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第33話 運命の人


ミーンミンミンジー ミーンミンミンジー

ミーンミンミンジー ミーンミンミンジー




 小鳥と拓真の両親は自宅に戻って来た。拓真の母親がヤカンで煮出した麦茶をグラスに注いでくれた。拓真が好んで飲んでいた麦茶だ。グラスの中で、透明な氷がカランと乾いた音を立てた。


「どうぞ。小鳥ちゃん、喉乾いたでしょう?」

「ありがとうございます」


 ふと見遣ると、ローチェストには、拓真が少年野球で優勝した時のトロフィーや盾が飾られていた。壁には、児童絵画コンクールで銅賞をとった時の表彰状が額に飾られていた。家のあちらこちらに拓真の息遣いを感じる。



ミーンミンミンジー ミーンミンミンジー

ミーンミンミンジー ミーンミンミンジー


 拓真の父親が金庫を開け、小さな紙袋を取り出して来た。


「小鳥さん、拓真の形見分けなんだが」

「はい」

「ジュエリーショップから再三連絡があって、勝手な事で申し訳ないとは思ったが、先日、店から受け取って来たんだよ」


 小鳥は婚約指輪を受け取っていなかった事を思い出した。


「ありがとうございます」


 拓真の父親から手渡された白い小箱には、濃紺のサテンリボンが結えられていた。リボンを解き、蓋をそっと開けると、空気が抜ける感触があった。中に収められていた深紅の天鵞絨(ビロード)のリングケースには、階段状にカッティティングされたテーパードカットダイヤモンドがプラチナの枠の中で繊細な輝きを放っていた。


「あぁ、綺麗ね」


 拓真の母親は溜め息を吐き、父親は無言で頷いた。


「・・・・綺麗、すごく綺麗だよ拓真」


 生前、拓真はこの婚約指輪に、刻印を依頼したと言っていた。「なにをお願いしたの?」「それは受け取ってからのお楽しみだよ」そう言って笑った拓真は還らぬ人となってしまった。


(なんて書いてあるんだろう)


You are the one.


 その意味が分からず検索してみた小鳥は、涙を溢しながら指輪を左手の薬指に嵌(は)めた。


You are the one.


 あなたは運命の人


 指輪を翳(かざ)して見る小鳥の仕草に気付いた拓真の母親がそれを覗き込んだ。


「小鳥ちゃん、なにか書いてあるの?」

「はい」

「なんて書いてあるの?」

「You are the one.です」

「どういう意味?」

「”あなたは運命の人”です」

「いやだわ、拓真ったら意外とロマンチストなのね」


 ふと悲しげな笑みが溢れる。


「そろそろ、私、お暇(いとま)します」

「あぁ、今日はありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございました」


 三和土(たたき)でパンプスを履いていると、いつの間にかべべが玄関の上り口に座っていた。


「・・・・べべちゃん」


 べべは悲しげな仕草で小鳥の脚に頬擦りをした。ピンと伸びた白い髭が痛かった。


「べべ、バイバイ」

「にゃう」

「元気でね」

「にゃう」


 小鳥はタクシーチケットを手渡され、玄関先に迎えに来たタクシーの後部座席に座った。ドアが閉まる直前に、拓真の母親が「小鳥ちゃん、また、また遊びに来てね」と涙ながらに手を差し出して来た。


「はい」


 そう答え、握手をしたものの、四十九日法要で拓真を極楽浄土へ見送った小鳥は、高梨家との縁が途切れた、そんな気がした。


(・・・・・・・・・・・疲れた)


 タクシーを降り、部屋の扉を開けた瞬間の脱力感は半端なく、小鳥は喪服を脱ぐと熱いシャワーを浴びた。


(あー・・・そうだ、髪、は長かったんだ)


 2023年にタイムリープしていた時の小鳥の髪は肩までのボブヘアーで短かった。2024年に戻った小鳥の髪は長く、洗髪やドライヤーで乾かす手間をやや面倒臭く感じた。


 冷蔵庫を開ける。


 そこには2024年7月6日に小鳥が買った発泡酒が3本入っていた。の為に購入した物だった。


(これは残ってるんだ、不思議、訳わかんない)


 タイムリープしている間のこちらでの時間や入れ物(からだ)がどうなっているのかは分からないが、今の小鳥は2024年に存在している。


 いるべき場所に

 あるべき時間に

 存在している


「発泡酒の賞味期限は、あ、2024年、大丈夫か」


 自嘲的(じちょうてき)な笑いが込み上げ、小鳥は缶のプルタブを開けた。夜を迎える薄暗闇でベッドに腰掛け窓を開けると、湿り気のある風が頬を撫で、部屋に流れ込んだ。


(・・・・・ふぅ)


 見下ろした住宅街、電車の明かりが時速30kmで駅を出発した。2はあの駅で降りて小鳥の部屋を訪ねて来た。玄関のドアを一瞥(いちべつ)したが、このドアがもう2度と開く事がないのだと思うと胸に熱いものが込み上げた。


(・・・・・・・)


 普段から酒を飲まない小鳥は、発泡酒を1缶あけたところで酔いが回った。ふと思い立ち、キッチンのシンクの下の扉を開けた。


(・・・・・ない)


 やはり思った通り、が持参したひなぎくの花束を生ける為に買い求めた大きなガラスの花瓶は忽然と姿を消していた。


「・・・・っつ、うっ」


 小鳥はほんの数時間前まで、雪が降り頻(しき)る夜、の温かい胸に抱かれていた。それが突然、時間が進み、こうしてアブラゼミとヒグラシの鳴き声を1人で聞いている。


(・・・・しかも、拓真の四十九日の法要の日に戻るとか、洒落(しゃれ)になんない)


 せめて2024年の7月6日、交通事故の前日ならばと、小鳥は腹の底から怒りが込み上げて来た。パイプハンガーに掛かっていた喪服を手で掴むと大きく振りかぶって床に叩き付けた。髪を振り乱し、何度も、何度も叩き続けた。やがてプラスティックのハンガーが割れ、小鳥は我に帰った。


(・・・・なにやってるの、馬鹿みたい)


 小鳥は黒いポーチから前の拓真が用意してくれた婚約指輪のリングケースを取り出した。深紅の天鵞絨(ビロード)の手触りは指先に優しく温かかった。そこで小鳥ははっと気が付き、焦りを感じた。


(まさか、この中の指輪まで消えていたら!?)


 慌てて蓋を開くと、婚約指輪は美しく輝きを放ち、小鳥は安堵で胸を撫で下ろした。


You are the one.


 あなたは運命の人

 あなたは運命の人

 あなたは運命の人



ミーンミンミンジー ミーンミンミンジー

ミーンミンミンジー ミーンミンミンジー



 すっかり酔いが回った小鳥はリングケースをチェストの棚に片付け、ベッドへと倒れ込んだ。そして、泥に沈むように眠りに落ちた。


You are the one.


 あなたは運命の人

 あなたは運命の人

 あなたは運命の人

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