雨上がりの石畳にアメリカ楓(かえで)の色付いた葉が舞い落ちる10月15日日曜日。拓真の誕生日を数日後に控えた2人の姿は、昭和初期に建てられた赤煉瓦(れんが)倉庫のカフェにあった。カフェの内装はコンクリートの打ちっぱなし、全面ガラス張りの窓からは、落葉樹の森を散策出来る小径を見下ろす事が出来た。テーブルと椅子はウォールナットで設(しつら)え、重厚な雰囲気を醸(かも)し出している。
「お待たせしました」
小鳥はホットココアとモンブランをオーダーした。拓真はお気に入りのカヌレとブラックコーヒーをオーダーし、それは
「美味しそうだね!」
「拓真はすっかりカヌレ党だね」
「小鳥ちゃんはいつも違うね」
「私はスイーツたちを平等に愛しているの」
「浮気者」
「博愛(はくあい)主義と言って」
温かな湯気の向こうに拓真の笑顔がある。小鳥は幸せを噛み締めた。拓真が真剣な表情でカヌレをカトラリーで切り分けている間に、小鳥はショルダーバッグから細長い包みを取り出し、膝の上に隠し持った。
「小鳥ちゃん!見て!中からチョコレートが出てきたよ!」
「良かったねぇ、メニューに生チョコフォンデユって書いてあったからね」
「え!?そうだった!?」
「うん、見てなかったんだ」
「なんだか得した気分」
「良かったねぇ、生チョコ」
なにか言いたそうな小鳥に気付いた拓真は、口角に生チョコを付けたまま身を乗り出した。小鳥は紙ナフキンを持つとそれを拭き取り、軽く咳払いをした。
「なに、なにかあった?」
「さて、問題です。来週の火曜日はなんの日でしょうか?」
「24日?営業部のプレゼンテーション発表日」
「あ、そうなんだ」
「そう、僕も発表するんだ。お陰で毎日残業だよ」
拓真はブラックコーヒーに口を付けた。ところが、猫舌の拓真には熱かったらしく、水のグラスを持つとグイッと飲み干した。
「大変だねって、違うよ!10月24日だよ!記念すべき日だよ!」
「ああ、僕の誕生日?もう誕生日なんて歳じゃないよ」
「なに寝ぼけた事、言ってるの!28歳よ、爆誕おめでとうの日よ!」
「あ、そうなの?」
小鳥は、漆黒の包装紙に深紅のリボンをかけた、平たく長細い小箱を差し出した。
「はい!誕生日おめでとう!」
「・・・・え!?え!?ええっ!?僕に?」
「拓真以外の誰にプレゼントするのよ」
「そ、そうだね!開けてもいい!?」
「ご覧ください」
拓真はテーブルの上のコーヒーカップやカヌレの皿を横に退(の)かすと、おしぼりで手を拭いた。ゆっくりとリボンを解(ほど)き、小箱を裏返す。そして静かにセロテープを剥(は)がし始めた。
(丁寧なところもそっくり)
白い小箱の蓋を開けた拓真は目を輝かせた。ペンダントライトの明かりに光を弾く銀色、それはシルバーの腕時計だった。ブレスレットの一片(こま)は繊細で威圧感はない。文字盤では秒針が規則正しく時を刻み、月の満ち欠けを表示するムーンフェイズには満月が顔を覗かせていた。
「え、こんな!こんな高そうな時計良いの!?」
「拓真はそれ以上に価値があるよ!」
「着けてみて良い!?」
「どうぞ」
拓真はゆっくりとした動きで小箱から腕時計を取り出すと、静かに手首に嵌(は)めブレスレットをバックルで留めた。拓真のシャープな面差しには銀色(シルバー)がよく似合う。
「重いよ、すごい存在感」
「私の愛も重いわよ」
「ありがとう、すごく嬉しい」
「小鳥ちゃん、どうしたの?」
「あ、うん。似合うなって思って見てた」
「違うでしょう?」
「え、なに」
「
「・・・・・・あ」
拓真は少し悲しげな表情で微笑んだ。
「ごめん」
「良いんだ、その時が来たら話して」
「ごめんね」
「その代わり、僕といる時は僕だけを見て、僕の事だけを考えて欲しいな」
「うん、約束する」
「じゃ、ゆびきり」
「ゆびきり!?」
「あれ、小鳥ちゃん”ゆびきりげんまん”知らないの?」
「それは!知ってるけど!」
小鳥は周囲を見渡した。このカフェは美術館に併設され、現在は日本の仏像展が開催されている。平日という事もあってか、利用している客層はご年配の方ばかりだ。しかも小鳥と拓真のテーブルはほぼ中央に位置している。この場所で”ゆびきりげんまん”とは小っ恥ずかしい。
「はい!小指出して!」
否応なしに拓真の小指が小鳥の目の前に差し出された。小鳥が戸惑っていると、拓真はとんでもない事を言い出した。
「本当はここで約束のキスをして欲しいくらいなんだけれどな」
真剣な目の拓真はテーブルから身を乗り出し小鳥に詰め寄った。小鳥は両手で口を隠し暫し考えたが、躊躇(ためら)いつつも小指を差し出した。
「はい」
絡み合う小指が照れ臭かった。
「はい」
「ゆーびきりげーんまん、嘘吐いたらだーめよ、指切った!」
「うう、恥ずかしい」
「なんで?誰も見ていないよ?」
「見てるの!」
拓真の真後ろには、海外からの観光客と思われるカップルが「GOOD!」と親指を立てサムズアップの仕草で微笑んでいた。そうとは気付かない拓真は満面の笑みを浮かべている。
(あぁ、好きだなぁ)
拓真の腕時計で笑う満月。
(拓真が好き)