座敷テーブルで向かい合って座る小鳥と拓真は無言だった。その間も客間に硫黄(いおう)の臭いが漂い、チョロチョロと檜木(ひのき)風呂から源泉掛け流しの温泉の水音が聞こえて来る。言葉を発したのは小鳥だった。
「拓真、お先にどうぞ」
「さっ、先にってなにが先なの?」
「なにがって、露天風呂に決まっているじゃない」
「そ、そうだよね」
「うん、そうだよ、露天風呂だよ?」
「温泉だし」
「温泉だよ?」
そして再び、沈黙が訪れた。
その間も硫黄(いおう)の臭いが漂い、源泉掛け流しの温泉の水音が聞こえて来る。やはり言葉を発したのは小鳥だった。
「じゃあ!じゃあさ!」
「うん」
「じゃあ、私が先に温泉に入って来ても良いかな!?」
「う、うん!良いよ!」
「髪も洗いたいから少し長風呂になるけど良い!?」
「どうぞ、ごゆっくり!温泉だし!」
「温泉だし!じゃっ、そういう事で!」
沈黙に耐えかねた小鳥は、浴衣と着替えを持って脱衣所に駆け込んだ。ワンピースのボタンを外す指先が震えた。慌てて下着を脱ごうとしたが指先が絡まりブラジャーのホックが上手く外せなかった。
(ーーーあっ!そうだ!肉!贅肉!)
鏡へと振り向いた小鳥の顎肉は、食事制限と外食を控えた事が奏して随分と目立たなくなっていた。下腹の厚みもメモ用紙50枚程度くらいにまでに減っている。その点についてはとりあえず安堵した。
(ううむ!)
(そ、それに!そんな事態に陥るとは限らないし!)
然し乍らインターチェンジで目にしたゴム製の
(そ、そうだよね!
小鳥は自分に言い聞かせるように、洗い場の檜木(ひのき)の椅子に腰を掛けると髪を洗った。
(あ。いい匂い、これ好きなタイプだ)
そしてメイクを落とし、恥ずかしさをボディソープの泡で洗い流した。
(あっ!メイク道具忘れた!まぁ、いいか!)
色々と考えながら檜木(ひのき)風呂に足を浸すと、予想の斜め上を行く熱湯で悶絶した。
「なにこれ!超、熱いんですけど!」
小鳥は素裸のままで湯かき棒を使い温泉をかき混ぜている自分が滑稽に思えて来た。
(こんな事なら、拓真に先に入って貰えば良かった!!)
そんな悪態を吐いていた小鳥の背中に、天井から水滴が滴(したた)り落ち、その冷たさに飛び上がった。
「ぎゃっ・・・・・!」
その頃、ひとりで賑やかしい露天風呂の檜木(ひのき)の壁を挟んだ和室では、拓真が動物園の檻の中のクマの様に落ち着きなく動き回っていた。
(どうする、どうする!?)
初めての夜に
(どうする!?)
けれど、小鳥がその気でお洒落な下着を準備していたとすれば、それはそれで恥をかかせてしまうのではないだろうか!?思考回路は絶縁不良でショート寸前だった。
(と、とりあえず)
拓真は財布を取り出すと、ダブルのツインベッドの両方の枕の下にゴム製の
「お待たせしました〜!良いお湯でした!」
「やっぱり温泉だと違う?」
「うん、すごく温まるね!でも最初は滅茶苦茶熱くて火傷しそうになったよ!」
「大丈夫だった?」
「うん!湯加減は丁度良いと思うけど、温(ぬる)すぎたら調節してね!」
そう言って笑う小鳥の湯上がり肌はほんのりと桜色で、ハーフアップに纏(まと)めた襟足は魅惑的だった。拓真は思わず抱き締めたい衝動に駆られたが、そこは我慢で浴衣を握り締めた。
「僕も行ってきます!」
「行ってらっしゃい?拓真、なんでそんなに気合いが入ってるの?」
「露天風呂が楽しみで!じゃあね!」
「・・・・うん?」
拓真は力強く脱衣所の扉を開けると思い切り閉めた。
「戸、壊れるじゃん」
小鳥は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、それを手に渓谷が見下ろせる縁側のカウチソファーでひと休みをした。
(ふぅ〜、色々考えてたら、のぼせちゃった)
川から駆け上がる冷気が肌に心地良かった。半露天風呂からは拓真が浴槽に浸かる水音が聞こえて来た。次いで「ぷはあ〜」と年配の男性が発する様な息遣い、小鳥は思わず失笑してしまった。
「暑いなぁ、汗が止まんないや」
タオルで首筋を拭っても汗が噴き出して来る。クーラーは効いているがもうひと工夫欲しかった。扇風機を探したが見当たらない。広い部屋を見回していると、寝室のチェストに団扇(うちわ)がディスプレイされていた。
(み〜つけた!これよこれ、これが欲しかったのよ!)
それは竹の骨組みに和紙が貼られた丸い団扇(うちわ)で、細い竹製の柄が付いていた。和紙には透かしで青々とした紅葉の葉が配(あしら)われていた。
(・・・・ん?)
団扇(うちわ)で涼んでいた小鳥だったが、そこで違和感を感じた。ピッシリと糊付けされた真っ白いシーツ、マシュマロみたいにこんもりと膨れた掛け布団に、手型の窪みが点々と付いている。じっくりと観察すると、微妙に枕の位置がずれていた。
(・・・・・・)
小鳥が枕を退(の)けて見ると、そこにはインターチェンジで見てしまった
(・・・・こっ、これは!)
はっと隣のベッドを見るとそちらの掛け布団にも手型が付いていた。小鳥はベッドから飛び降りると、もう一個の枕を恐る恐る持ち上げて見た。そこにも
(これは、やはりそういう事なのか!?)
呆然としていると、そこに髪の毛を拭きながら拓真が脱衣所から出て来た。2人は動きを止め、拓真は小鳥と捲(めく)られた枕を交互に見た。
「えーーと、それは」
拓真が何かを口にしそうになり、小鳥はそれを制した。
「や、ちょっと待って!」
「う、うん」
「これは自然な流れに任せない!?」
「う、うん」
「取り敢えず、
「う、うん」
「もうご飯の時間だし!」
「う、うん」
小鳥が携帯電話で確認すると時刻は17:50だった。小鳥と拓真は仲居がお膳を運んで来るまで正座でそれを待った。