薄暗いランプの光が揺れていた。
口の中に広がる微かな鉄の味と、じんわり広がった熱。
「そろそろ吐く気になったか?」
俯いた視界に写る3つの影。少し遠のいて聞こえるカシャッサの声と、足元に写った棒切れの先端。
自分が何をされていて、どういう状況にあるのか思い出すのに時間がかかった。しかし、それも長く頭を捻らねばならない程ではない。
そうか、俺は。
「殴られすぎてボケたんじゃねえッスかねぇ」
「おい。返事くらいしろやデカブツ」
冷たい棒が腹に当たる。おかげで少しばかり目が覚めた。
「ふぁあ……ぁあ? あんだって?」
欠伸を噛み殺しながら頭を上げる。
その様子にカシャッサの取り巻きがウッと言葉を詰まらせたのが見えた。
俺を拷問しようとは、何とも馬鹿馬鹿しい話があったものだ。
「殴るならもっと腰入れてやれよ。マッサージかと思って半分寝てたわ」
「て……てめぇ」
取巻きの1人は、額に汗を浮かべながら鉄の棒を握りこむ。
その姿は滑稽だったが、カシャッサは不安を打ち消すように奇妙な笑みを顔に張り付かせた。
「ヒヒッ。なら、マッサージのウチに終わらせてくれよ。お前は何を知り、何のために動いているのかってなぁ」
「おいおい、なんべん聞かれても答えは1つしかねぇーぜ? 俺が働くのは、あくまでポリシーと金の為だ」
「とぼけてんじゃねぇぞゴラァ!」
ガンと横から頭に衝撃が走る。
だが、俺は僅かに息を吹いてから、ゆっくりとそいつを睨みつけた。
慣れている手つきだが、本物を相手にしたことはないのだろう。鉄の棒を握った手が微かに震えている。
「腰が入ってねぇっつってんだろ。何だ中年? まさか殺す覚悟もねぇで棒きれ振り回してんのか?」
目が合った途端、ソイツは僅かに後ずさる。
カシャッサからすれば側近なのかもしれないが、所詮は寄せ集めのカス共だ。道具を使われた所で俺には痛くもかゆくもない。
「フッハッハ、お前がここまで強情だとはなァ。何に義理立てする必要がある?」
「勘違いすんな。今の俺にゃ、歯抜け野郎の暇面を拝む以外できるこたァねぇーんだよ」
腹の底に何を飼っているのか知らないが、都市外労働者なんて連中は目くそ鼻くそ。どうせ俺が無様に泣きわめく姿でも見て、溜飲を下げたかっただけだろう。
生憎、それに付き合ってやるつもりはなく、笑う小男に唾を吐きかけてやれば、その表情がしっかり硬直した。
「……なら仕方ない。おい続けろ」
「おう!」
小男が下がり、側近2匹が棒切れを手ににじり寄る。
また眠たい時間が始まるのか。そろそろ飽き飽きしてきているのだが、と振り下ろされる道具を前に考えた矢先。
「カシャッサ」
耳慣れた声に全員の動きが止まった。いや、空気が変わったと言ってもいい。
格子の前には、いつの間にか保安官が立っていた。普段通り着崩した格好で、ポケットに手を突っ込んだまま。
「なんだ保安官? 前にも言ったが、こいつを相手にアンタが出る幕はねぇぜ」
「そいつはどうかな」
歯抜け小男のバックに何があるのかは知らないが、少なくとも本来尋問や聴取を行う保安官は、完全に外野なはずだったのだろう。
ベージュの胸ポケットから取り出された紙片を目にするや、化物でも見たかのように細い目を見開いて、わなわなと体を震わせた。
「な、なんだと? コイツのどこにそんな金が」
「管轄外だ。組合の経理にでも聞け」
「ありえんありえん。どんな手品を使えば……」
「知らんと言ってる。とにかく、お前の出番は終わりだ」
一体何が書かれていたのか知らないが、余程の信じられない話だったのだろう。
肩を竦める保安官に対し、カシャッサは大きく上着を払いながら威嚇するように叫んだ。
「ふざけんじゃねぇ! 俺には俺の仕事が!」
「おい」
低い声に場の空気が一気に冷たくなる。チンピラ紛いの取り巻きが後ずさるのは当然、カシャッサでさえその頬に脂汗が滲んでいた。
皺だらけの帽子の奥から、細められた瞳がゆらりと輝く。
「ここをどこだと思ってやがる。テメェ流の尋問に口を挟むつもりはねぇが、俺の聖域でそいつを抜くなら話は別だ。人のシマで勝手やらかす以上、覚悟できてんだろうな」
久しぶりに感じるヒリついた空気。これで繋がれていなければ、俺は口笛の1つでも吹いていたことだろう。
保安官は不真面目で適当な男だ。しかし、荒くれが多い下層で立場を保っていられるというのは、背後に大きな力があるか、あるいは己の腕っぷしで認められる必要がある。こいつはそんな保安官の中でも、完全に後者に位置するタイプだった。
都市外労働者で知らない奴はモグリもいい所。カシャッサが悔し気に睨みを続けつつも、そっとホルスターから手を離すのは仕方のない事だっただろう。
これで抜いていれば、手か足に風穴があいていたのは小男の方だっただろうから。
「上に確認してくる。戻るまで出すな」
「勘違いすんなよドブネズミ。ここの神は組合じゃなく法律で、俺がその代弁者だ。分かったらさっさと失せろ」
「……ヘッ、後悔するぞ」
鼻先に突き立てられた指に、カシャッサはどこか挑発的な表情を作りながら、取り巻きを連れて部屋を出て行った。
それを見送った保安官は、面倒臭そうに肩を落としながら、俺の拘束へ手を伸ばす。
「ヒュージ・ブローデン。お前を嫌疑不十分で釈放する。何か聞きたいことは」
「……キヒッ、随分ぬりぃじゃねぇか。誰が、何の為に?」
「必要な金が払われ、組合方の司法は法律に則りそれを受け入れた。俺にわかるのはそれだけだ。後はこいつに聞け」
解放された手足を軽く揺らしつつ保安官を見れば、胸元から妙に気取った白い紙切れをこちらに差し出していた。
「手紙……?」
エンブレムのない封蝋がなされた封筒を開く。
少なくとも、自分の知り合いにこんな真似をしてくる奴は居ないはず。それこそ、サテンが何か手を回したのではとさえ思ったが。
――獣よ、成すべきを成せ。全ては力至らなかった過去を雪ぐ為。
正直、意味はほとんど分からなかった。
それでも拳に力が籠ったのは、その特徴的な筆跡に見覚えがあったからだ。
「敵の敵は味方ってか? 都合のいいように使いやがって、あのババア」
「誰だか知らんが感謝しとけよ」
「礼だぁ? 冗談キツイぜ。これで貸し借りなしってだけだ」
訝しげな保安官に軽く封筒を振りつつ、俺は部屋を出る。
感謝なんてしない。向こうもそんな利にならないものは必要としていないだろう。
重要なのはただ、俺が何をするべきかのみ。たとえその結果がババアの思惑通りになろうとも、今は動かねばならない。
――俺はもうガキじゃねぇんだ。