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第76話 和風料理店①

 バスステップで躓(つまず)いた小鳥の身体を、機敏(きびん)な動きで受け止めた佐々木隆二は、「フットサルのチームに入っているからね」と笑った。見栄えも良く、頭脳明晰、加えてスポーツを嗜(たしな)むともなれば、自然と女子大生の注目の的になるだろう。


「フットサルってなんですか?」


 小鳥の脳裏には、猿の足が浮かんでは消えた。


「フットサル?サッカーに似ているけど、コートの大きさが違うんだ。狭くてキャンパスの裏手にもあるよ」

「そうなんですか!」

「チームのメンバーも5人居れば問題ないし、コマ授業コマ授業の空き時間に気軽に楽しめるんだ」


 佐々木隆二は目の前で長方形を描いて見せた。


「1人でも出来るんですか?」

「それは寂しいなぁ」

「寂しいですよね」

「それに、1人はゴールキーパーだし、他のメンバーが2人になったらお終いだよ」

「ふーん、フットサルって・・・お猿さんかと思いました」


 佐々木隆二は目を丸くしたかと思うと声を出して笑い、小鳥の背中を軽く叩いた。


「小鳥ちゃんって、本当に可愛いよね!」

「可愛くないです!」

「可愛いよ!今まで俺の周りには野生動物みたいな女しかいなかったからね!」

「野生動物・・・・」

「俺が狩りの対象みたいな?」

「あぁ、女豹ですか」


 佐々木隆二は失笑した。


「女豹?なにそれ」

「友だちの 結 がキャンプ場で言ってました」

「ああ、髪の毛がクルクルしている子ね。なんて言ってたの?」

「コンパは喰うか、喰われるかの世界だって」

「そりゃあ、また」

「弱肉強食、捕獲するんだって・・・そう言ってました」

「こ、こっわ!」


 佐々木隆二は身体を抱き締め、身震いをして見せた。その姿を窺いながら、小鳥は薄らと微笑んだ。


「結果的に・・・私が、佐々木さんを捕獲した事になるんでしょうか?」

「違うよ。俺から、小鳥ちゃんの檻(おり)に入ったんだよ」

「・・・檻(おり)に」

「うん、だから可愛がってね?」

「私が、佐々木さんを大切に可愛がるんですか!?」

「え、しないの?」


 この上背もあり、体格の良い佐々木隆二をどうやって可愛がるというのだろう?小鳥は、佐々木隆二に膝枕をした自身の姿を想像し、顔を真っ赤に色付かせた。


「た、大切に・・・したいと思います」

「俺も、小鳥ちゃんの事、大切にする」

「ありがとうございます」

「うん」


 駅前のコンコースは相変わらずの雑踏で賑やかしかった。ただ、小鳥と佐々木隆二の周りだけは時が止まり、音が消えた。見上げた目を捉えて離さない薄茶の瞳。ともすると2人は、月が地球に引き寄せられる様に抱き、抱かれ、口付けを交わしていたかもしれなかった。


パン!


(・・・!)


 走り過ぎた子どもの風船が割れた音で、小鳥は我に帰った。


(いやいやいやいや!なにを考えているの私!)


 小鳥は、思わず佐々木隆二の顔を睨み付けた。


(私は佐々木さんの、”恋人の振り”をしているだけなんだから!)


「なに、小鳥ちゃん。急に怖い顔して。そんなにお腹すいた?」

「あっ、はっ、はい!空きました!」


 佐々木隆二は腕組みをし、辺りを見回した。その目は幾つかの看板を品定めしている様だった。


「うーん、あのインド料理の店が美味しそうなんだけど、インド料理だと・・・ちょっと悩んじゃうなぁ」


 佐々木隆二は腕組みをして、小鳥の爪先から頭の天辺(てっぺん)をなぞる様に凝視した。


「・・・・インド料理だと、なにを悩むんですか?」

「染みになるから」

「染み?」

「可愛いワンピースがカレーで汚れたら、染みになって取れないでしょ?」」

「・・・染み」


(なっ、なにこの気遣い!完璧じゃない!?)


 、そしてには、この様な配慮は無かった。佐々木隆二の気遣いは、まるで従者に傅(かしず)かれた令嬢になった心持ちで、小鳥の胸はときめいた。


(なっ、なに!もう”好きになります”フラグ、立ちまくりじゃない!)


 小鳥は深呼吸をして佐々木隆二に向き直った。すると、なにやら携帯電話を取り出し、地図アプリで飲食店を検索している様子だった。


(・・・あ、インド料理、カレー)


 其々の拓真と初めての口付けを交わした際のキーワードは”カレー”だった。そしていつも、「カレー味だったね」と失笑し合った。


(だとしたら)


 その流れでゆくと、佐々木隆二との初めての口付けは、今日では無い可能性が高かった。


(そうよ、まだ心の準備も出来ていないし・・・!)


 小鳥は握り拳を作った。


「・・こと、ちゃ・・ことり、小鳥ちゃん、小鳥ちゃん?」

「・・・っあ!はい!」


 不意に肩を叩かれた小鳥は慌てふためいた。


「まただ。小鳥ちゃんって、ぼんやりしている事、多いよね」

「そうですか?」

「俺と居る時は、俺の事だけ考えてくれると嬉しいんだけどな」

「ごめんなさい」


 小鳥は思わず俯(うつむ)いた。どんなに佐々木隆二との逢瀬に浮き足立っていても、心のどこかで拓真の事を考えてしまう。なにもかもが、拓真との思い出に結び付いてしまう。


「ねぇ、小鳥ちゃん」

「はい?」


 そこで佐々木隆二は、「フランチャイズの店なんだけど、和風料理は好き?」と訊ねて来た。和風料理と聞いた小鳥は、料理の値が張るのではないかと慌てたが、提示された携帯電話の画面を見て安堵した。


「ほら、美味しそう」

「そんなに高く無いですね」

「この店にする?」

「は、はい!はい!大賛成です!この店が良いです!」


 空腹に耐えかねた小鳥の目は輝き、その姿を見つめる佐々木隆二の目は優しかった。


「なんだかさぁ」

「はい?」

「小鳥ちゃんって和風料理が似合うよね」

「和風料理が似合う!?」

「女豹とは違うもの。あの子たちはフレンチが良いとか、イタリアンのコース料理が好きだとか、いつもそればっかりだし」


 佐々木隆二は小鳥の手を引き、人混みを掻き分けてその和風料理店を目指した。


「佐々木さん。それって、私が・・・垢抜けていない、ダサいという事でしょうか?」

「いやいや、そんな事はないよ!?和風料理、素朴で良いと思うよ!」

「地味だと思っているんですね・・?」

「いやいやいや、そんな事はないよ!?健康志向だし!」


 佐々木隆二の握った手のひらが湿っぽく汗ばんだ。


「やっぱりダサいって思ってる!」

「いやいやいやいや、そんな事はないよ!?和風料理は世界に誇る文化だから!」

「ひどーい!」

「違うって!」

「ひどーい!」

「違うから!」


 佐々木隆二は小鳥を振り返る事なく先を急いだ。

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