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第31話 戸惑いの小鳥

 乱れたシーツの端から熱が消えてゆく。小鳥が手を伸ばすとそこに温もりは感じられず、拓真がベッドから抜け出した事を表していた。




リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン

チーン チーン チーン チーン チーン

チン チン チン チン チン




 ミニッツリピーターの鐘の音が枕元から響く。深い響きが5回、これは5時を指している。


(5時、5分、5秒・・・かな。拓真、早起きだな)


 ぼんやりとそんな事を考えながら乱れた髪を掻き上げ、肘を突き半身を起こすと見覚えのある光景が目に飛び込んできた。そこはだった。


(・・・・・ど、どういう事!?)


 エアコンからは冷たい風が吹き出し、食器棚の上では茶色く枯れたポトス(観葉植物)が揺れていた。薄緑のギンガムチェックのカーテンから差し込む日差しが嫌になるくらいに眩しい。


(・・・・まさか!?)


 慌てふためきカーテンを開けた小鳥が見た風景は信じ難いものだった。隣の公園では緑の樹々が葉を揺らし、耳を劈(つんざ)くアブラゼミの鳴き声が頭上から降り注いだ。仰げば突き抜ける青空に白い入道雲が大きく腕を広げている。


(・・・・夏!夏だ!)


 小鳥はローテーブルに置いてあった携帯電話を持ち、暗証番号を打ち込んだ。1、0、2、4、10月24日、拓真の誕生日だ。


(う、嘘!)


 携帯電話の待受画面が変わっていた。それは、ドラキュラ伯爵に扮した拓真の頬に口付ける小鳥の画像ではなく、happy halloweenの看板をバックにピースサインをすると小鳥の画像だった。


(きょ、今日は何日!)


 その日付を確認した小鳥は愕然となった。


「2024年・・・・・・・・・・8月24日」


 恐る恐る振り返るとパイプハンガーには漆黒の喪服が掛けられている。


(た、拓真!拓真の画像!)


 小鳥はカメラロールを開くと下へ、下へと画面をスクロールさせた。2024年1月、2023年12月、11月、10月、9月、何処まで遡(さかのぼ)っても拓真の画像が出て来ない。そこに写っているのはばかりだ。


(嘘、嘘!拓真が消えてる!)


 小鳥は、ふたたび携帯電話のカメラロールを上へ、上へとスクロールした。


(7月、7月、2024年の7月・・・!)


 茫然と立ち竦(すく)む小鳥の目頭が熱くなった。


(・・・・・・画像が、ない)


 力無く床に座り込むと、やがて涙が頬を伝い、半袖のルームウェアとハーフパンツの太腿(ふともも)に落ちた。の画像は、やはり結婚式場の下見に行った6月15日以降、1枚も撮られていない。交通事故に遭ったのだ。


(・・・・・・・そうだ!拓真は!?)


 小鳥は、ルームウェアから青い小花のワンピースに着替え、車の鍵を握った。手の震えが止まらない。玄関の鍵がなかなか施錠出来ずに苛ついた。エレベーターホールでは1階から上がって来る箱を遅く感じ、地団駄を踏んだ。


(拓真は!拓真はどうなったの!?)


 慌てる足が駐車場の車止めで躓(つまず)いた。ペールブルーの軽自動車のボンネットは夏の日差しで既に熱くなっている。運転席側のドアを開けた途端、車内に籠(こも)った熱気に包まれ、顔を背けた。車に乗り込みシートに身を預けると、熱した板に触れた様な熱さに飛び上がった。合皮の座面に粘りつく膝裏(ひざうら)の汗が気持ち悪い。


は、どうなったの!)


 暑さでやや萎(しお)れかけたアメリカ楓(かえで)の並木道を、時速70kmで駆け抜けた。警察車両がいれば速度違反で捕まってしまう速さだ。けれどそんな事はどうでも良かった。一分一秒も早く拓真のアパートに着きたかった。


(・・・・・コンビニ)


 赤信号の交差点で停車すると、反対車線に建つコンビニエンスストアには幟旗(のぼりばた)が何本も立ち、風にはためいていた。その駐車場は満車状態だった。


(・・・・嘘でしょ?ついこの前の事だよ?)


 2023年9月1日、この店のオープニングセレモニーで、と福引き抽選を楽しんだ。


(特賞の”温泉旅行一泊二日ペア旅行”、あれも夢なの!?)


 次のコンビニエンスストアで左折、カーブミラーで一時停止で右折をする。小鳥は通いなれた経路を進み、拓真が住むアパートの路肩でエンジンを止めた。相変わらず、わん太郎は激しく吠えている。


(どうか、どうか神様!嘘だと言って!)


 小鳥はアパートの郵便受けを覗き込んだ。


(・・・・・・・・嘘!?)


 足がコンクリートのエントランスに減り込み、一歩も動けなくなった。新聞紙を取りに来た入居者に怪訝そうな顔をされたが涙が止まらない。


(嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘!)


 アパートの205号室の郵便ポストに名前はなく、受け口にはガムテープが貼られていた。このアパートに高梨拓真は住んでいない。小鳥は慌てて、通り過ぎたコンビニエンスストアに向かった。動悸が激しく口の中が渇いた。


ピンポーンピンポーン


「いらっしゃいませ」


 レジスターには見知った顔があった。名前は判らないが”店長”のネームプレートを胸に付けていた。福引き抽選会で鐘を鳴らしていた男性だった。


「すっ、すみません!」

「いらっしゃいませ」

「あの、このお店は去年の9月にオープンしましたか!?」


 店長は「そうですが、なにか?」と不思議そうな顔をした。小鳥は、コンビニエンスストアオープニングセレモニーの福引抽選会の特賞の景品が、”温泉旅行一泊二日ペアで招待”だったかと店長に詰め寄った。店長は、隣の女性店員と二言、三言、言葉を交わし、「そうです」と答えた。


「私!私を覚えていませんか!?その特賞を当てたんです!」

「申し訳ありません、その辺りはちょっと記憶にないですね。確かに女性のお客様だったような気はしますが」

「そうですか・・・・」

「もう宜しいでしょうか?」

「はい・・・・・・・」


 店長は品出し作業に戻り、小鳥は肩を落として軽自動車のハンドルを握った。涙が溢れ、フロントガラスの景色が滲んで前が見えない。エンジンをスタートさせる事が出来なかった。


(・・・・・拓真がいない、がいない!)


 抱えていたハンドルから顔を挙げると時計には6:50と表示されていた。の四十九日の法要は9:00から執り行われる。


(・・・もう、行かなくちゃ)


 全身から力が抜けた小鳥は虚(うつろ)な目でアクセルを踏み、交通事故現場の交差点に向かった。ガードレールには、真新しい向日葵(ひまわり)の花が供えられていた。交差点からやや離れた歩道に軽自動車を駐車し、ハザードランプを点けた。


(・・・拓真)


 黒いギンガムチェックのサンダルが手向(たむ)けられた向日葵に向かってトボトボと歩いた。出勤する会社員たちは涙に濡れたその姿に驚き、二度見したが足早に立ち去った。小鳥はガードレールに向かいゆっくりと腰を下ろし、手を合わせて目を瞑(つむ)った。


はここで死んだのよね)


 そして小鳥は、タイムリープでもう1人の拓真と巡り会った。それは夢というにはあまりにも現実的で、リアルな数ヶ月だった。


(神様。教えて、はどこに行ったの?)


 その答えはどこにもなく、小鳥に、蝉時雨(せみしぐれ)が降り注ぐだけだった。


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