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第80話 キャンパス食堂

 空の色が淡く、入道雲がなりを潜める初秋になっても、小鳥と佐々木隆二の恋人関係に変化はなかった。手を繋ぎ、電柱を数えて小鳥の自宅近くで別れの手を振る。


(また、キスできなかったな)


 初めての逢瀬。水族館の帰り道での事だった。佐々木隆二は小鳥の唇に口付けをしようと屈み込んだ。ところが小鳥は、コツメカワウソのぬいぐるみを佐々木隆二の顔に押し付け、その行為を拒んだ。


(小鳥ちゃんは、俺の事をどう思っているんだろう)


 あれからもう2ヶ月が過ぎようとしていた。小鳥がいくら男性が苦手とはいえ、その”距離感”は佐々木隆二を不安にさせた。


(もしかして、俺の事、好きじゃないのかな?)


 そして、相変わらず小鳥の意識は中途半端で、その目はどこか遠く、佐々木隆二をすり抜けたを見ている様な気がしてならなかった。消化不良の感情を硬貨に両替し、乗車券自動販売機の硬貨投入口に落としてゆく。


(・・・・)


 佐々木隆二の指先が、ふと止まった。


(・・・・)


 読書サークルで出掛けた夏の浜辺。小鳥は、色鮮やかなビーチパラソルの下で頬を桜色に染めていた。その姿は可憐で、恋をしている少女にも見えた。そしてその隣に座っていたのは、親友である拓真だった。


(・・・拓真)


 背後(うしろ)から咳払いが聞こえ、佐々木隆二は580円のボタンを押した。吐き出された乗車券を手にし、踵を返すと携帯電話を取り出した。



▪️小鳥ちゃん


はい(既読)


▪️明日、うちの食堂で一緒にご飯食べない?


佐々木さんの学校ですか?(既読)


▪️どうかな?


はい、大丈夫です(既読)


▪️じゃあ、12:00に待ってるから


わかりました(既読)


▪️おやすみ


おやすみなさい(既読)



 夜の電車の窓に映る佐々木隆二の顔は疑念で歪んで見えた。遮断機の赤信号が黒い街に流れて消える。


(くそっ、俺、なにやってるんだ)


 佐々木隆二は、小鳥がいない左腕の感触に、胸が押し潰されそうだった。



キーンコーンカーンコーン

キーンコーンカーンコーン



 翌日は雨が降っていた。全面ガラス張りの食堂の屋根には雨粒が叩き付けられ、それは涙の様に流れて滴った。一足早い葉桜が赤茶に色付き、その並木道をペールブルーの傘が小走りに向かって来た。


(あ、小鳥ちゃんだ)


 小鳥は北國経済大学キャンパスの自動ドアの前で、傘の雨水を払っていた。


「小鳥ちゃんこっちこっち!」

「あ、佐々木さん!」


 小鳥の姿に気付いた佐々木隆二は手招きをし、壁側のテーブルを指差した。ガラス張りの景色には、フットサルのゴールポストが見えた。


「遅くなって、ごめんなさい!」

「大丈夫、俺たちも今、来たところだから」


(・・・俺・・たち?)


 小鳥がテーブルへと視線を落とすと、そこには拓真が頬杖を突いて椅子に腰掛けていた。スッと息が止まった。佐々木隆二の目はその変化を見逃す事は無かった。そして言葉を続けた。


「小鳥ちゃん、なに食べる?」

「あ、じゃあ。狐うどんにしようかな」

「あぁ、俺も狐。拓真は?」

「狸うどん」

「おまえ、そこは足並み揃えろよ」


 佐々木隆二の笑い声はどこか乾いていた。


「小鳥ちゃんはここテーブルでお留守番ね」

「あ、はい」


 キャンパス食堂の中は混み合い始めた。小鳥はテーブルで待つように言われ、受け取り順番の行列に並ぶ2人の姿を眺めた。グラスの氷を指でクルクルと回して顔を上げる、そこには拓真の横顔があった。


(拓真も若い、当たり前か19歳だもんね)


 佐々木隆二は、そんな小鳥の視線が、自分の背後(うしろ)に立つ拓真に向けられている事を確信した。眉間にシワが寄り、握った割り箸に力が入る。


「佐々木、どうした。先、進んでるぞ」


 黒いトレーを手に声を掛けて来た拓真は至って普通だった。気の所為(せい)だ、自分が敏感になっているだけなのだと言い聞かせた佐々木隆二は、拓真のトレーにおしぼりと割り箸を乗せた。


「あぁ、サンキュ」

「おう」


 受け取った丼は熱かった。普段なら出汁が染み込んだ薄揚げに唾を飲み込むところが、今日は違った。口の中が渇き、代わりに小鳥に問い正したい言葉を飲み込んだ。


(・・・おっと)


 左右に持ったトレーのバランスは弥次郎兵衛(やじろべえ)の様に揺れた。小鳥が本当に好きなのは自分なのか、それとも拓真なのか?思わず小鳥の顔を凝視した。


「佐々木さん?」

「ごめん。そっち詰めてくれる?」

「あ、はい」


 佐々木隆二は、意図的に小鳥が拓真の正面に座るように声を掛けた。小鳥は一瞬、戸惑いの表情を見せたが、直ぐにその椅子へと移動し、3枚のトレーを置きやすい様にグラスを中央に集め始めた。


「お待たせ」

「おう、遅かったな」


 そして、遅れて来た拓真も小鳥の姿に躊躇した。緊張感が走った。佐々木隆二はそれに気付かない振りをして、箸でうどんを掴むと勢いよく啜(すす)り、三角の薄揚げを出し汁に浸(ひた)した。色鮮やかな深緑の小ネギが浮かび上がり、程よい油膜が出汁の表面に広がった。


「・・あ、僕」


 そこで拓真が、テーブルの調味料置きに手を伸ばした。すると小鳥は流れるような動きで一味唐辛子の小瓶を持った。


「ありがとう」


 そして小瓶を拓真に手渡す瞬間、2人の人差し指が触れ、小鳥は慌ててそれを落としてしまった。転がった一味唐辛子の小瓶は佐々木隆二の前で止まった。


(・・・・)


 佐々木隆二は大きな溜め息を吐き、うどんの丼をトレーに置くとおしぼりで口を拭いた。


「佐々木さん?」

「ごめん、違ってたら悪いんだけど、2人は知り合いなの?」

「佐々木さん?」


 佐々木隆二の目は冷たかった。


「小鳥ちゃん、どうして拓真が一味唐辛子を取ると思ったの?」

「それは」

「七味唐辛子もあるよね?偏見かもしれないけど、うどんって七味唐辛子じゃない?」


 小鳥は調味料置きを見遣った。確かに2種類の唐辛子がある。然し乍ら、は一味唐辛子を好んでうどんに振り掛けていた。


「それは、たまたまで」

「たまたま、なんだ」

「はい」

「ごめん、小鳥ちゃん」

「なんでしょう?」


 佐々木隆二は黒いトレーを持って立ち上がった。


「暫く、小鳥ちゃんの顔・・見たくない」

「え!?」

「佐々木、なに言ってるんだよ!唐辛子くらいで!」

「唐辛子くらいだからだよ!それだけ拓真の事を知っているって事だろう!?」


 この3人の遣り取りに、周囲の学生たちは動きを止めた。佐々木隆二は小鳥に背を向けると食器を片付けキャンパス食堂を後にした。取り残された小鳥と拓真は丼から視線を上げる事は無かった。


「須賀さん」

「はい」

「大丈夫?」

「はい」


 小鳥の脚は震え、佐々木隆二の背中を追う事が出来なかった。


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