目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報
第20話 ムーンフェイズ


 雨上がりの石畳にアメリカ楓(かえで)の色付いた葉が舞い落ちる10月15日日曜日。拓真の誕生日を数日後に控えた2人の姿は、昭和初期に建てられた赤煉瓦(れんが)倉庫のカフェにあった。カフェの内装はコンクリートの打ちっぱなし、全面ガラス張りの窓からは、落葉樹の森を散策出来る小径を見下ろす事が出来た。テーブルと椅子はウォールナットで設(しつら)え、重厚な雰囲気を醸(かも)し出している。


「お待たせしました」


 小鳥はホットココアとモンブランをオーダーした。拓真はお気に入りのカヌレとブラックコーヒーをオーダーし、それはとまるで同じで、2人が同一人物なのではないかと小鳥は見紛(みまご)うた。


「美味しそうだね!」

「拓真はすっかりカヌレ党だね」

「小鳥ちゃんはいつも違うね」

「私はスイーツたちを平等に愛しているの」

「浮気者」

「博愛(はくあい)主義と言って」


 温かな湯気の向こうに拓真の笑顔がある。小鳥は幸せを噛み締めた。拓真が真剣な表情でカヌレをカトラリーで切り分けている間に、小鳥はショルダーバッグから細長い包みを取り出し、膝の上に隠し持った。


「小鳥ちゃん!見て!中からチョコレートが出てきたよ!」

「良かったねぇ、メニューに生チョコフォンデユって書いてあったからね」

「え!?そうだった!?」

「うん、見てなかったんだ」

「なんだか得した気分」

「良かったねぇ、生チョコ」


 なにか言いたそうな小鳥に気付いた拓真は、口角に生チョコを付けたまま身を乗り出した。小鳥は紙ナフキンを持つとそれを拭き取り、軽く咳払いをした。


「なに、なにかあった?」

「さて、問題です。来週の火曜日はなんの日でしょうか?」

「24日?営業部のプレゼンテーション発表日」

「あ、そうなんだ」

「そう、僕も発表するんだ。お陰で毎日残業だよ」


 拓真はブラックコーヒーに口を付けた。ところが、猫舌の拓真には熱かったらしく、水のグラスを持つとグイッと飲み干した。


「大変だねって、違うよ!10月24日だよ!記念すべき日だよ!」

「ああ、僕の誕生日?もう誕生日なんて歳じゃないよ」

「なに寝ぼけた事、言ってるの!28歳よ、爆誕おめでとうの日よ!」

「あ、そうなの?」


 小鳥は、漆黒の包装紙に深紅のリボンをかけた、平たく長細い小箱を差し出した。


「はい!誕生日おめでとう!」

「・・・・え!?え!?ええっ!?僕に?」

「拓真以外の誰にプレゼントするのよ」

「そ、そうだね!開けてもいい!?」

「ご覧ください」


 拓真はテーブルの上のコーヒーカップやカヌレの皿を横に退(の)かすと、おしぼりで手を拭いた。ゆっくりとリボンを解(ほど)き、小箱を裏返す。そして静かにセロテープを剥(は)がし始めた。


(丁寧なところもそっくり)


 白い小箱の蓋を開けた拓真は目を輝かせた。ペンダントライトの明かりに光を弾く銀色、それはシルバーの腕時計だった。ブレスレットの一片(こま)は繊細で威圧感はない。文字盤では秒針が規則正しく時を刻み、月の満ち欠けを表示するムーンフェイズには満月が顔を覗かせていた。


「え、こんな!こんな高そうな時計良いの!?」

「拓真はそれ以上に価値があるよ!」

「着けてみて良い!?」

「どうぞ」


 拓真はゆっくりとした動きで小箱から腕時計を取り出すと、静かに手首に嵌(は)めブレスレットをバックルで留めた。拓真のシャープな面差しには銀色(シルバー)がよく似合う。


「重いよ、すごい存在感」

「私の愛も重いわよ」

「ありがとう、すごく嬉しい」


 の誕生日に贈った時計にムーンフェイズは搭載されていなかった。敢えて違うデザインの物を買い求めた。これから小鳥はこの時計を身に着けた拓真と同じ時、同じ日々を積み重ねる。そして、この時計と一緒に2024年の7月7日を乗り越える。


「小鳥ちゃん、どうしたの?」

「あ、うん。似合うなって思って見てた」

「違うでしょう?」

「え、なに」

を考えてた、でしょう?」

「・・・・・・あ」


 拓真は少し悲しげな表情で微笑んだ。


「ごめん」

「良いんだ、その時が来たら話して」

「ごめんね」

「その代わり、僕といる時は僕だけを見て、僕の事だけを考えて欲しいな」

「うん、約束する」

「じゃ、ゆびきり」

「ゆびきり!?」

「あれ、小鳥ちゃん”ゆびきりげんまん”知らないの?」

「それは!知ってるけど!」


 小鳥は周囲を見渡した。このカフェは美術館に併設され、現在は日本の仏像展が開催されている。平日という事もあってか、利用している客層はご年配の方ばかりだ。しかも小鳥と拓真のテーブルはほぼ中央に位置している。この場所で”ゆびきりげんまん”とは小っ恥ずかしい。


「はい!小指出して!」


 否応なしに拓真の小指が小鳥の目の前に差し出された。小鳥が戸惑っていると、拓真はとんでもない事を言い出した。


「本当はここで約束のキスをして欲しいくらいなんだけれどな」


 真剣な目の拓真はテーブルから身を乗り出し小鳥に詰め寄った。小鳥は両手で口を隠し暫し考えたが、躊躇(ためら)いつつも小指を差し出した。


「はい」


 絡み合う小指が照れ臭かった。


「はい」

「ゆーびきりげーんまん、嘘吐いたらだーめよ、指切った!」

「うう、恥ずかしい」

「なんで?誰も見ていないよ?」

「見てるの!」


 拓真の真後ろには、海外からの観光客と思われるカップルが「GOOD!」と親指を立てサムズアップの仕草で微笑んでいた。そうとは気付かない拓真は満面の笑みを浮かべている。


(あぁ、好きだなぁ)


 拓真の腕時計で笑う満月。は上弦の月(じょうげんのつき)、目の前の拓真は下弦の月(かげんのつき)どちらも同じ月だけれど見せる顔は少しずつ違う。


(拓真が好き)


 への想いを手放す時が来たのかもしれない。2024年7月7日を引き摺(ず)っていた小鳥の時間も動き出した。




コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?