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第17話 うまうま温泉旅行

 座敷テーブルには目にも嬉しい膳が並んでいた。小鉢には海蘊(もずく)ときゅうりの酢の物、金時草(きんじそう)のお浸し、貝柱の胡麻和え。ガラスの器には鯛や平目、鰤(ぶり)の刺身。天ぷらは海老にイカ、舞茸に筍(たけのこ)そして帆立貝(ほたてがい)、その揚げたての食感にビールが進んだ。


「拓真は日本酒は飲まないの?」

「僕はビールだけだね」

「そっかぁ、これから牛ステーキだけど、赤ワイン頼んじゃう?」

「そんなに飲んだら酔っちゃうよ」

「酔っちゃうか」


 小鳥は知っている。拓真はビールは強いがワインには弱い、しかも酔うとすぐに寝てしまう。そこに他意はないのだが、拓真は断固としてビール以外に口を付けなかった。


(寝ない気だな、まぁ、別に寝なくても問題ないんだけど)


 ここまで来たらもう流れに任せるしかなかった。


「ねぇ、小鳥ちゃん」

「ん?」


 小鳥が筍(たけのこ)の天ぷらをポリポリと齧(かじ)っていると、拓真が真剣な面立ちで箸を膳に置いた。


「な、なに。どうしたの」


 小鳥も慌てて箸を置いた。拓真はビールを一口飲むと小鳥を凝視した。ジワリと緊張感が広がった。


「小鳥ちゃん、良いかな?」

「良いって、なにが良いかな、なの?」


 小鳥もつられてビールを一口飲んだ。思わず胃の中からガスが出そうになったが、そこはグッと堪(こら)えた。


「小鳥ちゃんは今まで何人の男の人と付き合った事があるの?」

「ええ・・・、なにそれ。いきなり」

「何人と付き合った事があるの?」

「それは」


 小鳥は女子高等学校から大学に進学した為か、男性とは縁遠く、誰も彼もが良い友達関係止まりだった。が初めての恋人だ。


(え、ちょっと待って?)


 以前の恋人()と目の前に居る拓真は同じ入れ物(からだ)でも、中身(こころ)は違う。そうなると小鳥の付き合った相手は2人になる。


(・・・・え!?でも、これって2人、2人になるの!?」


「じゃ、じゃあ。拓真が教えてくれたら私も教える」

「そんな」

「交換条件、成立しなきゃ答えないよ〜だ」


 拓真は渋々、仕方がないなぁといった風に指を3本立てて見せた。


「なに、3人?」

「うん」

「私が3人目?」

「ううん、4人目」


 「謎だ」と小鳥は思った。どうして世の男性はより多くの女性と付き合っていた事にしたいのだろう。


(あ〜!拓真、嘘ついた〜!)


 は高等学校の同級生と3年間、大学の先輩と1年間付き合っていた。そこに3人目の姿はない。然し乍ら、「嘘でしょ!」と言える筈もなく、小鳥は「ふ〜ん、そうなんだ4人目なんだ」と少し拗(す)ねた顔をして見せた。


「じゃあ、小鳥ちゃんの番ね。小鳥ちゃんは何人の人と付き合ったの?」


 鍋の着火剤が燃え尽き、煮立っていたワカメと湯豆腐が静かになった。


「急になんでそんな事聞くの?」

「なんでって、何て言ったらいいのかなぁ」

「なに?」

「時々、小鳥ちゃんが僕を誰かと間違えているような気がするんだ」


 息がすうっと止まった気がした。


「や、やだなぁ。そんな事ないよ。ない、ない!気のせいだよ」

「じゃあ何人?」

「う〜んと、100人!」

「そんな訳ないじゃない!嘘付き!」


 小鳥は思った。


拓真に、の事を話した方が良いのではないか?


拓真が2024年7月7日に事故に遭うという事を伝えた方が良いのではないか?


 そうすれば、あの日を2人で乗り越えていけるのではないか?小鳥はそう思った。


「じゃあ、何人?本当の事を教えてよ」


 小鳥は指を2本立てて見せた。


「そっか、僕が2人目なんだ」

「がっかりした?」

「そんな事ないよ、小鳥ちゃんも27歳なんだし、恋人が100人いてもおかしくないよね!」

「100人もいないよ!」

「小鳥ちゃんが言ったんだよ〜」

「そうだけどさ」


 そこでメインディッシュの前沢牛のヒレステーキが配膳された。熱された南部鉄器の皿の中で脂身がパチパチと音を立て、芳しい赤身の香りが部屋中に漂った。付け合わせは人参のグラッセとポテトフライ、緑色のクレソンが目に鮮やかだった。2人は銀のカトラリーを握ってヒレステーキに切り込みを入れた。透明な肉汁が滲み出て、それが食欲をそそった。


「うわ、柔らか!」

「柔らかいね、小鳥ちゃんの炭火焼きとは違うね!」

「炭火焼き?」

「ほら、キャンプ場のバーベキューで盛大に焦がしていたじゃない?」

「あっ、あれは!見てたの!?」

「見てた」


 小鳥は呆然とした。


「あれを見てたの・・・が〜ん、ショック」

「ずっと見てた」

「だ、だって!拓真がLIME交換出来ないって言ったから、ショックでぼんやりしていたら焦げちゃったの!」

「そりゃあ、会ったばかりの女の子からそんな事言われたら驚くでしょう?」

「それは、それはそうだけど」


 小鳥は思った。このまま、酔った振りをして、「実は、私はあなたの婚約者だったんです!」「だから聞きました!」と告白しても良いのではないだろうか?

 いやいや、いくら酔っていたとしてもそれはあまりにも荒唐無稽(こうとうむけい)だ。


(どうする!?今、今なの!?)


 2人の小鳥がせめぎ合っていた。そこで拓真が言った。


「携帯電話を忘れたのは本当なんだ」

「うん」

「でも小鳥ちゃんに携帯電話番号を教えなきゃいけないような気がして、佐々木ささきに油性ペンを借りたんだ」

「佐々木って、誰だっけ?」

佐々木 隆二ささきりゅうじ、背の高い、小鳥ちゃんのブラウスを向日葵みたいだねって言った男だよ」

「あぁ、背の高い」


 小鳥は拓真の隣にいた上背のあるイケメンを思い出した。


「佐々木さんって言うんだ」

「うん、学生時代からの付き合いでね、同じ会社、同じ営業部ってなんだか縁があるんだよね」

「そうなんだ」

「そうなんだよ」


 そこで、ホカホカのお櫃(ひつ)に栗の混ぜご飯となめこのお味噌汁が運ばれて来た。デザートの季節の果物は冷蔵庫に入れられ、食事が済んだら内線で声を掛けて欲しいと仲居は襖(ふすま)を締めた。


「うわぁ、もうお腹いっぱいだね!」

「でも、見てみて、すごい立派な栗だよ」

「うぬぬ、これは真空パックではなく厨房で剥(む)いた栗と見た!」

「なら、残さず食べようね」

「うん!」


 2人は浴衣の帯を緩め、栗の混ぜご飯を茶碗に山盛りにした。



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