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第54話 渡り鳥

 僕の走らせたペン先を、夕日のような色をした瞳のお姉さんは興味深げに覗き込む。


「ブラックブリッジ? 聞いたことない町だね。遠いの?」


「あ、その、町とかじゃないんです」


「旧炭鉱のあるエリアですね。以前、ヒュージ・ブローデン氏による調査で、数十人規模の都市外居住者集落が確認されています」


 ほあ、と変な声が出た。まさかこんなに簡単に、お兄さんの名前を聞けると思わなかったから。

 受付を担当している眼鏡をかけた女の人は、大人っぽい落ち着いた雰囲気があって、僕はきっと物知りなのだろうと考えを改める。

 一方、案内してくれたお姉さんはどうしてか疑わし気な声を出した。


「えぇー? ヒュージ君が調査? 珍しいこともあるもんだなぁ」


 なんという偶然だろうか。どうやらこの人も、お兄さんの事を知っているらしい。

 こんなに沢山の人が居て、炭鉱とは比べ物にならないくらい大きな町なのに、世間は狭いと口癖のように言う炭鉱夫のおじさんたちを思い出してしまった。

 少し考える。運よく会えればなんて思っていたけれど、もしこの2人が知っているのなら、運に任せるのも違うのではないだろうか。


「……お2人はお兄さん――じゃなくて、ヒュージさんの事ご存じなんですか?」


 欠片程の勇気を胸に、喉から声を絞り出す。

 すると年上の女性2人はぱちくりと目を瞬かせ、そのまま顔を見合わせた。

 変な奴だと思われたかもしれない、なんて不安が一気に押し寄せる。

 それもほんの一瞬。受付の女の人は困ったような笑顔を浮かべ、お姉さんはうーんと唇に指を添えていた。


「私は顔見知りと言う程度ですよ。組合員の方ですから」


「アタシさんは友達、かなぁ? 大型なんて古風な物を使ってるの、彼くらいしか居ないし必然かもだけど」


 友達。

 僕の知るお兄さんは、あんまり人を寄せ付けないと言うか、サテンさん以外に誰かと居るようなイメージがなかったけれど、そんなこともないらしい。

 分かってしまえば早かった。


「ど、何処に住んでるかとか、わかりますか? 僕、もう一度ちゃんとお礼が言いたくて」


「お礼って……何かあったの?」


「先のレイルギャングに関する一件ではないでしょうか?」


「あぁ! あの鉄道会社から感謝状貰ってた奴! そっかそっか、君の所だったんだね」


 ポンと手を打つお姉さん。

 レイルギャングに関する一件、なんて曖昧な言葉で分かってもらえるということは、やっぱりお兄さんは凄い人なんだと心が沸き立つ

 だが、明るい笑顔も束の間。お姉さんはさっきと違い、むむむと捻るような声を出した。


「でも困ったなぁ。最近ヒュージ君は見かけてないし……リオ、知ってる?」


「少々お待ちください。ブローデン氏の入出記録は――」


 リオさんというらしい受付の人は、複雑そうな機械のレバーとスイッチをガチャガチャと触る。

 蒸気計算機と書かれたそれがどういう物なのかはよく分からないが、何やら穴の開いたカードを出し入れしては、また何かレバーを弄り、最後には短冊状の薄い紙がゆっくりと伸びてきた。


 ――町の人って凄いんだなぁ。


 機械を触る女の人、というのを見るのが初めてで、僕はまた見とれてしまっていたのだが、その短冊を眺めていたリオさんの表情は静かに暗くなる。


「――収容?」


「えっ……?」


 あんまりいい言葉ではない、はず。

 少なくとも僕の頭にある収容という言葉は、人間に使う時悪い意味になる気がして。


「どういうこと?」


 と、お姉さんが聞けば、リオさんは困ったように眉を寄せた。


「分かりません。ただ、都市外労働者組合監督室に収容されているようなので、何かトラブルを起こされたのかと」


「あー、まぁヒュージ君なら分からなくも――」


「お、お兄さんは悪い人じゃないですよ! 見た目は、ちょっと怖いけど……あ」


 気付いたら声が出ていた。

 お姉さんが悪い訳ではないのに、何が起こっているかも分からないのに。

 助けてもらった人に声を上げてしまった。それが申し訳なくて、僕はすぐに小さくなる。


「はぁ……リヴィ?」


「ごごごゴメンね? 彼のこと悪く言うつもりはないんだけどぉ」


 何故謝られているのか、僕にはよく分からなかった。

 謝らなければいけないのは自分の方なのに、お姉さんは慌てた様子で僕の頭の周りで、手をわたわたさせている。おかげで僕の方もどうしていいか分からずあわあわ言っていれば、リオさんがまた小さくため息をついた。


「ブローデン氏は外見から誤解されがちな方です。しかし、これまで労働者間のトラブルこそあれど、組合法に抵触するようなことはされていません。組合側としての評価も、真面目に活動する貴重なダウザーとなっています」


「い、意外と堅物だもんね彼。うんうん、案外いい奴だよいい奴」


「あ……そう、なんですね。ふふっ」


 さっきはどうしようと思ったのに、お兄さんが認められていると分かると嬉しかった。

 あの人は僕にとってのヒーローで、自分には持てない物を沢山持っている憧れの人だからだと思う。

 自然と零れた笑みに、お姉さんたちもホッとした顔を見せる。何だか申し訳なくて、今度こそちゃんと謝らないとと姿勢を整えた矢先。


「ほぉー、見回りに来てみりゃ運がいいもんだ」


 聞き慣れない男性の声に、僕のごめんなさいはまた喉の奥へ引っ込んでしまった。

 振り返った先、開け放たれた組合のドアにもたれるような形で立っていたのは、くたびれたベージュ色の服を着たおじさんである。どことなく怖い印象を受ける人だが、お姉さんたちは顔見知りらしい。


「保安官さん? 何かありましたか?」


「用があるのはそっちさ。オリヴィア・ニフロー」


「え゛っ、アタシさん? な、何にも悪い事なんてしてないよ? 物資のやり取りもちゃんと帳簿通りだしさ」


 顔を青ざめさせるお姉さん。聞こえた名前をこっそり反芻していたのは内緒だ。

 過去に何か後ろめたいことがあったのかもしれないが、引き攣った笑みを浮かべる彼女に、保安官と呼ばれたおじさんは呆れたように肩を落とした。


「お前なァ……俺が店の裏取りばっかりに回ってる程暇に見えるのかよ。ただ、特徴的なモヒカン野郎から伝言を頼まれてるだけだ」


 モヒカン、と。彼は間違いなくそう言った。

 僕らが揃って顔を見合わせたのは、言うまでもないだろう。



 ■



「老人とは何も話されていない、と」


 ギシリと椅子が鳴る。


「正しく言えば、何を仰られているのか理解できない、という感じです」


 調書にはほとんど同じことしか書かれていないだろう。それもビザの話なんて全くと言っていいほど出てこない。

 おかげで、途中から私は呆れ果てて聞く気も失せていたが、向こうとしてはそうもいかないのだろう。何も喋らない私に微かな苛立ちが見え隠れしている。

 正しくは、今までそうだった、と言うべきか。

 ホンスビーは調書の挟まれたクリップボードを逆さまに向け、大きなため息を吐きながら四角い眼鏡を取って拭き始めた。


「見え透いた嘘は身を滅ぼしますよ。貴女が忘れられた新燃料を調査されていたことは掴んでおります」


「分かりませんね。それとあのお爺さんになんの関係が?」


「回りくどい真似はやめましょうか。コラシーの上層部は、貴女の持つ情報を外へ漏らすことを良しとしていない。その真偽に関わらずです」


 いよいよ出てきた、と心の中で前のめりになる。

 老人の言葉が確信に変わった。こいつの、あるいはコラシーの狙いは最初からこれなのだと。


「難しい事を仰いますね。誓約書でも書けと?」


「安心してください。情報の全てをこちらへ渡してくだされば、身柄の安全は公安局が保障いたします」


「それはつまり、情報を吐けば終身刑で許してやる、って意味かな。そうでもしないと、高層の住民スカイスクラッパーは納得しないでしょ」


「上層部との折衝は私の仕事です。コラシーの中で、普通以上の暮らしは約束しましょう」


 アッサリと被っていた猫を脱ぎ捨てる。真意が出てきた以上、最早必要もないだろう。

 今すぐ死ぬか後で死ぬか。獄死するか飼い殺しにされるか。違いと言えばその程度。ホンスビーの言い分通りならば、どう転んでも私の目指すものには辿り着かない。


 ――恐ろしいお爺さん、だよね。


 自分の手札を思いながら、内心小さくほくそ笑む。

 何も知らないままここへ来たのならともかく、相手の意図が割れてしまえば揺さぶるのは簡単。それがホンスビーなのか、コラシー上層部なのかは最早関係ない。


「ふぅん? じゃあ、あのお爺さんから何かを聞きだす必要もない訳だ」


「やはり……何を話されたのです」


「さっきも言ったよ。何を言われているのか分からないんだ。だから、詳細がほしいなら噛み砕くための時間を頂戴」


 ボールは投げた。選ぶのはそちらだと、椅子の背もたれに体重を預ける。


「可能な限り速やかに、かつ逐次報告をお願いします。仮に何かを引き出せたなら、本当の意味で私は貴女を自由の身にして差し上げることもできる」


 回答は明快だった。それも悩むどころか、ほとんど間を置くことなく飛び出してくる。

 正直少しばかり面食らったのは認めねばなるまい。だが、おかげでフッと肩の力を抜くことができた。


「できる範囲でやってみるよ。私もこんな場所にずっと閉じ込められるのはごめんだからね」


 長い長い取り調べは、最後にあっさりと幕を下ろした。

 今後は聴取と言うよりも、成果の報告会になることだろう。尤も、老人の言を信じるのであればそれも大して続くものではないが。

 事実、事の次第をお爺さんにこそりと話してみれば、彼は押し殺した声ながら感心した様子だった。


「天秤を持ち出したか。中々やるな嬢ちゃん」


「自分の名前を出せって言ったのはそっちだよね」


「お前さんがここまで上手く使えるとは思わなかったもんでな。ヒッヒッヒ」


 闇の中に響く笑い声と、それに重なるゴリゴリと何かを削る音。

 手元を覗き込んでみようとしても、格子の向こうに広がる闇は見通せそうになかった。


「そっちは何をしてるのさ? 薬でも捏ねてるの?」


「そう焦るな。使えるのは一度きりだが、その一度だけで俺達にゃ十分だ」


 言外に問うた脱出方法に、老人は自信を滲ませる。


「……お尋ね者っぽい発想だね」


「お互い様だろう? ヒヒッ」


 見透かされているような言動には、少しばかりお腹の奥で不満が渦巻く。

 とはいえ、自分自身もそうだと思っているため、反論など思いつくはずもなかったのだが。

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