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第73話 はじめましての小鳥①

 小鳥は当初、LIMEでの通話は15分だけだと佐々木隆二に宣言していたが、それは日を追う毎に30分、40分と長くなり、数週間後には空が白み始める頃まで話し続ける様になっていた。母親からは「いい加減にしなさい」と小言(こごと)を言われたが、最近では諦めたらしくなにも言わなくなった。


「小鳥ちゃん、魚は好き?」

「鯵(あじ)の南蛮漬けは好きですけれど、それがどうしたんですか?」

「南蛮漬けが泳いでいるところ、見てみたくない?」

「南蛮漬けが、ですか?」


 携帯電話の向こうで、佐々木隆二が失笑した。


「なんで笑うんですか!」

「ごめんごめん、魚が泳いでいる場所に行こうよ」

「海ですか?」

「海も良いけど、魚が泳いでいるところは見れないでしょ?」

「そうですね、じゃあどこに行くんですか?」


 一瞬の間があった。佐々木隆二の息遣いを感じる。耳元で優しく囁(ささや)かれた小鳥は、全身がむず痒くなった。


「水族館」

「水族館、水族館に私と佐々木さんが行くんですか?」

「誰と行くつもりなの」

「それは、つまり、デートですか?」

「そうなるね」

「デート」

「近江八幡駅の南口に10:00、待ってるよ」


 翌週の土曜日。小鳥は髪型を整え、新しく買い求めたペールブルーのギンガムチェックのワンピースに袖を通した。


(うーん)


 姿見の前に立った小鳥は困り顔をしていた。


(少し・・・短かったかな)


 小鳥は、ワンピースを試着しなかった事を少しばかり後悔した。スカートの丈は膝上10cm、普段キャンパスで佐々木隆二と会う時は、デニムのジーンズを履いていた。


(どうしよう、違う服に着替えようかな)


 然し乍ら、時計の針は動きを止めない。


「あっ!もう時間だ!遅れちゃう!」


 待ち合わせの時間は刻一刻と迫っていた。気恥ずかしさを飲み込んだ小鳥は、紺色のギンガムチェックのサンダルを履いて玄関の扉を閉めた。


(な、なんだかドキドキする)


 水族館行きの送迎バスの停留所は、待ち合わせの近江八幡駅の南口にあると聞いていた。電車に揺られ、一駅通過する毎に小鳥の胸は、微妙な緊張感に脈打った。


(他の男の人とデートしたなんて、将来、拓真になんて言おう)


 小鳥は高梨拓真以外の男性と付き合った事がない。そんな小鳥が男性と2人きりで出掛ける、それは所謂(いわゆる)デートというものだ。しかもその相手が拓真の親友である佐々木隆二、なんとも複雑な人間模様だった。


(恋人の友達と浮気してるみたいで・・・なんだか、罪悪感!)


 そして今、小鳥は初めて電車から降りた駅のコンコースで南口なる場所を目指していた。決して方向音痴ではない、勘は良い方だ。然し乍ら、部活動帰りの高校生やキャリーバッグを引く観光客、駅構内のファッションショッピングモールに訪れた買い物客など、この雑踏では右も左も分からなかった。


(ええと、看板は)


 頭上の行き先案内の看板を見上げていると、突然、肩を誰かに叩かれた。


「ぎゃっ!」


 小鳥は素っ頓狂(すっとんきょう)な声を発して背後(うしろ)を振り向いた。そこには、グレーのTシャツに黒いシャツを羽織った佐々木隆二が驚いた顔で立っていた。


「小鳥ちゃん、ぎゃっは無いでしょう、ぎゃっは」

「びっくりしました」

「ごめんごめん、迷うんじゃ無いかと思って改札口で待ってたんだ」

「そうなんですか」

「そうしたら、案の定、反対方向に歩いて行くから笑っちゃったよ」


 佐々木隆二は行き交う人混みから小鳥を庇うように立つと、南口の看板を指差した。


「だって!こんなに混んでいるとは思ってもみませんでした!」

「小鳥ちゃん、歩くの早いね」

「緊張していますから!」

「緊張?」

「だって!はっ、じ」

「はじ?」

「はじめまして!」


 小鳥は、佐々木隆二に向き直ると深々とお辞儀をした。


「なに?はじめましてって、毎日、大学で会ってるじゃない」

「で、デートなんて初めてですから!」


 小鳥は早口で捲(まく)し立てた。


「あぁ、そうだった。2人きりだから緊張してるんだ」

「は!はい!」

「大丈夫だよ、なにもしないから」


 佐々木隆二は爽やかな笑顔で、小鳥の手をさり気なく握った。


「さ、佐々木さん!」

「なに、小鳥ちゃん。大きな声出して驚くじゃない」

「なにも、なにもしないって言ったじゃ無いですか!」


 佐々木隆二はそんな言葉にはお構いなしで、南口の出口を目指した。


「だって、手を離したら離れ離れになっちゃうよ?」


 確かに、小鳥の周囲には大きな人の流れが出来ていた。気を抜けば、あっという間に下流に流されてしまいそうだった。


「そ、そうですけれど!」

「じゃあ肩でも抱く?」

「そっ、それはもっと駄目です!」

「でしょう?はい、もっとちゃんと握って」


 ゴツゴツとした大きな手のひらは温かく、少ししっとりとしていた。


「・・・・・・」

「そうそう、やれば出来るじゃない」

「・・・・・・」

「なに、その顔」

「佐々木さん、なんだか狡(ずる)いです」


 佐々木隆二は楽しげに握った手を前後に振った。心なしか、足取りも軽やかだ。


「これでプランAは合格だね」

「プラン?」

「そ、プランA」

「プランAって、次もあるんですか!?」


 小鳥は戦々恐々と、そのご機嫌な面差しを見上げた。そこで気が付くと黒山の人集(ひとだか)り。


「うわぁ」

「これはすごいね」


 停留所に停まっていた水族館行きのバス乗降口には行列が出来ていた。その隣では、水族館のキャラクターやラッコが描かれたラッピングバスの前で記念撮影をする姿もあった。


「小鳥ちゃん、俺たちも撮ってもらおうよ」

「え、ええ!?」

「折角、そんな可愛いワンピースを着ているんだから!撮ろうよ!」

「は、はい」


(ワンピース、佐々木さん、気が付いていたんだ)


 小鳥の中で、こそばゆい感覚が広がった。


(・・・ん?なんだこれ?)


 不思議な感覚に戸惑いを覚えていると、携帯電話をバスに並ぶ行列の1人に預けた佐々木隆二が小鳥の隣に立った。触れ合う肩と肩、小鳥は頬の火照りを感じた。


「はい、撮りますよー!はい、チーズ!」


 撮影終了。手渡され確認したカメラロールには、やや下を向いた小鳥と満面の笑みの佐々木隆二がピースサインをしていた。


「はい!プランBも合格!」

「これがプランBなんですか?」

「こう、ピッタリくっ付いたでしょ?」


 佐々木隆二は互いの肩を指差した。小鳥はシャツ越しに触れた肩の温もりを反芻(はんすう)し、その気恥ずかしさにもんどり打った。


(だ、駄目。もう恥ずかしくて倒れそう)


プシュー


 そして、送迎バスの中は子ども連れのファミリー層で賑わっていた。座席は満席、吊り革に掴まった2人の両脇にも乗客が立ち、すぐ背後(うしろ)ではリュックサックを背負った小学生が談笑している。


(・・・せ、狭い)


 そこで、バス乗務員の気が抜けた様なアナウンスが車内に響き渡った。


「えー、なかよし水族館行き発車しまーす」


プシュー


 ドアステップの扉が閉まり、低いエンジン音が轟(とどろ)く。緩やかに動き出したバスは停留所を出発し、500m辺りで一時停止をした。小鳥の身体は斜め前へと振られ、佐々木隆二へと倒れ込んだ。


「あ、ご、ごめんなさい」

「良いよ、大丈夫」

「ごめんなさい」


 小鳥の鼻先は、佐々木隆二の胸板に押し付けられた。突然の意図せぬ至近距離、黒いシャツからはハーバルグリーンの柔軟剤の匂いがした。そして、Tシャツ越しに感じる体温と規則正しい心臓の鼓動、小鳥の顔は真っ赤になり汗ばんだ。


「小鳥ちゃん」

「なんですか?」

「プランCも合格だね」

「・・・え?」


 その言葉に小鳥は顔を上げた。すると、佐々木隆二は視線を逸(そ)らし、揉み上げから覗く耳を真っ赤に色付かせた。

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