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第79話 浜辺

 突き抜ける青空は、待ち焦がれていた梅雨明けを物語っていた。読書サークルとの待ち合わせは、5月4日のBBQバーベキューの時と同じく、やはり北國経済大学の駐車場だった。小鳥は寸前まで参加を渋っていたが、村瀬 結 からの情報で参加を決めた。


「小鳥、夏は海よ!」

「結 までそれを言う?」

「誰が言ったのよ」

「佐々木さん」


 村瀬 結 は、夏期講習のプリントに、スイカや花火のイラストを描き始めた。


「ほーん、佐々木さん」

「うん」

「そう言えば、佐々木さんのお友だちも沢山来るみたいよ?」

「友だち!?」

「賑やかよぉ。楽しいよぉ」


 ここで特定の個人名を出す事は避けねばならない。


(拓真、拓真も参加するかな!?するよね!?)


「結!私、やっぱり海に行きたい!」

「なに、小鳥、なんか急に前向きね」


(拓真を遠くから見るだけなら、大丈夫だよね!問題ないよね!)


 小鳥は拓真の姿に思いを馳(は)せ、イベント参加申し込み用紙にマル印を書き込んだ。


「でも 結」

「なに、真剣な顔をして」

「ワタクシ、水着という物を持っていないのであります」

「はぁ!?」


 小鳥と村瀬 結 は、水着を扱うスポーツ用品店に向かった。そこで小鳥は、肌の露出度が少ない水着を選んだ。するとそれは悉(ことごと)く却下され、村瀬 結 はセパレート型の水着を手に取って小鳥に押し付けた。


「水色、好きでしょ?」

「ちょっ、ちょと!これビキニだよ!」

「これで佐々木隆二を悩殺よ!」

「の、悩殺って!そんな事をする為に海に行くんじゃないんだから!」


 小鳥が背後(うしろ)を振り向くと、村瀬 結 はハイビスカス柄の深紅のビキニを身体の前に当て、腰を左右に振っていた。


「私、これに決めた!」

「あぁ、結 には似合ってるわ」

「でしょ?」

「私はこれにする」


 村瀬 結 は小鳥が選んだ水着を見てげんなりとした。


「それ、スクール水着じゃない」

「良いじゃない」

「あざとい」

「なにがよ」

「あざといわぁ、逆にエロティックよ」

「え、そ、そうなの!?」


 村瀬 結 は、鏡に映った小鳥の小振りな胸を指差した。


「あんた、貧乳じゃない」

「ひ、貧乳とか!失礼な!」

「貧乳で、スクール水着だぁ?狙っているとしか思えないね」

「なにをよ!」

「ろ・り・い・た」

「え!?」

「少女趣味の男性の視線を釘付け!あざとい!」

「じゃあ、やめる!」


 両頬を膨らませた小鳥は、その水着をハンガーポールに戻した。






 照り付ける陽射し。小鳥のトートバックの中には、水色のセパレート型の水着ビキニが小さく折り畳まれて入っていた。迎えの軽自動車が次々と路肩に乗り付け、麦わら帽子を目深に被った小鳥の心臓は飛び跳ねた。


(拓真は、拓真は・・・!?)


 その目は左右に落ち着きなく動き、愛しい男性ひとの姿を探した。そこで、佐々木隆二が手を振って後部座席のドアを開けた。


「あ、佐々木さん」

「ほら、ダーリンの登場だよ!早く、行った行った!」

「・・・ちょっ!」


 村瀬 結 に背中を押されて路肩に飛び出した小鳥は、縁石に足を取られて転倒しそうになった。


「・・・!」


 そこで、柑橘系シダーウッドの香る腕が、小鳥を抱き止めた。


「大丈夫?」

「あ、はい」


 拓真だった。あの満月の晩キャンプの夜もそうだが、小鳥の窮地(きゅうち)には必ず拓真が手を差し伸べる。


「怪我はない?」

「はい、ありがとうございます」


 そこへ慌てた様子の、佐々木隆二が駆け付けた。


「小鳥ちゃん!大丈夫!?」

「はい。高梨さんが助けてくれました」

「そうか、拓真、さんきゅ」

「佐々木、彼女の事くらいちゃんとしろよ」

「悪ぃ」


 拓真は不機嫌な面持ちで、色彩豊かなビーチパラソルやクーラーボックスを、軽自動車のトランクルームへと運び始めた。


「小鳥ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫です」


 腰に浮き輪を付けた村瀬 結 が小鳥の隣にしゃがみ込んだ。


「小鳥!ごめんね!」

「もう! 結 が悪いんだからね!」

「ごめんって!」

「謝って済まない!」


 小鳥は、平謝りの村瀬 結 の背中を何度も叩(はた)いた。そして、烈しく揺さぶられた拓真への想いを隠し通そうと戯(おど)けてみせた。


「はーい!乗って!乗って!」


 男子大学生たちは全ての荷物を軽自動車に積み終え、手招きをした。小鳥をはじめとする女子大学生たちは、それぞれの軽自動車に分乗して海を目指した。


「わぁ、気持ち良い!」


 青々と風に戦(そよ)ぐ小麦畑を突っ切る一本道。5台の軽自動車は貨物列車の様に連なり海へと向かった。新幹線の高架橋を潜り、信号機のない交差点で一時停止、遠くに見えていた風力発電の羽が顕(あらわ)になり、松林が近付いて来た。


バタン!バタンバタン!


「あーっ、熱っちい!」

「海だー!」

「あちちちち」


 燦々(さんさん)と照り付ける夏の暑さ。砂浜でパラソルを立てる男子大学生の声を聞きながら、女子大学生は”海の家”のシャワー室で水着に着替えた。


(・・・・うう、恥ずかしい)


 村瀬 結 の薦めでセパレートの水着ビキニを選んだものの、自分の胸の小ささに、小鳥は背中を縮こめた。


「結 、これ・・・似合ってるの?」

「うーん」

「うーんってなによ」


 村瀬 結 は眉間にシワを寄せ、腕を組むと仁王立ちした。


「似合ってないかも!」

「ほら、ほらやっぱり!」

「Tシャツでも着てれば?」

「そんないい加減な事言わないでよ!変な感じで焼けちゃうじゃない!」

「そうだね」

「そうだねって!」


 小鳥はバスタオルを身体に巻き付けて浜辺に顔を出したが、佐々木隆二が血相を変えて走り寄って来た。


「こっつ、小鳥ちゃん!」

「はい?」

「水着、忘れたんじゃないよね?」

「着てますけど」

「じゃあ、それ、バスタオル取って!」

「なんでですか?」


 男子大学生がチラチラとこちらを窺い見ているのが分かった。どうやらその格好が「風呂上がりの全裸に見える」と言う事で、佐々木隆二は周囲の視線から小鳥を遮(さえぎ)った。


「ぜ、全裸」

「お願い、そのバスタオルは勘弁して。せめてこう腰に巻くとか」

「恥ずかしくて」

「いやいやいや、今の方が十分恥ずかしいよ!」


 佐々木隆二は、バスタオルをパレオの様に腰に巻き付ける事を提案した。小鳥は渋々それを承諾し、前屈みになって水着ビキニのブラトップを隠した。


「小鳥ちゃん、それもやめて」

「なんでですか?」

「その・・・・あの・・・胸の谷間が見えるから」

「あっ!ご、ごめんなさい!」


 その様子を見ていた村瀬 結 はすかさず「あざとい!」と突っ込み、小鳥はその背中を叩いた。


「・・・・ふぅ」


 バスタオルを腰に巻いた小鳥は、色鮮やかなビーチパラソルの下に座り、波間で陽気に騒ぐ面々を眺めていた。


(ふぅ)


 小鳥の白い肌に、ビーチパラソルの赤や黄色、青い影が、潮風に揺れた。


(・・・気持ち良い)


 寄せては返す心地良い波の音に微睡(まどろ)んでいると、砂を踏む足音が近付いて来た。


「ごめん、麦茶、下さい」

「あ、はい」


 小鳥がクーラーボックスから麦茶のペットボトルを取り出すと、時間が止まった。滴り落ちる、溶けた氷の雫。見上げたそこに屈んでいたのは拓真だった。濡れた襟足にはふたつの黒子(ほくろ)が並んでいた。


「ど、どうぞ」

「ありがとう」


 ペットボトルのキャップを捻(ひね)る音にすら目眩を感じた。拓真は無言で小鳥の隣に腰を下ろし、視線は遥か彼方の青い水平線を見ていた。白い雲が棚(たな)びく。


「・・・・」


 小鳥は立ち上がる事も、顔を上げる事も出来ず、足の親指に付いた砂粒を凝視していた。


「おー・・・」


 波打ち際でビーチバレーを楽しんでいた佐々木隆二は、小鳥に声を掛けようと背後(うしろ)を振り返った。


「・・・い」


 ビーチパラソルの下には、恋人の小鳥と親友の拓真が並んで座っていた。2人は特に言葉を交わしている様子でもなかったが、独特の雰囲気を醸(かも)し出していた。


(・・・小鳥ちゃん?)


 そして、拓真の隣にいる小鳥は初々しく、頬をほんのりと桜色に染めていた。

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