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第32話 追悼の小鳥

 漆黒のワンピースに袖を通し、黒いストッキングを履いた小鳥は黒いポーチに白いハンカチとコーラルピンクの珊瑚の数珠を準備した。黒いパンプスで部屋を振り返ると、2人の拓真を失った事への喪失感で足元から崩れ落ちそうになった。






『小鳥ちゃん!ヒナギクなんだけど、好きかな!』


 は、ヒナギクの花束を背後(うしろ)に隠す事なく、玄関の扉を開けた途端、それを小鳥に手渡して満面の笑みで微笑んだ。


『ありがとう!すごい!こんな花束見た事ない!』


 それはあまりにも大きな花束で、飾るには丁度良い花瓶もなく、2人で手分けしてグラスやワインボトルに挿して回った。気が付くと、部屋中がヒナギクでいっぱいになっていた。一番可笑(おか)しかったのは、ヤカンに咲いたヒナギクだった。






 そして、は、ヒナギクの花束を背後(うしろ)に隠して照れ臭がっていた。けれど、大きな花束がチラチラと見え隠れするものだから、気付かぬ振りをする事に苦労した。


『あの、これ』


 小鳥は、時間を飛び超えた時の経験を活かし、大きな花束を生ける事が出来るサイズの、ガラスの花瓶を予(あらかじ)め買っておいた。


『ありがとう!嬉しい!』


 ヒナギクの花が咲く、ガラスの花瓶は部屋で一番良く見える場所に飾った。


『小鳥ちゃん、”希望”だって』

『え?』

『ヒナギクの花言葉は”希望”なんだって』


 は、ヒナギクの花言葉は”希望”だといった。花言葉は”希望”、なにかが変わる、2024年7月7日を2人で超える事が出来ると、そう思った。



 ところが、だ。



 タイムリープで巡り合った拓真の姿は忽然と消えてしまった。


(違う、時が進んだんだ)


 小鳥がふたたびタイムリープをした可能性が高かった。


(それも、こんな・・・拓真の四十九日法要の朝に戻るなんて、神様は意地悪だ)


ミーンミンミンミンミンジー 

ミーンミンミンミンミンジー


 小鳥は石の階段をゆっくりと上ると神社の鳥居を潜(くぐ)った。


『冷たい!』

『冷たいね!寒い!』


 と手水舎(ちょうずしゃ)で手を清めた事が、つい昨日の事の様に思い出される。

 それが今は、手を水に漬けるとヒンヤリと気持ちが良かった。今は・・・夏だ。


ミーンミンミンミンミンジー 

ミーンミンミンミンミンジー


 ゴツゴツとした樹皮の銀杏の枝には、緑の葉が茂り眩しい光と影を作っている。虫取り網を持った子どもたちが、境内の砂利を踏んで走り過ぎた。


ミーンミンミンミンミンジー 

ミーンミンミンミンミンジー


(・・・・・ふぅ、暑い)


 白いハンカチで首筋の汗を拭う。黒真珠のネックレスが襟足の髪に絡みついて不快感を覚えた。躑躅(つつじ)の垣根を左に曲がると、白い壁、茶色い屋根、レンガに囲まれた拓真の自宅があった。


(・・・・・あ)


 黒と白の鯨幕(くじらまく)が張られたの通夜を思い出した。小鳥の鼓動は自然と速くなり、足がアスファルトに沈んで行く様な感覚に襲われた。


(・・・・動け、ない)


 その姿に気付いた拓真の母親が「小鳥ちゃん、来てくれてありがとう」と肩に手を添えた。三和土(たたき)には黒い革靴やパンプスが並び、その中央には豪奢(ごうしゃ)な草履が揃えられていた。奥の座敷には2人の僧侶が仏壇の前に座っている。


 四十九日法要は、亡くなった仏様(拓真)を極楽浄土へと見送る儀式だ。これでの魂は小鳥たちの元から羽ばたいて行く。


(・・・拓真、助けられなくて・・・ごめんね)


 読経が流れる厳かな空間で、小鳥はあの瞬間を悔やんだ。自然と涙が零れ落ち、ワンピースに滲みを作った。


「小鳥さん、使いなさい」

「ありがとうございます」


 拓真の父親がティッシュペーパーの箱を手渡してくれた。けれどその目も真っ赤に充血して悲しみを堪(こら)えていた。高梨拓真のまだ28歳という若すぎる死に直面した両親は元より、親戚、知人、友人は涙した。


(・・・拓真)


 法要の後は、お斎(とき)の席が設(もう)けられる。僧侶や参列者が集って会食を行い、故人の想い出を語り合うのだ。


「小鳥ちゃん、良いのよ。座っていて」

「いえ、お手伝いさせて下さい」


 小鳥は拓真の母親と配膳をし、皿やコップを準備した。


「あの時、拓真がさぁ」

「そうそう、あの時は笑ったよ」

「でさ、その後さ」


 戯(おど)けて見せる友人たちの中には、損害保険会社の同僚の佐々木隆二の姿があった。は「佐々木に結婚式の司会進行をお願いしようかな」とまで話していた。それ程までに懇意にしていたのだろう。そこで、会席のテーブルから手が挙がった。佐々木隆二だった。


「あ、須賀さん、烏龍茶貰えますか?」

「はい、何本ですか?」

「ひーふーみー、5本、重いと思いますが、持てますか?」

「大丈夫です、5本ですね」

「お願いします」

「はい」


 と出会ったバーベキューの場での佐々木隆二は、小鳥の事を小鳥ひまわりちゃんと呼んでいた。最初から馴れ馴れしく、敬語ではなかった。


(・・・もう、なにがなんだか分からない)


 小鳥が階段に座り、物思いに耽(ふけ)っていると、柔らかな温もりが頬擦りをして来た。べべだった。ザラザラとした”おろし金”の様に痛い舌が鼻先を舐め、海の青で凝視して来た。


「べべちゃん、はありがとう」

「にゃあ」

「クッキー美味しかった?」

「にゃぉう」

「そうか、べべちゃんはんだね」


 小鳥がべべの頭を撫でていると拓真の母親が「あら、べべ!小鳥ちゃんの喪服に毛が付くじゃない!」と注意した。するとべべは見つかった!とばかりに2階へと駆け上がって行ってしまった。


「小鳥ちゃん、ごめんなさいねぇ」

「え、いいんです。べべちゃんの毛、黒いから」

「駄目よ、これ使いなさい」


 小鳥はコロコロカーペットを手渡された。


 お斎(とき)が終わりを告げると、納骨法要となる。僧侶を始め近しい身内と小鳥はタクシーに分乗し、高梨家の墓がある墓地へと移動した。



ミーンミンミンミンミンジー 

ミーンミンミンミンミンジー



 蝋燭(ろうそく)が灯り、線香の煙が燻(くゆ)る杉林の一角に読経が流れ、仏具の鐘(りん)が静寂に響き渡る。の遺骨を墓に納めるのだ。


(・・・拓真)


 小鳥が数珠で手を合わせていると、石材業者の男性2人が墓石を退(ど)かし拓真の父親が骨壷(こつつぼ)をその中に納めた。ゆっくりと閉じられて行く墓石、ズルズルと御影石が移動する音に、それまで気丈に振る舞っていた拓真の母親は、慟哭を上げその場に崩れた。


「拓真、拓真、拓真・・・!拓真ぁぁぁ!」



ミーンミンミンミンミンジー 

ミーンミンミンミンミンジー


 アブラゼミの鳴き声が頭上から降り注いだ2024年8月24日の正午の事だった。

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