2024年6月15日以降、小鳥の携帯電話に
「拓真、大丈夫?」
大きく息を吸って深く吐いた拓真は、携帯電話を小鳥の手に返した。ローテーブルに肘を突き、頭を抱え込む。その背中からは困惑が見て取れた。
「小鳥ちゃん」
「うん」
「もう1度聞いていい?」
「うん」
「小鳥ちゃんが忘れられない人は、交通事故で自動車に轢(ひ)かれたんだよね?」
「うん」
「即死なんだよね?」
拓真は顔を挙げた。
「・・・・・・・それが僕なんだね」
小鳥は口元を歪めて「そうだ」とゆっくりと頷いた。拓真の表情は絶望に変わった。
「僕は生きているんだよ?」
「・・・・」
「小鳥ちゃんの見間違いじゃないの?」
「目の前で、だから見間違いじゃない」
「夢じゃないの?」
「ストレッチャーに乗せられて、腕が・・・」
「信じられないよ」
「お葬式もしたよ、火葬場にも行って、お骨揚げもしたよ」
「じゃあ、僕はなんなの!」
「2023年の拓真だよ」
拓真は自分の死が受け入れられず混乱状況に陥っていた。小鳥も2024年から2023年にタイムリープした当初は驚いたが、時間を飛び越えただけで害はなかった。いつかは2024年7月7日が来ると分かっていても「事故を回避させる!」という強い思いがあった。
「僕は死ぬの?」
けれど拓真は、2024年7月7日に交通事故に遭うという未来を突き付けられた。恐怖を感じるのは当然の事だ。小鳥はその身体を強く抱き締めた。
「私が拓真を止めるから」
「止める?」
「止めるから」
拓真は小鳥の顔を覗き込んだ。
「僕はどうして車に撥(は)ねられたの?」
「それは」
「どこで?なにがあったの?」
小鳥の脳裏には白い陽炎(かげろう)が揺らめいた。
ピッポーピッポー ピッポーピッポー
機械の小鳥の囀(さえず)りが鳴き止み、歩行者信号が青の点滅に変わった。笑顔で振り向く拓真は白い横断歩道に飛び出したが、それは赤信号だった。
「どうやって?」
「車道に飛び出したの」
「車道に?」
「横断歩道の信号が青色の点滅で、その時、私の手を離して飛び出したの」
「僕は、信号無視で飛び出したのか」
「ちょうどそこに、赤信号を見落としたワンボックスカーが走って来て、拓真は撥(は)ねられたの」
拓真は自嘲気味に薄っすらと笑った。
「僕はなんでそんなに急いでいたの?」
「ジュエリーショップから婚約指輪が出来上がったから取りに来て下さいって連絡があって、待ち合わせをしていたの」
「待ち合わせ」
「でも約束の時間に遅れたから早く行こうって走り出したの」
「僕は小鳥ちゃんとの約束に遅刻したんだ」
「拓真はいつも遅刻するけどね」
「そうなんだ、駄目駄目だね」
「駄目駄目だよ」
何度も後悔するあの瞬間、手を離さなければ、歩道に引き戻していれば、小鳥は拓真の背中を強く抱き締めた。
「婚約指輪は逃げて行かないよって言ったら、『逃げていくよ』って笑って振り向いたの」
「赤信号で飛び出すなんて、
小鳥は拓真の肩を前後に揺さぶると、力無く笑う目を凝視した。
「7月7日に、事故が起きなければ良いんだよ!」
「そんな事が出来るの?」
「私が、横断歩道の手前で拓真を止めるから」
「止める」
「拓真も覚えておいて?絶対に飛び出さないで」
「飛び出さない」
「それだけは約束して」
「飛び出さないよ」
そこで拓真が首を傾げた。
「でも小鳥ちゃん、ジュエリーショプに違う日に行けば良いんじゃないかな?」
「私もそれは考えたよ」
「うん」
「私が1人でジュエリーショップに行こうかとも考えた」
「その方法もあるね」
抱き締めた温もりが伝わって来る。生きている、拓真は生きている。もう手は離さない。
「でも、怖いの」
「怖いってなにが怖いの?」
「そんな事をしたら、未来が変わるような気がするの」
「未来が変わるのは困るね」
「だから、このまま拓真と2024年の7月7日を迎えて、拓真が車道に飛び出すのを止めようと思っていたの」
「そうなんだ」
「結局、拓真にはバレちゃったけどね」
拓真は申し訳なさそうな表情で頭を下げ、小鳥の背中に回した腕に力を込めた。
「小鳥ちゃんが、そんなに僕の事を心配しているなんて思わなかった」
「だって未来の旦那様の事だもん、当たり前の事だよ」
「僕が小鳥ちゃんの」
「うん、そうだよ」
「小鳥ちゃんが僕のお嫁さんなんだ」
「そうだよ?今更、なに言ってるの?」
「なんだか実感が湧かないなぁって!アッ!」
拓真は顔を挙げた。
「僕と小鳥ちゃんはいつ結婚する事になっているの?」
「2025年の7月7日だよ」
「そうなんだ、それももう、決まっているんだ」
「うん」
耳元で大きな溜め息が漏れた。
「拓真、どうしたの?」
「僕はこれからどうしたら良いの?」
「どうしたらって、交通事故に気を付ければ良いんだよ」
「違うよ」
「なに?」
「これじゃ、サプライズはもう無いんだよ?」
「サプライズってなに?なにを驚かせるの?」
残念そうな面持ちの拓真はもう一度大きな溜め息を吐いた。
「だって僕は、小鳥ちゃんの誕生日にプロポーズするんでしょう!?」
「うん、そうだけど。それがどうしたの?」
「ほら!小鳥ちゃん、もう知ってるじゃない!」
「うん、そうだね?」
「きゃー!とか、わー!とか、感動が薄れるっていうか、もうゼロだよ!」
「どういう意味?」
「僕がプロポーズしても、小鳥ちゃんには
「ああ、それはそうかもしれない」
「やっぱり!やっぱり!」
拓真は小鳥の首筋に顔を埋めるとまた、大きな溜め息を吐いた。
「それじゃ意味がないよ」
小鳥は困惑した。確かに、確かにこれでは新鮮味はない。
「なにもかも分かっているなんて、間抜けすぎるでしょう!」
「そっ、そんな事ないよ!?」
「それに!
「拓真は拓真だよ、全然、違うから!?」
「どこが違うの!?」
「拓真は、怒るとスプーン投げちゃうし!そんな情熱的な部分もあるし!?」
「スプーン投げるなんて!そんなの褒め言葉でもなんでもないよ!」
「そう、だよね」
結婚という人生の重大な節目がフライングスタートとなってしまった拓真は、すっかり気落ちしてしまった。
「でも、良かった」
「なにが?」
「小鳥ちゃんが全部、話してくれた事だよ」
小鳥の苦悩を共有出来た拓真の表情は、穏やかなものへと変化した。