ゴツゴツとした樹皮、高く枝を伸ばした金色の銀杏の葉が青空に揺れる日曜日、小鳥と拓真は神社の境内を歩いていた。
「あ、可愛い」
「七五三のお参りだね」
赤い花尾の小さな下駄が、鈴の音を鳴らしながら境内を所狭しと走り回っている。スーツ姿の父親が、「ほら!写真を撮るから!戻っておいで!」と可愛らしい背中を追っているが、これがなかなか掴まらない。思わず笑みが溢れた。ふと、小鳥が拓真を見上げて呟いた。
「私、小さい頃から薄い水色が好きだったの」
「うん、それで?」
「私の七五三の時ね、着物をレンタルしたの」
「うん」
「女の子の着物は赤が多いでしょう?」
「うん」
「赤は嫌だって泣いて、他の店から取り寄せて貰ったんだって」
「うわぁ、面倒臭いね」
「酷い!だって一生に一度なんだよ!」
小鳥は意地でも赤や橙(だいだい)の被布を嫌がり、困り果てた両親はパンフレットを広げて小鳥に着物を選ばせた。それはやはり寒色系で、藤色から露草(つゆくさ)色の濃淡で染められ、繊細な藤の花が描かれていたという。
「一生に一度かぁ、それは一大事だよね」
拓真はひとりで呟き、頷いた。
「なに?どうしたの?」
「小鳥ちゃんはドレスもペールブルーを選ぶんだろうね」
「ド、ドレス?ドレスってなんのドレス?」
「あ、なんとなくそう思っただけだから、気にしないで」
「なんとなく」
「うん、なんとなく」
拓真は顔を背(そむ)けたがその耳は赤く色付いていた。そんな拓真を見た小鳥も心臓が跳ね、動悸が止まらなかった。
(やっぱり
小鳥は物思いに耽(ふけ)った。軽く咳払いをした拓真が向き直ると、そこにはまるで1人だけ違う場所にいるような小鳥の横顔があった。その姿に拓真の胸は騒(ざわ)ついた。
(・・・・・まただ、また”あの顔”をしている)
手を伸ばせば届く距離の小鳥を遠く感じた。
「ねぇ、神社でお参りして行かない!?」
「そうだね、ここまで来たら神様にご挨拶しないとね!」
「ここはねぇ、金運と縁結びの神様なんだって!」
小鳥は社務所に掲げられた木の板と、並べられた御守りを見て得意げに話した。
「金運、金運がアップするの?宝くじとか?」
「宝くじ買ったの?」
「買ってない」
「じゃあ意味ないじゃん」
「そうだね」
「ほら!拓真、営業部だし!保険の契約がバンバン取れちゃうかもよ!」
「そうだと嬉しいね、それで・・・・縁結び」
小鳥と拓真は顔を見合わせた。
「縁結び」
「うん、縁結び」
「も、もう僕たちは結んでいるしね!」
「あ、ははは。そ、そうだね」
互いの目が泳ぐ。2人の関係は、まだ口付けの段階で踏み止まっていた。
「じゃっ!お参りするよ!」
「どうしたら良いの?僕、よく分からないんだけど」
そこで小鳥は、神社の参拝は鳥居を潜(くぐ)る前から事細かに決まっているのだと、その腕を引っ張り、鳥居の階段の下まで連れて行った。
「え〜、また上るの?」
「そうなの!上るの!」
拓真が階段の中央から階段を上ろうとすると、「駄目!そこは神様の通る道だから!端っこを歩くんだよ!」と声を大にした。なかなかに信心深い。
「うわっ、冷たいね!」
「もうすぐ12月だからね」
「ハンカチ持ってる?」
「持ってない」
2人は手水舎(ちょうずしゃ)で手を清めると神殿へと進んだ。拓真が財布から10円玉を取り出すと、「10円は遠縁になるから駄目なの!」と言い出した。
「誰が言っていたの?またお祖母(ばあ)ちゃん?」
「そう!お祖母(ばあ)ちゃんは正義!」
「小鳥ちゃんは本当にお祖母(ばあ)ちゃんっ子だね」
小鳥の左の手首では祖母の形見のフィリップの腕時計が、ピンクゴールドの光を弾いている。
「じゃあ、五円玉?」
「それもなんだか失礼じゃない?」
「五百円玉にしようか」
小鳥が財布を開くと残念ながら五百円玉はなかった。
「2人で千円札にしておこうか」
「2人分だって神様、分かるかなぁ」
「分かるよ」
「本当に?」
「知らないけど」
賽銭箱に乾いた音がし、小鳥と拓真は”二拝二拍手一拝”で神様に挨拶をした。深々と頭を下げた2人だったが、拓真が顔を挙げても小鳥は拝み続けていた。
(なにをお願いしているんだろう?)
ようやく顔を上げた小鳥の顔は、頭に血が上って赤らんでいた。
「小鳥ちゃん、貧血にならない?」
「そ、そう言えば」
小鳥の足元はふらついていた。
「なにをそんなにお願いしたの?」
「内緒だよ」
「内緒なの?」
「他人に言ったら願い事が叶わない様な気がする」
「・・・他人」
「うん?」
「・・それで、お参りのお作法はこれで良いの?」
「あっ!もう1度お礼、しなきゃ!」
小鳥は、拓真が2024年の7月7日を乗り越え、無事でありますようにと強く願っていた。けれど拓真は、小鳥の心の中を知らない。
「それじゃ、行こうか」
「うん!」
小鳥の右手には洋菓子の手提げ袋がぶら下がっていた。中には美しい包装紙に包まれたクッキーの缶が入っている。今日は拓真の実家に挨拶に行く。正確には黒い仔猫のべべちゃんに会いに行く。
「うわぁ、緊張するな」
「大丈夫だよ、父さんも母さんも小鳥ちゃんを食べたりはしないよ」
「うん。それはそうだね、食べられたりはしないよね」
「でもなぁ」
拓真は腕組みをした。
「でも、べべはどうかな?」
「べべちゃんがどうかしたの?」
「べべは人見知りなんだ。初めて会う人には怖がって隠れちゃうんだよ」
「そうなの?」
「うん、会えなかったらごめんね」
べべの被毛は艶のある漆黒、短毛種の仔猫だ。アーモンドナッツの大きな目は海に似た青色で、手脚や尻尾は細長く、元々は野良猫だが、”血統書付きのシャム猫”の様だと近所でも有名なアイドル的存在だ。然し乍ら、その姿を見た者は少ない。極度の人見知りだった。
「僕の家はここだよ」
「わぁ、可愛い」
「母さんの趣味なんだ」
白い壁、茶色い屋根、レンガに囲まれた拓真の自宅は、神社から程近い、閑静な住宅街に建っていた。以前、拓真が「自宅で花火をした事がない」と言っていたが、然(さ)もあらん。隣家とは垣根を挟んだ程度で、くしゃみをすれば聞こえる距離。到底、花火を愉しむスペースはない。
「やっぱり緊張する」
「大丈夫だよ、2人とも小鳥ちゃんに会うのを楽しみにしているから」
「そうだけどぉ、緊張する!」
そう言って小鳥は戸惑う演技をし、恥じらう振りをした。小鳥はこの家に何度も遊びに来ている。当然、拓真の両親とも面識があり、母親とは意気投合し一緒に買い物に出掛けたりもした。
「はじめまして、須賀小鳥です」
「小鳥ちゃん、僕の母さん」
「はじめまして。小鳥さんね、可愛いお名前ね」
「ありがとうございます」
そこに拓真の父親の姿はなかった。
「お父さん!拓真が帰って来ましたよ!」
「おお、そうかそうか」
そしてこの後、拓真の父親は肌着のシャツにスウェットパンツという姿で新聞を片手に茶の間から顔を出し、拓真の母親に注意される。小鳥にとっては見知った光景だ。
「お父さん!着替えてって言ったでしょう!」
「す、すまん」
「小鳥さん、ごめんなさいね」
「いえ、大丈夫です」
(人生2度目。お父さん、気にしないで)
そこで拓真が階段の上に向かって声を掛けた。
「べべ!べべおいで!」
「拓真、連れて来たら?」
「そんな事したら、尚更、隠れちゃうよ」
「そうよねぇ」
「あ、たく・・・拓真くん、無理しなくて良いから」
「べべ、おいで!」
すると、タン!と床に降りた音がして、タッタッタッタとリズミカルな軽い足音が近付いて来た。タン!トン!タン!と階段を降りて来る細長い手脚、アーモンドの瞳が小鳥を見上げた。
「えっ!?べべ!?」
それには拓真の両親も拓真も驚いた。
「にゃお〜う」
べべはゴロゴロと喉を鳴らして小鳥の脹脛(ふくらはぎ)に頬を擦り付け、八の字を描き回り始めた。そして、小鳥が玄関の三和土(たたき)にしゃがみ込むと、その小さな頭(こうべ)を小鳥の膝に擦(なす)り付けた。
「べべちゃん」
「にゃお〜う」
(べべちゃん、”
べべは動物の勘で小鳥が
「べべが初めて会う人に懐くなんて珍しいなぁ」
「珍しいわね」
「小鳥ちゃん、猫が好きなの?」
「好きだよ。お祖母(ばあ)ちゃんの家でも猫を飼っていたから」
「そうなんだ、だからかぁ」
小鳥は、2023年のこの世界で自分の存在がようやく認められた様な気がして、胸が熱くなった。
「べべちゃん、
「にゃお〜う」
黒い仔猫は小鳥の膝で丸まり離れようとはしなかった。