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第34話 忌々しい夢

 ーーーーー小鳥は夢を見ていた。忌々しい夢だ。





 小鳥は2018年に北國学園を卒業し、同年4月に隣接する市の図書館に就職した。


「小鳥!図書館、開いちゃうわよ!起きなさい!」

「は〜・・・・。・・・・。・・」

「小鳥!起きなさい!!」


 小鳥は朝の目覚めが宜しくない。朝が苦手で、怠さや疲労感でベッドから這い出す事が難しかった。よって、こうして毎朝、母親に叩き起こされていた。勢いよく階段を上がる足音、部屋の扉が開け放たれた。


バタン!


「ちょっ!嫌だ!お母さん、勝手に部屋に入って来ないでよ!」


 小鳥は掛け布団から頭を出し、カタツムリの姿で母親にクッションを投げつけた。それを上手い具合に受け止めた母親は大きく振りかぶるとベッドに向かって投げ付けた。この母親にしてこの娘、毎朝賑やかで父親は知らぬ存ぜぬで食後の茶を啜(すす)っている。


「なに高校生みたいな事、言ってるの!!!あなたが起きないからでしょう!!!」


 烈火の如くいきり立った母親は恐ろしかった。


「そう、ですね。申し訳ございません」

「はい!おはよう!」

「お、おはようございます」

「朝ご飯、オムレツ焼いたから、ちゃんと食べて行きなさいよ!」

「はい、ありがとうございます。頂戴いたします」


 そして小鳥は、半ば居眠りをしながら1時間半の距離を電車に揺られて出勤した。


「おはようございます」

「はい、おはようございます」


(さて!今日も頑張りますか!)


 大学時代、読書サークルに所属していた小鳥にとって、この静かな雰囲気と古びた紙やインクの匂いは癒しだった。小鳥は図書館司書として勤務に勤しんだ。ところがある日の事、とんでもない災いが小鳥の身に降り掛かった。


「あの、この本を返却したいんですけれど」


 雨の夜の事だった。小鳥が閉館の準備をしていると、1人の男性がカウンターに声を掛けて来た。


(・・・・・なんだ?)


 カウンターの隣には貸し出し本の返却ボックスがある。にも関わらず、カウンターに訪れる理由はただひとつ、貸し出し書籍の延滞だ。


「はい、ありがとうございます」

「はい」

「次からは気を・・・付けて・・下さいね?」


 パソコンで確認してみたが、その本を貸し出した履歴がなかった。


「お客様、申し訳ございません。こちらは当館で貸し出した書籍ではありませんが、返却図書館をお間違えではないですか?」


 県内には、中央南図書館と、北図書館があった。


「いえ、これをお渡ししたくて」

「はい?」


 カウンターに、1枚の名刺が差し出された。名刺には印刷業者名が印字されていた。小鳥はインクカートリッジの営業だと思い、事務所に案内する為に椅子から立ち上がった。


「只今、係の者を呼んで参ります、お待ち下さい」

「あ、違うんです。あなたとお話がしたくて来ました」

「はい?」


 男性は小鳥の動きを制した。手渡された名刺をよくよく見ると、そこには個人用携帯電話と思(おぼ)しき数字がボールペンで記入されていた。


「これは、どういう意味でしょうか?」

「付き合って頂けませんか?」

「付き合う?付き合うという意味がわかりませんが?」

「お食事に行きませんか?」


 小鳥が眼鏡を少しずらして見ると、なにやらにやけた顔が小鳥を見下ろしていた。中肉中背、この男性の名前は”田中吾郎たなかごろう”と言った。


「申し訳ございませんが、なぜ私が田中様と食事に行くのでしょうか?」

「一目惚れです」

「はい?」

「あなたに一目惚れをしました」


 そう言って、”田中吾郎”は小鳥のネームタグを一瞥(いちべつ)すると、曖昧(あいまい)な笑顔で、「須崎小鳥すざき ことりさん」と呼んだ。名前を間違えられた事で気分を害した小鳥は、やや強めな口調で言葉を返した。


「私の名前は須賀小鳥すがことりですが?」

「あぁ、薄暗くてよく見えませんでした」


 確かに図書館の中は薄暗いが、一目惚れをした相手の名前を確認もせずに、告白して食事に誘うだろうか?当初から胡散臭い男性ではあった。その後も”田中吾郎”は足繁く図書館のカウンターを訪れ、小鳥の出勤時には待ち伏せをし、退勤時には職員玄関で声を掛けて来た。


(え、ちょっと・・・嘘でしょ!?)


 そして終いには、電柱2本分を離れて小鳥の後を尾(つ)けて来る様になった。小鳥は背後(うしろ)を振り返る事なく、小走りで駅の改札口を目指したが、革靴の音は足早に迫って来た。


(やだ、怖い!)


 その後もストーカー行為は繰り返された。然し乍ら、警察に相談に相談したところで事件性がなければ民事不介入、埒(らち)が明かない。


「お母さん、どうしたら良いと思う?」

「そうねぇ」

「お父さん、どうしよう」


 両親に相談したところ、「”田中吾郎”に自宅が知られる前に職場を辞めてはどうか?」という事で家族の意見は一致した。


 ”田中吾郎”のストーカー行為で心身ともに疲れ果てた小鳥は、転職を決意した。職業安定所(ハローワーク)に通った小鳥は、駄目で元々と受けたアパレルメーカーの入社試験に合格した。当初は事務職希望だったのだが、研修時の接客態度が好ましく、販売員として勤務する事となった。


(人生、分からないものだ)


それは2020年の5月、24歳の時の事だ。





 ーーーーーそして今、24歳の小鳥に降り掛かった災いを、27歳の小鳥は忌々しい悪夢として見ていた。

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