バスステップで躓(つまず)いた小鳥の身体を、機敏(きびん)な動きで受け止めた佐々木隆二は、「フットサルのチームに入っているからね」と笑った。見栄えも良く、頭脳明晰、加えてスポーツを嗜(たしな)むともなれば、自然と女子大生の注目の的になるだろう。
「フットサルってなんですか?」
小鳥の脳裏には、猿の足が浮かんでは消えた。
「フットサル?サッカーに似ているけど、コートの大きさが違うんだ。狭くてキャンパスの裏手にもあるよ」
「そうなんですか!」
「チームのメンバーも5人居れば問題ないし、
佐々木隆二は目の前で長方形を描いて見せた。
「1人でも出来るんですか?」
「それは寂しいなぁ」
「寂しいですよね」
「それに、1人はゴールキーパーだし、他のメンバーが2人になったらお終いだよ」
「ふーん、フットサルって・・・お猿さんかと思いました」
佐々木隆二は目を丸くしたかと思うと声を出して笑い、小鳥の背中を軽く叩いた。
「小鳥ちゃんって、本当に可愛いよね!」
「可愛くないです!」
「可愛いよ!今まで俺の周りには野生動物みたいな女しかいなかったからね!」
「野生動物・・・・」
「俺が狩りの対象みたいな?」
「あぁ、女豹ですか」
佐々木隆二は失笑した。
「女豹?なにそれ」
「友だちの 結 がキャンプ場で言ってました」
「ああ、髪の毛がクルクルしている子ね。なんて言ってたの?」
「コンパは喰うか、喰われるかの世界だって」
「そりゃあ、また」
「弱肉強食、捕獲するんだって・・・そう言ってました」
「こ、こっわ!」
佐々木隆二は身体を抱き締め、身震いをして見せた。その姿を窺いながら、小鳥は薄らと微笑んだ。
「結果的に・・・私が、佐々木さんを捕獲した事になるんでしょうか?」
「違うよ。俺から、小鳥ちゃんの檻(おり)に入ったんだよ」
「・・・檻(おり)に」
「うん、だから可愛がってね?」
「私が、佐々木さんを大切に可愛がるんですか!?」
「え、しないの?」
この上背もあり、体格の良い佐々木隆二をどうやって可愛がるというのだろう?小鳥は、佐々木隆二に膝枕をした自身の姿を想像し、顔を真っ赤に色付かせた。
「た、大切に・・・したいと思います」
「俺も、小鳥ちゃんの事、大切にする」
「ありがとうございます」
「うん」
駅前のコンコースは相変わらずの雑踏で賑やかしかった。ただ、小鳥と佐々木隆二の周りだけは時が止まり、音が消えた。見上げた目を捉えて離さない薄茶の瞳。ともすると2人は、月が地球に引き寄せられる様に抱き、抱かれ、口付けを交わしていたかもしれなかった。
パン!
(・・・!)
走り過ぎた子どもの風船が割れた音で、小鳥は我に帰った。
(いやいやいやいや!なにを考えているの私!)
小鳥は、思わず佐々木隆二の顔を睨み付けた。
(私は佐々木さんの、”恋人の振り”をしているだけなんだから!)
「なに、小鳥ちゃん。急に怖い顔して。そんなにお腹すいた?」
「あっ、はっ、はい!空きました!」
佐々木隆二は腕組みをし、辺りを見回した。その目は幾つかの看板を品定めしている様だった。
「うーん、あのインド料理の店が美味しそうなんだけど、インド料理だと・・・ちょっと悩んじゃうなぁ」
佐々木隆二は腕組みをして、小鳥の爪先から頭の天辺(てっぺん)をなぞる様に凝視した。
「・・・・インド料理だと、なにを悩むんですか?」
「染みになるから」
「染み?」
「可愛いワンピースがカレーで汚れたら、染みになって取れないでしょ?」」
「・・・染み」
(なっ、なにこの気遣い!完璧じゃない!?)
(なっ、なに!もう”好きになります”フラグ、立ちまくりじゃない!)
小鳥は深呼吸をして佐々木隆二に向き直った。すると、なにやら携帯電話を取り出し、地図アプリで飲食店を検索している様子だった。
(・・・あ、インド料理、カレー)
其々の拓真と初めての口付けを交わした際のキーワードは”カレー”だった。そしていつも、「カレー味だったね」と失笑し合った。
(だとしたら)
その流れでゆくと、佐々木隆二との初めての口付けは、今日では無い可能性が高かった。
(そうよ、まだ心の準備も出来ていないし・・・!)
小鳥は握り拳を作った。
「・・こと、ちゃ・・ことり、小鳥ちゃん、小鳥ちゃん?」
「・・・っあ!はい!」
不意に肩を叩かれた小鳥は慌てふためいた。
「まただ。小鳥ちゃんって、ぼんやりしている事、多いよね」
「そうですか?」
「俺と居る時は、俺の事だけ考えてくれると嬉しいんだけどな」
「ごめんなさい」
小鳥は思わず俯(うつむ)いた。どんなに佐々木隆二との逢瀬に浮き足立っていても、心のどこかで拓真の事を考えてしまう。なにもかもが、拓真との思い出に結び付いてしまう。
「ねぇ、小鳥ちゃん」
「はい?」
そこで佐々木隆二は、「フランチャイズの店なんだけど、和風料理は好き?」と訊ねて来た。和風料理と聞いた小鳥は、料理の値が張るのではないかと慌てたが、提示された携帯電話の画面を見て安堵した。
「ほら、美味しそう」
「そんなに高く無いですね」
「この店にする?」
「は、はい!はい!大賛成です!この店が良いです!」
空腹に耐えかねた小鳥の目は輝き、その姿を見つめる佐々木隆二の目は優しかった。
「なんだかさぁ」
「はい?」
「小鳥ちゃんって和風料理が似合うよね」
「和風料理が似合う!?」
「女豹とは違うもの。あの子たちはフレンチが良いとか、イタリアンのコース料理が好きだとか、いつもそればっかりだし」
佐々木隆二は小鳥の手を引き、人混みを掻き分けてその和風料理店を目指した。
「佐々木さん。それって、私が・・・垢抜けていない、ダサいという事でしょうか?」
「いやいや、そんな事はないよ!?和風料理、素朴で良いと思うよ!」
「地味だと思っているんですね・・?」
「いやいやいや、そんな事はないよ!?健康志向だし!」
佐々木隆二の握った手のひらが湿っぽく汗ばんだ。
「やっぱりダサいって思ってる!」
「いやいやいやいや、そんな事はないよ!?和風料理は世界に誇る文化だから!」
「ひどーい!」
「違うって!」
「ひどーい!」
「違うから!」
佐々木隆二は小鳥を振り返る事なく先を急いだ。