「サテン・キオンで間違いないか?」
「そうだけど」
白い手袋に包まれた手が、クリップボードの紙を数枚めくる。
兵士達は何事かを頷き合うと、最後に指揮官らしき男が軽く頷いてから、厳しい表情をサテンへ向けた。
「貴女には国防公安局より、国家間渡航ビザの偽造及び、それを利用した密入国の疑いがかけられている。同行願おう」
あまりに突拍子の無い言葉に、俺の顎は自然と落ちていく。
一方、いきなり罪状を突き付けられたサテンの方は、あまり驚いた風でもなく、ただただ短く。
「あらま」
と肩を竦めた。
無論、俺としてはあらま、で済ませられる話ではない。何も分からないまま連れて行かれようとする彼女を前に、回らない頭が沸騰するのは言わずもがな。
「ハ、ハァ!? 待て待て待て、ちょっと待てって!」
「動くんじゃない!」
「ちったぁ説明しろっての! てめぇそりゃどういうことだ!?」
兵士に押さえられながら、それでもと体は前に出る。
一方、いつも通り飄々とした雰囲気のサテンは、困ったように指先を口元へ当てた。
「うーん……説明しろって言われても、やってないことを説明するのは無理だしなぁ」
「じゃあ公安の勘違いだってのか? おいアンタ、裏は取れてんのか!?」
「事件調査は我々の役割ではない。それに、潔白であればすぐに解放されることだ。余計な抵抗をするな」
鋭い目をした指揮官らしき男は軍帽を深く被りなおしながら、ただ淡々と事実を告げるのみ。
その姿に、何か古い記憶が脳裏で光ったように思えた。
『おいジジイ、どこ行くつもりだ? こいつをやるってどういうことだよ』
『言葉通りの意味だ。他に何がある』
『分からねぇから聞いてんだろうが! 外の連中は何だ! きっちり説明しやがれ!』
『誰に指図してる。テメェは明日の飯だけ心配してりゃいい』
『待てコラ! 帰って来るんだろうな! オイって!』
忘れていた記憶。いや、思い出したくなかっただけか。
閉じられた小屋の扉の向こうで、ジジイは笑っていた。腹の立つその表情が、どうしてか今のサテンと重なってギッと奥歯が鳴る。
俺ももうガキじゃあない。分かっていることだ。こういう場面で俺みたいな奴が騒いだところで、何も変わらないことくらい。
「ヒュージ君、落ち着いて。私なら大丈夫だから」
「だからってお前――」
なんで笑える。そう出かかった時、先ほどまで自分には欠片も興味がなさそうだった指揮官が、ふいにこちらへ向き直った。
「そうか、貴様がヒュージ・ブローデンか」
感情で加熱した頭から、一気に熱が引いていく。
ああ成程、だからサテンは笑っていられたのだ。自分事になれば何のことはないと、軽く肩を揺らした。
「だったらなんだ?」
「貴様には都市外労働者組合監督室から拘束命令が出されている」
「キヒヒッ、俺が何したってェ?」
「都市外における容疑者ほう助の疑いだ。スチーマンも接収させてもらう。いいな」
理由なんて分からない。分かるはずもない。
だが、さっきまであれほど混乱していたはずの俺は、この短いやり取りの間に恐ろしいほどの凪を心の中に得ていた。
「なぁるほど? そりゃどうしようもねぇか。俺がこいつと一緒に働いてたのは事実だからなァ」
「目標は確保した。これにて臨検を終了する」
兵士に囲まれたまま、俺とサテンは歩き出す。後から入ってきた連中は、荷物やらを一式回収する為だろう。
別に構いはしない。自分だけが何も分からないまま置いてけぼりにされるよりは、ずっといい。
そんな思いでへらへらと歩いていれば、通路の途中でこちらを見上げる瞳と目が合った。
「ヒュージ、サテン……?」
幼い顔立ちに浮かぶ不安そうな表情。
堂々としていればいいものを、余計にガキ臭く見えるタムに、俺はへッと鼻を鳴らす。
「ミス・ムラサキ。まずはお騒がせしたことをお詫びする。A-0014は積載の大型スチーマンを搬出の後、次列車までの留置をお願いいたします」
「わ、わかった。けど、あの2人は、えっと……」
「公安命令及び監督室令により連行させて頂く。加えて、貴女方にも都市に戻られました後、調査協力を仰ぐ可能性があります。サテン・キオンとの関係性は疑われておりますので――」
「無いよ」
指揮官らしき男の声に被せるように、サテンはキッパリと言い放つ。
彼女は不安げなタムに目を向けず、男の視線に向き合っていた。
そうだ、それでいい。
「私は空白地帯へ向かう手段として、タムと契約しただけ。私の活動とアパルサライナーは無関係」
「証拠が必要ならオールドディガーの腹を探しな。俺とサテンの契約も、俺たちとタムとの契約も、きっちりした書類が出てくるぜ」
軽く顎をしゃくってやる。都市外労働者の義務だのなんだのと喧しい規則も、こういう時にはきっちり役に立つものだ。
その意味が分からない程、指揮官様が間抜けなはずもない。彼は近くの部下に視線を向けると短く、確認しろ、と告げた。
「――ではこれにて」
アパルサライナーの面々が静かに見守る中、俺とサテンは兵士の後について歩く。
こんな凱旋になるとは思いもしなかったが、迎えの列車賃が浮いたと思えばある意味得か、なんて。
■
目の前で檻が閉じられる。
光の差し込まない冷たい牢の中で、俺は静かに簡単な寝台へ腰を下ろした。
「ゴメンね?」
対面に座ったサテンが、小さくそんなことを口走る。
「何がァ?」
「こんなことになっちゃってさ」
意味の分からない謝罪だと思った。
装甲列車に乗るのは初めてだが、牢屋に放り込まれた経験は何度もある。
その中でも、このシュヴァリエ・ド・フェールという奴はかなり贅沢な作りだろう。ちゃんとしたトイレもあれば、寝台のシーツも清潔にされているのだから。
「ハッ、テメェと居ると退屈しねぇよ」
頭の後ろに手を回しながら、俺はごろりと横になる。
どうせここから暫くは、車窓も眺められない貨物車並みの旅だ。酒がないのは残念だが、疲れた体を癒すには十分な時間だろう。
そう思った矢先、牢の前で足音が止まった。
「君たちがそうか」
軽く頭を上げる。
「……アンタ誰」
ランプに照らされて見えたのは、眼鏡の他にこれといって特徴の無い男の顔。
綻びも汚れもないダブルボタンのジャケットを纏い、内側にベストとタイをキッチリと身に着けた小ぎれいな風貌から、少なくとも市民階級以上は確実だろう。
ただ、装甲列車とはあまりにも不似合いな恰好でもあり、俺が訝し気な視線を向けていれば、男は胸元からコラシーのエンブレムが刻まれた手帳を取り出してこちらへ見せた。
「失礼。私はコラシー国防公安局、外部顧問のアルノルト・ヂゼル・ホンスビーです。今回、ミス・キオンにかけられた疑惑の調査を一任されています」
「刑事ってことか?」
「そのような解釈で問題ありません」
ホンスビーと名乗った男は、ニコリと柔和な笑みを浮かべる。
過去に刑事という奴と接触したことはないが、保安官とは何かと関りもあった。そこから考えると、どうにもこいつはそれっぽくない気がするが、上層は俺の知っている世界とまるで違うのかもしれない。
適当に座りなおした俺に対し、サテンはわざわざ立ち上がって深く頭を下げた。
「わざわざのご足労お疲れ様です。コラシーでお待ち下さればよかったのに」
こいつがいい所の出なのは知っている。知っていてなお、どうしてこの妙に丁寧な言葉遣いには少し寒気が走る。
無論、そう感じるのは俺だけらしく、ホンスビーは特に変わった様子もなく、とんでもないと首を振った。
「早い段階で直接見聞きする方が、情報に余計なノイズが走らなくてよいかと思いまして。正式な取り調べはコラシーに戻ってからとなりますが、せっかくお2人が揃っていらっしゃるのです。簡単にお話を伺っても?」
「私は構いませんが、ミスター・ブローデンは?」
体中の毛が逆立つかと思った。が、相手が相手である。サテンが何を考えているかは知らないが、どうにかこうにかその雰囲気を飲み下した。
「お、俺にもあんのか? ほっとんど何も分かってねぇけど」
「無理解であるならばそれも結構。いえ、むしろその確証が得られるのであれば、貴方は程なく自由の身となるでしょう」
証明するのは罪がある方じゃねぇの、とは思ったが黙っておく。
余計なことを口走れば、サテンの立場が悪くなるかもしれない。残念ながら俺には、こういう裏のありそうなやり取りの経験がないのだ。
「問題は私のビザについて、ですよね? 何かありますか?」
対してサテンは、至極あっさりとホンスビーへ問いかける。細い背中ではあるが、口の話になればやはり頼もしいと思える不思議。
「あくまで疑いの話です。貴女は何故、そんなものを作ってまでコラシーに足を延ばしたのです? 少なくとも我が国は、セキュリティチェックの面で他国より厳格であると自負しておりますが」
「やっていないことをやった前提で語られても困ります。それに捏造の事実については、フルトニス側の出入国管理局に確認すれば分かるお話ではありませんか?」
「仰る通り。ですが、如何せん辺境のフルトニスまでは遠い。電信さえ通っておらず、鉄道便を駆使しても最短で1週間。手続きまで加味すればさらに長い時間がかかる」
「でしたら事は容易いでしょう。私は潔白が出るまで、待たせて頂ければそれでよいのですから」
「残念ながらそうもいきません。コラシーに提出された貴女のビザが偽造品だったのは事実なのです。我々が欲しいのは、偽造に貴女が関与しておらず、何者かによって冤罪に巻き込まれた被害者であるという証拠。その為にも、コラシーに来た目的、活動の理由、その他あらゆる情報を頂きたい」
早くも頭がこんがらがりそうではあるが、どうにも無理筋な罪状である気はする。
密出入国の罪は重い。それこそそこらの野人が都市下層に紛れ込んだくらいなら、見つかり次第警棒で殴り倒されてつまみ出されるで済むが、中層上層に関与する人間だと新聞沙汰だろう。
だがこいつは何か、その法律という奴を盾に何かを引きだしたがっているような気がしてならず、俺の口は無意識の内にへらりと開かれていた。
「話せば分かってもらえるってか? 金持ちの捜査ってのは、随分気楽なもんなんだな?」
「ええ、本人証言も重要ですから」
ホンスビーはそう言って優し気に笑う。私は君たちの味方だと言っているように。
だが、その姿に俺は何故だか強烈な違和感を覚えた。
――なんだこいつ。何がしたい?
根っからの正義漢が、冤罪を見過ごせず手を挙げたのならそれでいい。だが、どちらかと言えばそれは弁護士の仕事のはず。
ますます眉間の皺が深くなる俺を見てか、サテンはどこか呆れたようにふぅと肩を落とした。
「元より何かを隠し立てするつもりはございません。ですが、詳細はコラシーについてからでよろしいでしょうか? 発言の1つ1つがどのような影響を与えるかわかりませんので」
「――ご協力痛み入ります。暫くは窮屈な思いをさせますが、どうかご容赦ください」
もっと食らいついてくるかと思いきや、男はサテンと目を合わせると、またあの笑みを顔に貼り付けて深く頭を下げる。
無暗な丁寧さに鳥肌が立つ。容疑者を相手に何故ここまで礼儀を重んじるのか。それも下層の俺に対してさえ同じように。
挙句、引き際までアッサリしているのだ。保安官でももう少し詰めてきそうなものだが。
「……なーんか気持ち悪ぃなァ」
「そうだね。私もそう思う」
「つっても話せば済むんだろ。楽なモンじゃねぇか」
棒でぶん殴られたり、頭から水をぶっかけられたりしないのだから、金持ちの取り調べと言うのはなんと可愛いものであろう。
そう思いながら寝台へ寝なおそうとした矢先、ううんとサテンがハッキリ首を横に振ったのが見えた。
「そう簡単には出してもらえないよ。あるいは、この列車の中が君と会える最後かも」
「どういう意味だ」
余りにも不穏な言葉に、寝かかっていた身体をもう一度起こし直す。
サテンはいつも通り。ただ、その瞳には何かの覚悟が映っているようにも見て取れた。