まで真っ赤にして、俯(うつむ)いた。
「だって」
「ほーん」
「なに?なに、その顔」
「小鳥、あんた、まだ!
「そ、それは!」
周囲に座っていた女子大学生の動きが止まり、側耳(そばみみ)を立てているのが手に取るように分かった。女豹たちは佐々木隆二の恋人の座を、虎視眈々と狙っていた。
「ちょっと」
「なに?」
村瀬 結 は、女豹たちに嗅ぎ付けられない様に、耳打ちをした。
「あんた、実際はどうなのよ?」
「どうって?」
「佐々木さんより好きな人でも居るの?」
心臓が跳ねた。
「そ、そんな事は!」
「しっ、静かに!」
「あ、うん。ごめん」
「なら、なんでそんなに浮かない顔、してんの?」
「浮かない顔?」
「彼が出来たら・・・この世の春!春よ!春!空に舞い上がる春!」
村瀬 結 は、突然、椅子から立ち上がると両手を高く伸ばし、天井を大きく仰いだ。机の上のペンケースがひっくり返り、消しゴムやシャープペンシル、蛍光マーカーがバラバラと床へと落ちた。小鳥は溜め息を吐きながらそれを拾い集めた。
「結 、結 こそ静かにしてよ」
「ごめん!彼の事を考えると、もう!つい!春が!」
「分かった、春はもう、分かったから」
小鳥は、鼻息の荒い友人の背中を摩(さす)ると椅子に座らせた。
「だから!この喜びを小鳥と分かち合いたくて!」
「喜びを分かち合う?」
「そう!だから2人で
小鳥は崩れたテキストブックの山を積み直し、村瀬 結 に向き直った。
「誰が読書サークル?」
「小鳥が!」
「もう1人は誰?」
「私!」
村瀬 結 が意気揚々と身を乗り出してきた。
「ねぇ、結 ?」
「なに、なに、なに!?」
「結 って、小説、読まないよね?」
「うん!漫画なら読むわよ!」
「隣って、北國経済大学よね?」
「そう!」
「北國経済大学の読書サークルには、漫画も含まれるの?」
「うううん!」
村瀬 結 は首を左右に振ると、満面の笑みで全否定した。
「なら、なんで読書サークルなの?」
「彼が居るから!」
小鳥の眉間にはシワが寄り、付き合っていられないとばかりに椅子から立ち上がった。「ちょっ!ちょっと待って!」そこで村瀬 結 が小鳥のブラウスの袖を握り、重心を崩した小鳥は机に突っ伏した。ペンケースが音を立て床に落ちた。
「・・・・もう!なんなのよ!」
村瀬 結 が慌ててボールペンを拾い上げると、机の上にあったプリントになにやら書き始めた。
「あっ!ちょっと!それ!」
相合傘に、村瀬 結 と恋人の名前。その隣には、これまた相合傘に、小鳥と佐々木隆二の名前が書き込まれた。その様子を小鳥が唖然と見ていると、今度は蛍光マーカーペンで、ピンク色のハートマークをあちらこちらに飛ばし始めた。
「結 、あんた、そのプリント、後で交換してよね」
「そんな細かい事、気にしない、気にしない!」
「気にするわよ!」
村瀬 結 は自由奔放だ。今度はそのプリントで紙飛行機を折り始めた。
「小鳥ちゃん、読書サークルで一気に距離を縮めるのよ!」
「小鳥ちゃんとか気持ちわるい呼び方、止めてよ」
「うふふふふ」
村瀬 結 は嫌らしい笑みを浮かべると、小鳥の額を飛行機で突いた。
「い、痛っ!やめてよ!」
「うふふふ」
「それで!?なにと距離を縮めるのよ!」
「そりゃあ、佐々木さんとに決まってるじゃない」
「佐々木さんと、距離を縮める?」
「当たり前でしょ!誰と距離を縮めるつもりなのよ!」
村瀬 結 は力説を続けた。
「それに距離ってなに!?」
「抱きしめたり、こう、キスをしたり?」
「・・・・キス」
「まだしてないんでしょ?」
確かに、佐々木隆二は誠実で一途な理想の恋人だ。然し乍ら小鳥は、佐々木隆二と口付けを交わしたいとは到底、思えなかった。
(それに、顔、合わせ辛いな)
キャンパス食堂の一件以来、佐々木隆二はLIMEの返信さえ寄越さなかった。その時、仲違(なかたがい)の原因となった、拓真の姿が浮かんでは消えた。
(佐々木さんには悪いけど、やっぱり拓真が好き)
時を飛び超えて巡り合った、”メビウスの輪”の世界の、
(もし、もしまた私が原因で拓真が死んでしまったら)
交通事故に遭った2人の拓真。
(あの時)
黒いワンボックスカーと白い横断歩道に転がった黒いスニーカー。そして、跳ね飛ばされた革のサンダル。小鳥は、決して
「ちょっと小鳥!聞いてるの!?」
「え、う、うん」
「で!小鳥は佐々木さんの事が好きなのよね!間違いはないわよね!」
「えっ、うん!好きだよ!?」
咄嗟(とっさ)に嘘を吐いた。そんな小鳥の心の内を知らない村瀬 結 は、小鳥の目の前で手を叩いた。
「なら、決まり!」
「決まり?」
「北國経済大学に行くわよ!」
「あ、ちょっ」
小鳥は腕を掴まれて、階段を駆け降りた。