漆黒のワンピースに袖を通し、黒いストッキングを履いた小鳥は黒いポーチに白いハンカチとコーラルピンクの珊瑚の数珠を準備した。黒いパンプスで部屋を振り返ると、2人の拓真を失った事への喪失感で足元から崩れ落ちそうになった。
『小鳥ちゃん!ヒナギクなんだけど、好きかな!』
『ありがとう!すごい!こんな花束見た事ない!』
それはあまりにも大きな花束で、飾るには丁度良い花瓶もなく、2人で手分けしてグラスやワインボトルに挿して回った。気が付くと、部屋中がヒナギクでいっぱいになっていた。一番可笑(おか)しかったのは、ヤカンに咲いたヒナギクだった。
そして、
『あの、これ』
小鳥は、時間を飛び超えた時の経験を活かし、大きな花束を生ける事が出来るサイズの、ガラスの花瓶を予(あらかじ)め買っておいた。
『ありがとう!嬉しい!』
ヒナギクの花が咲く、ガラスの花瓶は部屋で一番良く見える場所に飾った。
『小鳥ちゃん、”希望”だって』
『え?』
『ヒナギクの花言葉は”希望”なんだって』
ところが、だ。
タイムリープで巡り合った拓真の姿は忽然と消えてしまった。
(違う、時が進んだんだ)
小鳥がふたたびタイムリープをした可能性が高かった。
(それも、こんな・・・拓真の四十九日法要の朝に戻るなんて、神様は意地悪だ)
ミーンミンミンミンミンジー
ミーンミンミンミンミンジー
小鳥は石の階段をゆっくりと上ると神社の鳥居を潜(くぐ)った。
『冷たい!』
『冷たいね!寒い!』
それが今は、手を水に漬けるとヒンヤリと気持ちが良かった。今は・・・夏だ。
ミーンミンミンミンミンジー
ミーンミンミンミンミンジー
ゴツゴツとした樹皮の銀杏の枝には、緑の葉が茂り眩しい光と影を作っている。虫取り網を持った子どもたちが、境内の砂利を踏んで走り過ぎた。
ミーンミンミンミンミンジー
ミーンミンミンミンミンジー
(・・・・・ふぅ、暑い)
白いハンカチで首筋の汗を拭う。黒真珠のネックレスが襟足の髪に絡みついて不快感を覚えた。躑躅(つつじ)の垣根を左に曲がると、白い壁、茶色い屋根、レンガに囲まれた拓真の自宅があった。
(・・・・・あ)
黒と白の鯨幕(くじらまく)が張られた
(・・・・動け、ない)
その姿に気付いた拓真の母親が「小鳥ちゃん、来てくれてありがとう」と肩に手を添えた。三和土(たたき)には黒い革靴やパンプスが並び、その中央には豪奢(ごうしゃ)な草履が揃えられていた。奥の座敷には2人の僧侶が仏壇の前に座っている。
四十九日法要は、亡くなった仏様(拓真)を極楽浄土へと見送る儀式だ。これで
(・・・拓真、助けられなくて・・・ごめんね)
読経が流れる厳かな空間で、小鳥はあの瞬間を悔やんだ。自然と涙が零れ落ち、ワンピースに滲みを作った。
「小鳥さん、使いなさい」
「ありがとうございます」
拓真の父親がティッシュペーパーの箱を手渡してくれた。けれどその目も真っ赤に充血して悲しみを堪(こら)えていた。高梨拓真のまだ28歳という若すぎる死に直面した両親は元より、親戚、知人、友人は涙した。
(・・・拓真)
法要の後は、お斎(とき)の席が設(もう)けられる。僧侶や参列者が集って会食を行い、故人の想い出を語り合うのだ。
「小鳥ちゃん、良いのよ。座っていて」
「いえ、お手伝いさせて下さい」
小鳥は拓真の母親と配膳をし、皿やコップを準備した。
「あの時、拓真がさぁ」
「そうそう、あの時は笑ったよ」
「でさ、その後さ」
戯(おど)けて見せる友人たちの中には、損害保険会社の同僚の佐々木隆二の姿があった。
「あ、須賀さん、烏龍茶貰えますか?」
「はい、何本ですか?」
「ひーふーみー、5本、重いと思いますが、持てますか?」
「大丈夫です、5本ですね」
「お願いします」
「はい」
(・・・もう、なにがなんだか分からない)
小鳥が階段に座り、物思いに耽(ふけ)っていると、柔らかな温もりが頬擦りをして来た。べべだった。ザラザラとした”おろし金”の様に痛い舌が鼻先を舐め、海の青で凝視して来た。
「べべちゃん、
「にゃあ」
「クッキー美味しかった?」
「にゃぉう」
「そうか、べべちゃんは
小鳥がべべの頭を撫でていると拓真の母親が「あら、べべ!小鳥ちゃんの喪服に毛が付くじゃない!」と注意した。するとべべは見つかった!とばかりに2階へと駆け上がって行ってしまった。
「小鳥ちゃん、ごめんなさいねぇ」
「え、いいんです。べべちゃんの毛、黒いから」
「駄目よ、これ使いなさい」
小鳥はコロコロカーペットを手渡された。
お斎(とき)が終わりを告げると、納骨法要となる。僧侶を始め近しい身内と小鳥はタクシーに分乗し、高梨家の墓がある墓地へと移動した。
ミーンミンミンミンミンジー
ミーンミンミンミンミンジー
蝋燭(ろうそく)が灯り、線香の煙が燻(くゆ)る杉林の一角に読経が流れ、仏具の鐘(りん)が静寂に響き渡る。
(・・・拓真)
小鳥が数珠で手を合わせていると、石材業者の男性2人が墓石を退(ど)かし拓真の父親が骨壷(こつつぼ)をその中に納めた。ゆっくりと閉じられて行く墓石、ズルズルと御影石が移動する音に、それまで気丈に振る舞っていた拓真の母親は、慟哭を上げその場に崩れた。
「拓真、拓真、拓真・・・!拓真ぁぁぁ!」
ミーンミンミンミンミンジー
ミーンミンミンミンミンジー
アブラゼミの鳴き声が頭上から降り注いだ2024年8月24日の正午の事だった。