「それじゃ、2024年の僕は・・・・」
拓真はゆっくりと身体を起こし、小鳥に「携帯電話を貸して欲しい」と手を差し出した。その顔色は青白く、唇をきつく結んでいる。小鳥は躊躇(ためら)いながらもそれを手渡した。拓真は、普段使い慣れている筈の携帯電話をずっしりと重く感じた。
「未来の僕の画像を見せて欲しいんだ」
「・・・・・・・・・うん」
拓真は、震える指先で画面をスライドした。
2023年12月24日
クリスマスイブは拓真の部屋で過ごしていた。リビングテーブルの上には、木の切り株みたいな茶色いケーキと2枚の皿、大皿にはフライドチキンが山盛りになっていた。拓真はシャンパングラスを手に頬を赤らめている。
「この茶色いケーキ、なんて名前だっけ?」
「ブッシュ・ド・ノエル」
「あぁ、そうそう、そんな名前だった」
小鳥は一呼吸置いて、呟いた。
「この夜」
「この夜、なに?」
「この夜に・・・・」
「この夜になにかあったの?」
「ううん!なんでもない!」
小鳥と拓真はこの夜、初めて深く結ばれた。あの夜の、柔らかな肌の温もりと悦(よろこ)びを記憶の中で手繰(たぐ)り寄せた小鳥の胸は、
2023年12月31日
除夜の鐘を突く為に並ぶ人混みを背景に、晴れ着姿の小鳥と鼻の頭を赤くした拓真が笑っていた。
2024年1月1日
小吉の御神籤(おみくじ)を小鳥に見せ、眉を顰(ひそ)める拓真。次に、御神籤(おみくじ)を荒縄に結んでいる拓真は、濃紺のショートコートにタータンチェックのマフラーを巻いていた。
「このマフラー、私がクリスマスにプレゼントしたの」
「そうなんだ」
「うん、似合ってたよ」
「御神籤(おみくじ)は小吉だったけど、失せ物が出るって書いてあって喜んでた」
「僕はなにか、無くしていたの?」
「うん。お気に入りの持ち手が木の紺色の傘」
拓真が振り向くと、玄関先の傘立てにはそれと同じデザインの傘が傾いていた。
「あの傘、よく見つかったね」
「会社の人が勝手に使っていたんだって。あの時の拓真、凄く怒ってた」
「会社の、もしかして佐々木かな」
「あぁ、そうそう!佐々木さん!佐々木さんだよ。佐々木さん、お詫びにってバウムクーヘンを持って来てくれたよ」
「佐々木かよ!」
2024年1月25日
この日は拓真の実家で、べべとのスリーショットを撮っていた。べべの脚元にはパウチのキャットフードが山積みになっている。べべはそれを「早く寄越せ」と小鳥の頬を前脚で踏み潰していた。
「これは、べべの誕生日パーティーかな?」
「べべちゃんを拾った日だって言ってたよ」
「じゃあ、”ニュール”は誕生日のプレゼントだね」
「お店で買い物カゴいっぱいに”ニュール”を買い占めようとしたから驚いちゃった」
「べべはうちのお姫様だから」
「ちょっと、嫉妬しちゃった」
「そうなの?」
「うん、ちょっとだけね」
2024年2月14日
小洒落たレストラン、小鳥は襟ぐりが大きく開いたペールブルーのワンピースを着ている。髪は緩くカールし、青いスワロフスキーのバレッタでハーフアップに纏(まと)めていた。拓真は濃灰のスーツに濃紺のネクタイ、髪はオールバックに撫で付けている。店員に撮影して貰ったのだろう、テーブルの中央には、パチパチと光を弾く花火がデコレーションされたチョコレートケーキが置かれていた。
「これは、未来の僕は、頑張ったんだね」
「真っ赤な薔薇の花束をくれたの」
「うわ、気障(きざ)だな、やだなぁ、恥ずかしいよ」
「すごく嬉しかった」
「それで僕はプロポーズしたの?」
「指輪はまだあげられないけど、いつか結婚しようって言ってくれた」
「恥ずかしい」
「なんで?嬉しかったよ」
その時のプレゼントはこれなのだと、小鳥はニットの襟ぐりを下げて拓真に見せた。そこにはK 18(じゅうはちきん)のシンプルなネックレスがあった。
「ネックレス」
「うん、アパートで付けてくれたの、それから」
「それから?」
「私の首にキスをして、それから」
「それから」
小鳥と拓真は恥ずかしそうに頬を赤らめ、視線を床に落とした。
2024年3月1日
小鳥と拓真は、小鳥のアパートの隣の公園で遊んでいた。それは動画だった。2人で雪の中に飛び込んで転げ回っている。その動画の最後では、鈍色(にびいろ)の空に春を思わせる青空が顔を覗かせていた。仰ぎ見る空からハラハラと白い雪が舞い落ちて来る。
「綺麗だね」
小鳥の声に続いて拓真の声が「ウェディングドレスのベールみたいだね」と両手を空に向けて伸ばしていた。
「来月ホテルがオープンするから行ってみない?」
「拓真の会社のホテル?」
「そう、40階を借り切って結婚式をしようよ」
「豪華だねぇ」
「人生で1回切りだよ」
「ふふふ」
束の間の青空は、暗く垂れ込めた雪雲に隠れてしまった。
「僕の、僕の声だ」
「そうだよ、2024年の拓真の声だよ」
「僕の・・・声だ」
動画はそこで途切れた。拓真の目からハタハタと涙が溢(こぼ)れ落ち、携帯電話の画面を濡らした。拓真は涙の粒をワイシャツの袖で拭い、
2024年4月1日
辺りは夕闇に包まれていた。仄(ほの)かに灯る行灯(あんどん)の列、それは2人で出掛けた夜桜見物だった。ライトアップされた城址公園の桜並木は幻想的で美しかった。片隅の茶屋には赤い毛氈(もうせん)が敷かれた背の低い木の長椅子が並んでいた。互いに撮り合ったのだろう、小鳥は真っ赤なリンゴ飴を舐め、拓真は花見団子にかぶり付いていた。
「花より団子だねって笑っていたんだよ」
「僕は何本お団子を食べてたの?」
「お団子じゃなくて、次はさつまいものスティックフライを食べてたよ」
「なに、それ」
「さつまいもを薄くスライスして」
「うん」
「油で揚げて」
「うん」
「それに砂糖を塗(まぶ)したスナックだよ」
「激甘だね」
「美味しいって、もう1個買っていたよ」
「信じられない」
画面をスクロールしていた拓真の指は、桜色に烟(けぶ)った1枚の画像の上で止まった。
「あぁ。綺麗だね」
「少し寒かったけど、綺麗だったよ」
「・・・・・うん」
小鳥と拓真は満開の桜を背景に、寄り添い、手を繋(つな)いで微笑んでいた。
2024年5月5日
5月の大型連休には、小鳥がペールブルーの軽自動車のハンドルを握り、新緑が眩しい山間(やまあい)のドライブを楽しんだ。2人は、何匹もの鯉のぼりが川面に姿を映して旗めく町を散策した。
「鯉のぼりが鮎(あゆ)に見えて美味しそうって言ったら、拓真が、鮎(あゆ)が食べられるお店を探してくれたの。」
「そうなんだ」
「茅葺(かやぶ)き屋根の古民家だったよ」
「ふーん」
「お昼ご飯はその店で食べたの」
「鮎(あゆ)を食べたの、僕が!?」
「全然!鮎(あゆ)に竹串が刺さっているのを見ただけで変な顔してた」
「そうだよ!魚は切り身!頭が付いてたら見られているみたいで食べられないよ!」
「だから山菜そばを食べてた」
「あぁ、良かった」
2024年6月15日
小鳥と拓真は40階建てのホテルのバンケットルーム(披露宴会場)の下見に来ていた。左右どちらもガラス張りで、右側のガラス窓からは連なる山並みが見渡せ、左側のガラス窓からは遠くに広がる海と港を見下ろす事が出来た。バンケットルームには初夏の日差しが降り注ぎ、白い円卓のテーブルには、八重咲の白い薔薇で設(しつら)えた装飾花が飾られていた。
「工事中のビルがこんな風に変わるんだ」
「2024年の4月1日がオープンだったからね」
「凄く綺麗だね」
「そうだよ!その時もそう言って撮ってた!」
「そうなの?」
「ブライダルの係の人もいたのに!凄く恥ずかしかった!」
「だって、花嫁さんみたいで綺麗だもの」
白い膝丈のワンピースを着た小鳥が振り向いている。その姿を拓真は連写していた。照れ臭い顔をした小鳥は近付いて来て携帯電話を取り上げたのだろう、天井のシャンデリアが写っていた。
「あ、ペールブルー」
「これが1番好き」
「・・似合ってる」
小鳥は拓真の予想した通り、お色直しのドレスの色は、やや落ち着いたペールブルーの物を選んで試着していた。
「可愛いでしょ?」
「うん、派手じゃなくて良い感じ」
「でしょ?」
「うん」
胸元は大胆に大きく開いているが、身頃に装飾は一切施(ほどこ)されず、腰の大きなリボンもシンプルなデザインだった。それに対し、スカート部分はシフォン生地をふんだんに使い、チュールレースが幾重(いくえ)にも重なり、流れるようなラインを描いていた。
「それでこのドレスを予約したの」
「ウェディングドレスは決まったの?」
「それがね、幾つか候補が有ったんだけどなかなか決まらなくて」
ウェディングドレスと表記された画像フォルダには、純白の可愛らしい、鈴蘭の花の様なパフスリーブのドレスや、シンプルで細身のシャンパンゴールドのドレスなど、数枚の画像が収められていた。
「ねぇ、拓真」
「なに?」
「どれが良いと思う?」
ウェディングドレスの画像に釘付けになっていた小鳥は笑みを浮かべ、思わずその言葉を口にしていた。拓真は
「あ」
「・・・」
「ごめん、拓真」
そして、2024年6月15日のこの日を境に、
「それで、
「・・・うん」